公演名 身毒丸
劇場 シアター・ドラマシティ
観劇日 2011年9月11日(日)
上演時間 13:00開演 14:40終演)
座席 4列
天気 晴れ
作品そのものの観劇は「身毒丸 復活」を入れて2回目。
今公演では主演二人のキャストが一新された。
見世物小屋的ビジュアルショックと昭和歌謡風音楽は前回その
洗礼を浴びたので、今回は少し余裕を持って味わえたと思う。
入り口から出口まで1時間40分。「身毒丸」という見世物小屋
で、自分の中の善悪、美醜、快不快の概念がシャッフルされて
ゆく感覚を再び味わった。
そして、あの衝撃の結末だ。「復活」とは全く違うラスト。
基本的な感想は前回とほぼ変わらないのだけれど、あの最後を
見てしまうと、この芝居の主役は撫子だと思えてしかたない。
名古屋公演がまだあるので、以下ネタバレありってことで。
<キャスト/スタッフ>
撫子:大竹しのぶ 身毒丸:矢野聖人
父親:六平直政 せんさく:中島来星、若林時英
小間使い:蘭妖子 仮面売り:石井愃一 ほか
作:寺山修司/岸田理生
演出:蜷川幸雄
作曲:宮川涁良 美術:小竹信節
衣装:小峰リリー
<あらすじ>
母を売る店で買い求められた女・撫子(大竹しのぶ)と、死んだ
実母を慕い続ける義理の息子・身毒丸(矢野聖人)。撫子を母と
認められない身毒丸は、彼女に反抗的な態度を取り、しだいに家
族から孤立していく。一方で撫子も、家の中で自分の居場所を見
つけられずに追い詰められ、ついには身毒丸を折檻してしまう。
家を飛び出した身毒丸は、地下へ通じる奇妙な「穴」を持つ男に
出会う。亡き母を求め、死人が住むと言われる地下世界へ降りて
行く身毒丸だったが…。
(ホリプロ公式サイト「身毒丸」より引用)
<見世物、アングラ、郷愁>
文字で書くと放送禁止用語だらけな世界を、演劇という名のも
と圧倒的ボリュームで見せてもらえる機会は、いま蜷川さんの
舞台をおいて他にはないと思う。
大勢の男女が肉体プレゼンテーションをする、あの集団の中に
痩せこけた女郎が一人いて、ふと白虎社を思い出させた。
白虎社の大須賀勇氏の言葉を借りれば「見てはいけないモノを
見せたい」。まさにそれだと思った。アングラの感覚に触れら
れるという意味でもこの作品は貴重だ。
そのうえここにはノスタルジーがある。子供の頃に抱いていた
漠然とした恐怖や、異界への畏れや憧れといった気持ちをいま
一度呼び覚ましてくれる思い出装置でもある。
<舞台に降るもの>
あの怪しさの土台になる部分が寺山ワールドだとすると、舞台演
出の中に蜷川さんらしい仕掛けがある。
この舞台でもいろんなモノが降ってきた。
それはボタッ、ボタッと音をたてて落下するものだったり、ふわ
ふわ舞い落ちるものだったり。
白い紙が花のように降ってきて舞台全体が赤く染まってゆくシー
ンが特にきれいだった。
異界(黄泉の国?)のシーンが今回は美しいと感じられたのは
この舞台に慣れたせいだろうか。
<お前をにんしんしてあげたい・・・by 撫子>
このフレーズ、あれ? と思った。
あの有名な台詞にちゃんとしたリプライがあったんだ~!
(復活の時は聞きそびれていたのだろうか?)
「お母さん、もう一度僕をにんしんしてください」
「もう一度、二度、三度、お前を産みたい。お前をにんしんして
あげたい!」(だっけ?)
これって、おたがいに実の母・子として出会いたかったという意
味だよね。この台詞までの撫子を観ていたから、ものすごく腑に
落ちた。謎だった身毒丸の台詞の意味まで類推できた。
「あなたはしんとく」「あなたはなでしこ」と二人で名前を呼び合い、
ようやく男女の愛にたどりついた「復活」のラストとは大違い。
特に白石さん撫子の、負を正に変えてしまうあのバイタリティに
はみなぎる精気を感じたものだ。
今回の撫子と身毒丸は、生前に組み合わせが叶わなかった
<母と子>願望なのか。
少なくとも大竹さん撫子が最後に身毒丸を抱く姿は我が子を抱
く母親そのものであった。
ラストの白髪と骸骨。
若い頃、母として買われてきたもののそれは形だけ。妻にはな
れても子供をつくれず、それが心に重くのしかかっていたことが
大竹さんの撫子の表情で見てとれた。
最後の白髪の撫子は、我が子を忘れられないのではなく、ついに
果たせなかった産みの母親になることへの想いを見せつけている
ようだった。その執着から解放されないまま年老いた撫子の、
「女の一生」を一気に見たようで、それゆえ一瞬にして白髪にな
るシーンはとても切なく、哀しく、胸にずしんときた。
ある意味、現実的で怖くもあった。
最後に残った疑問はコレ。
撫子が身毒丸を盲目にした理由だ。年老いた姿を見られたくない
からお前の目をつぶす、と言っていた。あの藁人形に五寸釘!
それは身毒丸が執着する実の母親が若くして死んだから、母親と
しての対抗意識?
それともやっぱり、若くみずみずしい身毒丸と比べ、老いる一方
の自分の姿は見せたくないという切ない女心なんだろうか。
<小箱のひみつ>
身毒丸が仏壇で見つけて気にしていたもの。
撫子が買われて家に来た時にすでに持っていた秘密の「小箱」だ。
幼子の爪が入っているものと思っていたが、身毒丸が中を開けた
時には空っぽで「中には夢が入ってたの」と撫子が言っていた。
汚れのない少女みたいな台詞をつぶやく撫子には、私が抱いてい
た“キョ-レツに強い女”のイメージはない。
不幸せな境遇に精神を病んだ弱々しい女がそこにいた。
<キャストについて>
●大竹しのぶさん
前の白石加代子さんの撫子イメージを塗り変えていて見事だった。
アングラなにおいの全くない大竹さん撫子は、恋する女を前面に
出した恐ろしい女ではなく、むしろ可愛らしい女。
哀れな母としての撫子は、大竹さんだからこそ見ることができた
ストーリーだと思う。それゆえラストの姿は唐突ではなく必然的
に導かれたものだと納得できた。
●矢野聖人さん
藤原竜也さんの時と同じく、オーディションで選ばれたそう。
「大竹さんが芝居の中に引き込んでくれる、連れて行ってくれる」
とプログラムにある通り、その場その場で生まれてくる感情を
大事に演じておられるように見えた。
「家」の象徴であるお父さんを面白く演じていた六平直政さん。
せんさくの明るくて高い声がホッとさせてくれた若林時英くん。
生きてる人間のお面を売っているアヤシサ100%の石井愃一さん。
独特な声で話を魅力的にナビゲートしてくれる欄妖子さん。
どの人物も怪しく個性的な面々だ。
●このブログ内の関連記事
「身毒丸 復活」 観劇メモ(2008年)
劇場 シアター・ドラマシティ
観劇日 2011年9月11日(日)
上演時間 13:00開演 14:40終演)
座席 4列
天気 晴れ
作品そのものの観劇は「身毒丸 復活」を入れて2回目。
今公演では主演二人のキャストが一新された。
見世物小屋的ビジュアルショックと昭和歌謡風音楽は前回その
洗礼を浴びたので、今回は少し余裕を持って味わえたと思う。
入り口から出口まで1時間40分。「身毒丸」という見世物小屋
で、自分の中の善悪、美醜、快不快の概念がシャッフルされて
ゆく感覚を再び味わった。
そして、あの衝撃の結末だ。「復活」とは全く違うラスト。
基本的な感想は前回とほぼ変わらないのだけれど、あの最後を
見てしまうと、この芝居の主役は撫子だと思えてしかたない。
名古屋公演がまだあるので、以下ネタバレありってことで。
<キャスト/スタッフ>
撫子:大竹しのぶ 身毒丸:矢野聖人
父親:六平直政 せんさく:中島来星、若林時英
小間使い:蘭妖子 仮面売り:石井愃一 ほか
作:寺山修司/岸田理生
演出:蜷川幸雄
作曲:宮川涁良 美術:小竹信節
衣装:小峰リリー
<あらすじ>
母を売る店で買い求められた女・撫子(大竹しのぶ)と、死んだ
実母を慕い続ける義理の息子・身毒丸(矢野聖人)。撫子を母と
認められない身毒丸は、彼女に反抗的な態度を取り、しだいに家
族から孤立していく。一方で撫子も、家の中で自分の居場所を見
つけられずに追い詰められ、ついには身毒丸を折檻してしまう。
家を飛び出した身毒丸は、地下へ通じる奇妙な「穴」を持つ男に
出会う。亡き母を求め、死人が住むと言われる地下世界へ降りて
行く身毒丸だったが…。
(ホリプロ公式サイト「身毒丸」より引用)
<見世物、アングラ、郷愁>
文字で書くと放送禁止用語だらけな世界を、演劇という名のも
と圧倒的ボリュームで見せてもらえる機会は、いま蜷川さんの
舞台をおいて他にはないと思う。
大勢の男女が肉体プレゼンテーションをする、あの集団の中に
痩せこけた女郎が一人いて、ふと白虎社を思い出させた。
白虎社の大須賀勇氏の言葉を借りれば「見てはいけないモノを
見せたい」。まさにそれだと思った。アングラの感覚に触れら
れるという意味でもこの作品は貴重だ。
そのうえここにはノスタルジーがある。子供の頃に抱いていた
漠然とした恐怖や、異界への畏れや憧れといった気持ちをいま
一度呼び覚ましてくれる思い出装置でもある。
<舞台に降るもの>
あの怪しさの土台になる部分が寺山ワールドだとすると、舞台演
出の中に蜷川さんらしい仕掛けがある。
この舞台でもいろんなモノが降ってきた。
それはボタッ、ボタッと音をたてて落下するものだったり、ふわ
ふわ舞い落ちるものだったり。
白い紙が花のように降ってきて舞台全体が赤く染まってゆくシー
ンが特にきれいだった。
異界(黄泉の国?)のシーンが今回は美しいと感じられたのは
この舞台に慣れたせいだろうか。
<お前をにんしんしてあげたい・・・by 撫子>
このフレーズ、あれ? と思った。
あの有名な台詞にちゃんとしたリプライがあったんだ~!
(復活の時は聞きそびれていたのだろうか?)
「お母さん、もう一度僕をにんしんしてください」
「もう一度、二度、三度、お前を産みたい。お前をにんしんして
あげたい!」(だっけ?)
これって、おたがいに実の母・子として出会いたかったという意
味だよね。この台詞までの撫子を観ていたから、ものすごく腑に
落ちた。謎だった身毒丸の台詞の意味まで類推できた。
「あなたはしんとく」「あなたはなでしこ」と二人で名前を呼び合い、
ようやく男女の愛にたどりついた「復活」のラストとは大違い。
特に白石さん撫子の、負を正に変えてしまうあのバイタリティに
はみなぎる精気を感じたものだ。
今回の撫子と身毒丸は、生前に組み合わせが叶わなかった
<母と子>願望なのか。
少なくとも大竹さん撫子が最後に身毒丸を抱く姿は我が子を抱
く母親そのものであった。
ラストの白髪と骸骨。
若い頃、母として買われてきたもののそれは形だけ。妻にはな
れても子供をつくれず、それが心に重くのしかかっていたことが
大竹さんの撫子の表情で見てとれた。
最後の白髪の撫子は、我が子を忘れられないのではなく、ついに
果たせなかった産みの母親になることへの想いを見せつけている
ようだった。その執着から解放されないまま年老いた撫子の、
「女の一生」を一気に見たようで、それゆえ一瞬にして白髪にな
るシーンはとても切なく、哀しく、胸にずしんときた。
ある意味、現実的で怖くもあった。
最後に残った疑問はコレ。
撫子が身毒丸を盲目にした理由だ。年老いた姿を見られたくない
からお前の目をつぶす、と言っていた。あの藁人形に五寸釘!
それは身毒丸が執着する実の母親が若くして死んだから、母親と
しての対抗意識?
それともやっぱり、若くみずみずしい身毒丸と比べ、老いる一方
の自分の姿は見せたくないという切ない女心なんだろうか。
<小箱のひみつ>
身毒丸が仏壇で見つけて気にしていたもの。
撫子が買われて家に来た時にすでに持っていた秘密の「小箱」だ。
幼子の爪が入っているものと思っていたが、身毒丸が中を開けた
時には空っぽで「中には夢が入ってたの」と撫子が言っていた。
汚れのない少女みたいな台詞をつぶやく撫子には、私が抱いてい
た“キョ-レツに強い女”のイメージはない。
不幸せな境遇に精神を病んだ弱々しい女がそこにいた。
<キャストについて>
●大竹しのぶさん
前の白石加代子さんの撫子イメージを塗り変えていて見事だった。
アングラなにおいの全くない大竹さん撫子は、恋する女を前面に
出した恐ろしい女ではなく、むしろ可愛らしい女。
哀れな母としての撫子は、大竹さんだからこそ見ることができた
ストーリーだと思う。それゆえラストの姿は唐突ではなく必然的
に導かれたものだと納得できた。
●矢野聖人さん
藤原竜也さんの時と同じく、オーディションで選ばれたそう。
「大竹さんが芝居の中に引き込んでくれる、連れて行ってくれる」
とプログラムにある通り、その場その場で生まれてくる感情を
大事に演じておられるように見えた。
「家」の象徴であるお父さんを面白く演じていた六平直政さん。
せんさくの明るくて高い声がホッとさせてくれた若林時英くん。
生きてる人間のお面を売っているアヤシサ100%の石井愃一さん。
独特な声で話を魅力的にナビゲートしてくれる欄妖子さん。
どの人物も怪しく個性的な面々だ。
●このブログ内の関連記事
「身毒丸 復活」 観劇メモ(2008年)
2002年に今はない愛知厚生年金会館之白石+藤原が初見。
大竹さんと白石さんの違いは”女”の性にたいする解釈の違い。オンナと母。うううむ、言ってるアタイもようわからんし、長くなるので。
大竹さんは、2回目のカテコになっても撫子から戻っていなかった。
3回目にようやく笑顔が出た、最後は戻ろうとする矢野くんの後頭部を抑えつけ、何度もお辞儀をさせて、文字通り(矢野君の)母になっていました。
今日は、大阪初音会の方に大向こうのかけ方のタイミング、はんなりと言うか、ピシット言うかいろいろ教えていただいた。教室でなく、扶桑会館で実際に2階席で声を出しました.映像を見ながら2世松緑さんの權太、カッコええわ
おまけで、揚幕をチャリンと開けて花道から舞台までの”出”も体験できた。授業料500円は超お得!!
あすは、西宮まで出張って勘十郎さん!
大阪のカテコでも大竹さんはなかなか笑顔には戻れ
なかったですね。
他にもそういう役者さんはときどきおられますよね。
勘十郎さんとは藤間勘十郎さんのことだったのですか。
ずいぶんゴージャスな舞台だったのでしょうね。
毬谷さんが伝統芸能の方々と共演されたTV番組の
「平家物語の人々」を思い出しました。