映画 ゲンスブールと女たち
日時 2011年5月29日
映画館 梅田ガーデンシネマ
>> 公式サイトはこちら
我が家にはセルジュ・ゲンズブールのサインがある。
そのサインの下には「Et Charlotte」と書かれている。
本人にサインを求めたところ、そのときいっしょにいた娘、
つまりデビュー前のシャルロット・ゲンズブールが自分の
名前をそっと書き添えたものだ。
ジェーン・バーキンと別れる前の平和な頃のオハナシ。
あ、いや、私自身の話ではなく、家人の思い出話である。
有名人にまつわる家人のエピソードの中でもかなり好きな
件だ。これを書いておきたかったために映画を観に行った
ようなものだ。(←ホントか?)
おそらく外国人だから応じてくれたのに違いない、と思う。
場所はパリのレストラン。そんな時にサインを求めるなど
という無粋な真似はフランス人ならしないはず。さぞかし
冷ややかな目を向けられたのでは?と尋ねたら、まわりの
人たちも羨ましそうにこの様子を見ていたそうだ。
フランス人が好きなフランス人。そう思う。
そんなわけで家人を通して知ったゲンズブールという人。
男が(も?)憧れるフランスのスター。
煙草を吸う姿がやたらカッコいい。(家人によればストー
ンズのキースと彼が二大くわえ煙草アーティスト。)
ゲンズブールを断片でしか知らない私は、その断片が映画
ではどの部分なのか確認したかった。それが本当の理由。
自伝的映画といっても、年代を追って時代背景や出来事を
丹念に追ったようなものではなく、ゲンズブール代表作の
楽曲を聴かせながら、有名女優・歌手とのエピソードを連
ねたものという感じになっていた。
登場する女性はジュリエット・グレコ、フランス・ギャル、
ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン等・・・。
しか~し、いくら女にもてたからといっても、邦題とポス
ターのせいでどうも誤解されていないだろうか。観客を減
らしている(?)理由はそこだと思うな。
映画の重要な演出となっているのがアニメ・キャラ。
ユダヤ人のワシ鼻を誇張・デフォルメしたキャラクターで、
これはもう一人のゲンズブールであり、彼が悩んだり、落
ち込んだりした時に対話相手として登場する。
映画ではユダヤ人としてのエピソードは子供の頃だけに限
定されているし、その後の活動にもユダヤ人であることに
よる不利益は描かれていなかったけれど、本人の内面では
それが大きかったということなのか。
子供時代のこまっしゃくれた発言や、大人になってからの
ハチャメチャな生き方の原点にはユダヤ人であったことが
少なからず影響していると思われる。
でも、だからこそ、自由で個性的で知的で、他にはいない
魅力的な人間になったのだともいえる。
映画の中で登場人物は全員ソックリさん俳優が演じている
ので、個人的にはときどき脳内で変換しながら観たけれど、
時代や重要エピソードを追体験する上で、こういう自伝映
画はやはり必要だと思う。
イヤな人は読み物だけですませればいいわけだし。
私が好きなのはジェーン・バーキンを知ったことによって
セルジュが変わってゆくところ。初めは外見から。
「英国娘にこの私がファッションを指南されるのか?」と
いう台詞が象徴的。なんて愛を感じる言葉だろう。
それまでオシャレなフランス男らしくスーツをきめていた
のに、これ以降、ラフな服を着て髭もはやすようになる。
私の知っているカッコいいゲンズブールの出来上がり!
国歌である「ラ・マルセイエーズ」をレゲエに編曲して歌っ
たときのエピソードも入っている。離婚後だったにも関わ
らず、右翼に詰め寄られて応じる彼の傍らにジェーン・バー
キンがいたのも心に残る場面。
その歌をレコーディングする際の現地ミュージシャンたち
とのやりとりもみものだった。
映画としては大作でも感動作でもないのだけれど、独特の
センスが感じられた点をよしとする。
時代的にもこういう破滅型のスターはもう二度と出てこな
いんだろうな。特に日本ではね。
6月に入って「マイ・バック・ページ」と「戦火のナージャ」
を観た。2つとも全然違うけれどいい映画だった。
感想・・・いつ書けるだろう?
日時 2011年5月29日
映画館 梅田ガーデンシネマ
>> 公式サイトはこちら
我が家にはセルジュ・ゲンズブールのサインがある。
そのサインの下には「Et Charlotte」と書かれている。
本人にサインを求めたところ、そのときいっしょにいた娘、
つまりデビュー前のシャルロット・ゲンズブールが自分の
名前をそっと書き添えたものだ。
ジェーン・バーキンと別れる前の平和な頃のオハナシ。
あ、いや、私自身の話ではなく、家人の思い出話である。
有名人にまつわる家人のエピソードの中でもかなり好きな
件だ。これを書いておきたかったために映画を観に行った
ようなものだ。(←ホントか?)
おそらく外国人だから応じてくれたのに違いない、と思う。
場所はパリのレストラン。そんな時にサインを求めるなど
という無粋な真似はフランス人ならしないはず。さぞかし
冷ややかな目を向けられたのでは?と尋ねたら、まわりの
人たちも羨ましそうにこの様子を見ていたそうだ。
フランス人が好きなフランス人。そう思う。
そんなわけで家人を通して知ったゲンズブールという人。
男が(も?)憧れるフランスのスター。
煙草を吸う姿がやたらカッコいい。(家人によればストー
ンズのキースと彼が二大くわえ煙草アーティスト。)
ゲンズブールを断片でしか知らない私は、その断片が映画
ではどの部分なのか確認したかった。それが本当の理由。
自伝的映画といっても、年代を追って時代背景や出来事を
丹念に追ったようなものではなく、ゲンズブール代表作の
楽曲を聴かせながら、有名女優・歌手とのエピソードを連
ねたものという感じになっていた。
登場する女性はジュリエット・グレコ、フランス・ギャル、
ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン等・・・。
しか~し、いくら女にもてたからといっても、邦題とポス
ターのせいでどうも誤解されていないだろうか。観客を減
らしている(?)理由はそこだと思うな。
映画の重要な演出となっているのがアニメ・キャラ。
ユダヤ人のワシ鼻を誇張・デフォルメしたキャラクターで、
これはもう一人のゲンズブールであり、彼が悩んだり、落
ち込んだりした時に対話相手として登場する。
映画ではユダヤ人としてのエピソードは子供の頃だけに限
定されているし、その後の活動にもユダヤ人であることに
よる不利益は描かれていなかったけれど、本人の内面では
それが大きかったということなのか。
子供時代のこまっしゃくれた発言や、大人になってからの
ハチャメチャな生き方の原点にはユダヤ人であったことが
少なからず影響していると思われる。
でも、だからこそ、自由で個性的で知的で、他にはいない
魅力的な人間になったのだともいえる。
映画の中で登場人物は全員ソックリさん俳優が演じている
ので、個人的にはときどき脳内で変換しながら観たけれど、
時代や重要エピソードを追体験する上で、こういう自伝映
画はやはり必要だと思う。
イヤな人は読み物だけですませればいいわけだし。
私が好きなのはジェーン・バーキンを知ったことによって
セルジュが変わってゆくところ。初めは外見から。
「英国娘にこの私がファッションを指南されるのか?」と
いう台詞が象徴的。なんて愛を感じる言葉だろう。
それまでオシャレなフランス男らしくスーツをきめていた
のに、これ以降、ラフな服を着て髭もはやすようになる。
私の知っているカッコいいゲンズブールの出来上がり!
国歌である「ラ・マルセイエーズ」をレゲエに編曲して歌っ
たときのエピソードも入っている。離婚後だったにも関わ
らず、右翼に詰め寄られて応じる彼の傍らにジェーン・バー
キンがいたのも心に残る場面。
その歌をレコーディングする際の現地ミュージシャンたち
とのやりとりもみものだった。
映画としては大作でも感動作でもないのだけれど、独特の
センスが感じられた点をよしとする。
時代的にもこういう破滅型のスターはもう二度と出てこな
いんだろうな。特に日本ではね。
6月に入って「マイ・バック・ページ」と「戦火のナージャ」
を観た。2つとも全然違うけれどいい映画だった。
感想・・・いつ書けるだろう?
でもタイトルでつい、違うものがよぎってしまいました^^;
『ゲーンズブール』と読んでしまいました(^_^;)
ハイ・・・プリンセストヨトミに登場する旭・ゲーンズブールです(笑)
映画では岡田将生くんが演じていました。小説ではスラリとした長身の女性って言う設定です。
という余計なことを思い出してしまった瞬間でした。
すみません…この記事とはまったく関係なかったですね・・・<(_ _)>
映画のタイトルでは「ゲンスブール」になってるけれど、
私たちはそもそも前から「ゲーンズブール」って呼んで
ましたからねー。
万城目さんの年齢だと、もしかしたらシャルロット・
ゲンズブールのイメージがあったとか?
(まったくの当てずっぽう、スミマセン!)
映画を観てないし、本も読んでないので役どころがわからない
けれど、旭・・・って秀吉の姉からもらった名前?
それとも栗塚旭?(笑)
この映画、家の近所の映画館に来ないかなあ~!