10. I.D.S + Be the One @Per醇・Concert 2012 [HD] - JYJ
JYJTheirRooms @JYJTheirRooms
JYJ、1年間のワールドツアー終了...そして彼らを取り巻く光と影
Top Star News
グループJYJが、チリとペルーを最後に1年間のワールドツアーの大長征に終止符を打った。
昨年4月のタイを皮切りに、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、南米、合わせて計15カ国、21万人余りの動員記録を打ち立て、名実共にワールドツアーの様子を見せた。
海外でも有名だとする-よく言われるK-pop歌手-歌手もまだ踏んでいない道をJYJが "最初" に、そして "単独" でやり遂げたのだ。
▲グループJYJ、写真= C-JESエンターテイメント
約1〜2年前から急速にTVや新聞では "K-popブーム" という言葉を使い始めた。特にSMTOWNパリ公演の後、この言葉は国民の目と耳に更に多く接することができた。
しかし彼らは企画会社の団体の公演として構成した公演ではなく、ひたすら "JYJの歌" だけで構成された公演でこのような結果を生んだことについて、初めてなのでまだ不十分な点は有るだろうが注意深く見なければならないだろう。
最近、日本ではKARA、少女時代(Girl's Generation)などを始めとする韓流ブームで多くのアイドルグループが日本に進出した状態だ。
それと共に、自然に韓国歌手の団体公演もたくさん行われている。
しかしいくつかの公演を見ると、ただ名前だけ "K-pop" をつけて、国内はもちろん日本でも知られていない歌手が出てきて公演をするにも関わらず、7千円から9千円の高価格の入場料を受取り公演を開催したことがある。もちろん客席はガラガラだった。SNSを介して見たその光景は、"韓流" という名前に恥を与えるほどだった。
しかしJYJは、このような国内外的な雰囲気に便乗せずにひたすら彼らの音楽と名前で、国内では初めてアメリカ地域とスペインとドイツ、そして南米でまで公演を行った。南米公演が確定したというニュースが流れると、メキシコではJYJの公演を開いてくれというデモまで起こった。
ところがいざ彼らの本拠地でありメインステージとなるべき韓国と日本では、彼らの姿と公演を見ることができない。
前・所属事務所であったSMエンターテイメントとの訴訟と日本の所属事務所であったAVEX社が密かに(というには、あまりにもホコリくさいが)彼らの活動に制約をかけているからだ。この前ファンと共にしたいたあるファンミーティングでJYJメンバーは "すぐにコンサートをしたくても会場借りからスタッフ構成など制約がとても多くて国内でコンサートをするのは難しい" と話したことがあった。またアルバムの流通も快諾して流通してくれる会社がなくてアルバムが数か月ずつ発売が延期されることが、彼らには一度や二度ではなかった。
また、日本では公演場所を借りたところで急に使用不可通知を下し、コンサートの場所を秘密にして当日公演に参加する観客のみに知らせる "007作戦" を彷彿とさせる公演を行なったこともあった。
一例として昨年秋、日本の茨城で開かれた"JYJ Unforgetable Live" の場合、公演の準備から多くの紆余曲折があった公演だった。
前売りサイトのハッキング、貸切バス運行会社の突然の取り消しなど理由も分からずに次々と起き、一部では日本での所属事務所であったAVEX側で妨害があるのではないかという話まで出てきた公演だった。(公演後、茨城市長と公務員、警察などに圧力を加えて、音響、コンサートの機器メーカーに生計への脅威の脅迫まであったとゆうコメントが続々と上がって来た。)
とうてい彼らの活動のメインステージだった韓国と日本での公演を進行することが難しいということを実感して、誰も目につかなかった所に向かって方向を定めた。
▲日本の茨城で開かれたJYJの公演の様子、写真= C-JESエンターテイメント
それがアメリカとヨーロッパ、そして南米での公演だった。事実アメリカの場合、2010年に発売された "The Beginning" アルバム発売後に無料でショーケースを行なったことがあった。その時アメリカ地域のJYJに向けた熱い関心を確認し、アジアに次いで二回目にワールドツアーを進めたところがアメリカ地域であった。
すべての会場が満杯になり、ツアーは世界的なプロモーション企画会社のAEGライブと手を結んで行われ、サムスンがメインスポンサーを担当した。この報せに接した後、全く韓国と日本での公演とは大きく異なる姿だと考えられた。韓国と日本で開かれたJYJの公演にはどんな企業も気軽に協賛してくれない状況だからだ。アメリカ公演を通じて自信を得た彼らは、6月、韓国での公演を繰り広げた。しかし、場所はソウルではなく、釜山(プサン)と光州(クァンジュ)であった。
▲北米地域のJYJツアーの様子、写真= C-JESエンターテイメント
事実多くの歌手たちは、全国ツアーじゃない以上は地方での公演を行わない。JYJメンバーが身を置いた旧・東方神起にも彼らの名前を掲げてソウル以外の地方ではただの一度も開催されたことがなかった。彼らの公演の時ごとに地方各地からファンたちはバスを貸切ってソウルに上り、公演を見て再び下っていった。しかし今回はむしろ全国のファンが釜山(プサン)と光州(クァンジュ)での公演のために下りていく "珍しい風景" が繰り広げられた。
これはソウルはさて置き首都圏では彼らに会場を貸すことができる所がただの一箇所もないとゆうことを反証する姿だった。しかしJYJは地方公演なのに3回の公演を行い、24,000人のファンを集めた。
▲JYJの釜山(プサン)コンサート、写真= C-JESエンターテイメント
韓国での公演を最後にワールドツアーが終わって、新しいアルバムと共にファンへ飛び込んだニュースは驚くべきものだった。まさにスペインとドイツでの公演のお知らせだった。
実はヨーロッパでの韓国歌手の認知度は微々たる程度だ。これまでヨーロッパでアイドル歌手が公演を行ったのはSMTOWNが唯一だった。しかし彼らの公演は、政府の全面的な支援と国内メディアが先を争うように伝えた "K-pop" ブームなどでよく包装された "見掛け倒し" に過ぎなかった。会場のほとんどはアジア系とヒスパニック系の観客たちと、一部の地元の該当企画会社のファンが満たしたという現地の海外同胞の話が聞こえてきた。
だがJYJは、数万人の大規模の公演ではなく小規模の公演で始めた。スペイン、ドイツ、各3,000人の人員で、彼らはヨーロッパで初の単独コンサートを開いたのだ。
他の見方をすれば、5万人あまりで満たされた東京ドームの舞台にも上がった彼らには小さなステージだったかもしれない。
しかし今のJYJには、このような小さな舞台の一つ一つが大切な舞台であった。このようにJYJがヨーロッパで公演をしていた当時、韓国のインターネット上ではJYJの欧州公演会場がマスコミの報道とは違ってガラガラだったという論議が起きた。
数枚の写真と共に上がってきた論議は、まずその写真が撮られた時点が、この公演が終わり殆どの観客が会場を抜けた後、最後までアンコールをもう一度してほしいと待っていたファンだった。
とにかく、韓国のアイドル歌手の中で初めてスペインとドイツでの単独コンサートを成功的に終えたJYJは、韓国に帰ってきてミュージカルとドラマなど個人活動の準備に入った。
▲JYJのヨーロッパツアーポスター、写真= C-JESエンターテイメント
だが数ヶ月後、南米で公演が開かれるという意外なニュースがもう一度飛び込んだ。
南米の場合、JYJ以前には昨年12月の、BEAST、4minuteなどが所属するユナイテッドキューブの公演がブラジルで一回あったのが全てだった。
彼らはもう一度、ほかの歌手が一度も踏まない道を切り開いていった。
ファンとJYJメンバー、スタッフたちが期待を持って南米に発った後、国内のメディアは南米に発つ人々の姿を報道することはおろか、2〜3年前の訴訟直後の映像と音声で沸きかえらせた。まさにサセン論議であった。
それも彼らが南米に旅立った直後に勃発した事件だった。JYJの名前の値打ちぐらい後日の嵐が大きかったこの論議に対し、大半のメディアはサセンファンという名前で報道されたが、サセンがJYJメンバーに行ったことは "ファン" と名付けるよりむしろ "犯罪者" という名前が似合うほどに、一般的な常識では到底できないものであった。
メンバーを殴り、男性専用サウナで寝るメンバーの写真を撮ることは基本だった。故意に交通事故を起こすなどデビュー直後から現在まで常にファンダム内で膿んできた膿が炸裂した瞬間だった。
これに対しJYJのファンダムでは "サセン" あるいは "サセンファン" という表現ではなく "サセンボム(サセンという言葉と犯罪者の合成語)" という言葉まで作って "サセンボム" の蛮行に対してSNSやブログなどを通じて知らせた。
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真
(画像:日本語訳)
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、上の写真の中の映像撮影は非公開で行われたとファンたちは伝えた。下はキム・ジェジュンと共にボスを守れに出演したチソンが体験したJYJサセンからの体験談だという。
(画像:日本語訳)
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、故パク・ヨンハの葬儀に出席したキム·ジェジュンをサセンが撮影した写真だという
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、サセンが メンバーパク・ユチョンの家の駐車場にCCTVを設置して撮影した映像
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、パク・ユチョンの家の向かいのホテルでサセンが撮影した写真だという。
最初に報道したメディアの意図が何であったであろうと、大多数のメディアではJYJの過ちだと言うよりも "サセン" の問題をより一層大きく報道した。あるメディアでは "サセンボム(サセン犯)" という表現まで出てきたほどであった。
サセンの行動は、 "格子のない監獄"
紆余曲折の中でペルーに到着して記者懇談会を開いたJYJメンバーは、公演の期待感に浮き立った表情ではなく重い表情で記者懇談会場に入場し、公演の話と共に韓国での "サセン" 論議について口を開いた。
メンバーたちはサセンの行動について、 "格子のない監獄" という表現をした。続けてJYJメンバーは "いくら避けようと努力しても足踏みしただけで精神的な苦痛だけ増えていった" と話した。
"最初はファンの愛であり、これらも自分たちを好きなファンだからと自ら慰めて耐えようとしたが日が進むにつれて程度は高まっていき、日常が崩れて言葉で表現できない苦痛に陥って、少なくとも最小限ではあるが、その苦痛から抜け出したかった" と付け加えた。
結局、彼らは "過去の正しくない行動に対して謝罪の言葉を申し上げる" と頭を下げた。生まれて一度も行ったことのない南米での公演を控えて公演に対する期待感と抱負を言わなければならなかった記者懇談会が、むしろ韓国で起きた論争の解明と謝罪の場と化したのだ。
▲JYJのアメリカ公演の現場、写真= C-JESエンターテイメント
しかしJYJは、このような論議と非難の中でチリとペルーの公演を盛況裏に終えた。
ペルーとチリでの公演で9000人余りの観客を集めたのだ。特に公演の最後の終着駅だったペルーの場合、入国時からファンが集まって空港側VIP通路を利用して空港を抜け出るほどだった。国内では夢にも見れなくなっている地上波で特集放送が放映され、ロヒト、チリCNNなどでは、彼らの訪問と公演について大きく報道した。これに対しJYJは、日本で発売されたキム・ジュンスのソロシングルだった "Intoxication" まで歌って南米公演に最善を尽くした。
その結果、現地のファンたちは熱狂し、現場で失神するファンまで続出した。ペルー公演当時、取材を行った記者に写真を要求するファンが出てくるほどで、南米のファンたちに韓国から来たJYJと一行は、一生に一度あるかないかの "一生に一度の事件" だった。このように多くの話を残して、彼らの初の正式なワールドツアーは幕を閉じた。
今回のワールドツアーを終えて、JYJのエージェントを引き受けているC-JESエンターテイメントのペク・チャンジュ代表は
"JYJだからワールドツアーが可能だった。彼らの人気は世界のどの国も単独公演が可能なほどにすごい。私たちは自信を得て、ノウハウを得られた。これがまさに来年のツアーが期待されている理由だ" と述べた。
韓国メディアでは、これまで彼らの歩みについて "K-popブーム" という表現を使いながら、彼らだけの "K-pop" に便乗させて報道してきた。しかしJYJのワールドツアーは、記事の冒頭でも言ったように、現在、世界のあちこちで開かれる "音楽放送式の団体公演" ではなく、ひたすら "JYJの音楽" だけで繰り広げられたという点で大きな意義を置かなければならないだろう。ファンが表現するように "K-pop" ではなく "JYJ-pop" で作り上げた結果である。だがこのように韓国のアーティストで初のワールドツアーを成功させたJYJに、国内放送界の視線は冷たい。
大型企画会社の小言に彼らの名前は言及さえできないのがJYJの現実である。
まるで映画 "ハリー·ポッター" に出てくる "ヴォルデモート" のように。
彼らの自由な芸能活動を法的に保障する内容の仮処分結果が出て1年経った今の時点まで、まだJYJは歌手としての放送に出てきたわけではなく、ドラマ出演と演技大賞の祭典の舞台と大邱(テグ)陸上選手権大会が全部であった。しかし、これさえも放送直前まで安心してJYJの出演を見ることができないのが現実だ。
海外では国賓待遇を受けるほどに、グループはもちろんメンバー個人的にも人気を得ているが、国内では歌手ではなく演技者とミュージカル俳優としてメンバー1人1人の活動がより浮き彫りにされている現実である。
もちろんJYJというグループとしての人気もすごいが、歌手にもかかわらず、思うようにアルバムを発売できず、音楽番組に出るのは夢も見れないでいる現実が残念なだけだ。
今後、前・所属事務所であったSMエンターテイメントとの訴訟がどのように更に行くかは分からないが、一日も早く彼らが自由に番組で歌う日が来ることを期待したい。
パク・ジヒョク記者:jihyuk.park@ topstarnews.net/提供および報道資料Report@TopStarNews.Net
訳 Japan FanCafe JYJ TheirRooms sora
http://www.topstarnews.net/n_news/news/view.html?page_code=&area_code=&no=7516&code=netfu_44711_17340&s_code=netfu_95234_19777&ds_code=20110906113956_5054#.T1_stNw2Bxc.hatena
グループJYJが、チリとペルーを最後に1年間のワールドツアーの大長征に終止符を打った。
昨年4月のタイを皮切りに、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、南米、合わせて計15カ国、21万人余りの動員記録を打ち立て、名実共にワールドツアーの様子を見せた。
海外でも有名だとする-よく言われるK-pop歌手-歌手もまだ踏んでいない道をJYJが "最初" に、そして "単独" でやり遂げたのだ。
▲グループJYJ、写真= C-JESエンターテイメント
約1〜2年前から急速にTVや新聞では "K-popブーム" という言葉を使い始めた。特にSMTOWNパリ公演の後、この言葉は国民の目と耳に更に多く接することができた。
しかし彼らは企画会社の団体の公演として構成した公演ではなく、ひたすら "JYJの歌" だけで構成された公演でこのような結果を生んだことについて、初めてなのでまだ不十分な点は有るだろうが注意深く見なければならないだろう。
最近、日本ではKARA、少女時代(Girl's Generation)などを始めとする韓流ブームで多くのアイドルグループが日本に進出した状態だ。
それと共に、自然に韓国歌手の団体公演もたくさん行われている。
しかしいくつかの公演を見ると、ただ名前だけ "K-pop" をつけて、国内はもちろん日本でも知られていない歌手が出てきて公演をするにも関わらず、7千円から9千円の高価格の入場料を受取り公演を開催したことがある。もちろん客席はガラガラだった。SNSを介して見たその光景は、"韓流" という名前に恥を与えるほどだった。
しかしJYJは、このような国内外的な雰囲気に便乗せずにひたすら彼らの音楽と名前で、国内では初めてアメリカ地域とスペインとドイツ、そして南米でまで公演を行った。南米公演が確定したというニュースが流れると、メキシコではJYJの公演を開いてくれというデモまで起こった。
ところがいざ彼らの本拠地でありメインステージとなるべき韓国と日本では、彼らの姿と公演を見ることができない。
前・所属事務所であったSMエンターテイメントとの訴訟と日本の所属事務所であったAVEX社が密かに(というには、あまりにもホコリくさいが)彼らの活動に制約をかけているからだ。この前ファンと共にしたいたあるファンミーティングでJYJメンバーは "すぐにコンサートをしたくても会場借りからスタッフ構成など制約がとても多くて国内でコンサートをするのは難しい" と話したことがあった。またアルバムの流通も快諾して流通してくれる会社がなくてアルバムが数か月ずつ発売が延期されることが、彼らには一度や二度ではなかった。
また、日本では公演場所を借りたところで急に使用不可通知を下し、コンサートの場所を秘密にして当日公演に参加する観客のみに知らせる "007作戦" を彷彿とさせる公演を行なったこともあった。
一例として昨年秋、日本の茨城で開かれた"JYJ Unforgetable Live" の場合、公演の準備から多くの紆余曲折があった公演だった。
前売りサイトのハッキング、貸切バス運行会社の突然の取り消しなど理由も分からずに次々と起き、一部では日本での所属事務所であったAVEX側で妨害があるのではないかという話まで出てきた公演だった。(公演後、茨城市長と公務員、警察などに圧力を加えて、音響、コンサートの機器メーカーに生計への脅威の脅迫まであったとゆうコメントが続々と上がって来た。)
とうてい彼らの活動のメインステージだった韓国と日本での公演を進行することが難しいということを実感して、誰も目につかなかった所に向かって方向を定めた。
▲日本の茨城で開かれたJYJの公演の様子、写真= C-JESエンターテイメント
それがアメリカとヨーロッパ、そして南米での公演だった。事実アメリカの場合、2010年に発売された "The Beginning" アルバム発売後に無料でショーケースを行なったことがあった。その時アメリカ地域のJYJに向けた熱い関心を確認し、アジアに次いで二回目にワールドツアーを進めたところがアメリカ地域であった。
すべての会場が満杯になり、ツアーは世界的なプロモーション企画会社のAEGライブと手を結んで行われ、サムスンがメインスポンサーを担当した。この報せに接した後、全く韓国と日本での公演とは大きく異なる姿だと考えられた。韓国と日本で開かれたJYJの公演にはどんな企業も気軽に協賛してくれない状況だからだ。アメリカ公演を通じて自信を得た彼らは、6月、韓国での公演を繰り広げた。しかし、場所はソウルではなく、釜山(プサン)と光州(クァンジュ)であった。
▲北米地域のJYJツアーの様子、写真= C-JESエンターテイメント
事実多くの歌手たちは、全国ツアーじゃない以上は地方での公演を行わない。JYJメンバーが身を置いた旧・東方神起にも彼らの名前を掲げてソウル以外の地方ではただの一度も開催されたことがなかった。彼らの公演の時ごとに地方各地からファンたちはバスを貸切ってソウルに上り、公演を見て再び下っていった。しかし今回はむしろ全国のファンが釜山(プサン)と光州(クァンジュ)での公演のために下りていく "珍しい風景" が繰り広げられた。
これはソウルはさて置き首都圏では彼らに会場を貸すことができる所がただの一箇所もないとゆうことを反証する姿だった。しかしJYJは地方公演なのに3回の公演を行い、24,000人のファンを集めた。
▲JYJの釜山(プサン)コンサート、写真= C-JESエンターテイメント
韓国での公演を最後にワールドツアーが終わって、新しいアルバムと共にファンへ飛び込んだニュースは驚くべきものだった。まさにスペインとドイツでの公演のお知らせだった。
実はヨーロッパでの韓国歌手の認知度は微々たる程度だ。これまでヨーロッパでアイドル歌手が公演を行ったのはSMTOWNが唯一だった。しかし彼らの公演は、政府の全面的な支援と国内メディアが先を争うように伝えた "K-pop" ブームなどでよく包装された "見掛け倒し" に過ぎなかった。会場のほとんどはアジア系とヒスパニック系の観客たちと、一部の地元の該当企画会社のファンが満たしたという現地の海外同胞の話が聞こえてきた。
だがJYJは、数万人の大規模の公演ではなく小規模の公演で始めた。スペイン、ドイツ、各3,000人の人員で、彼らはヨーロッパで初の単独コンサートを開いたのだ。
他の見方をすれば、5万人あまりで満たされた東京ドームの舞台にも上がった彼らには小さなステージだったかもしれない。
しかし今のJYJには、このような小さな舞台の一つ一つが大切な舞台であった。このようにJYJがヨーロッパで公演をしていた当時、韓国のインターネット上ではJYJの欧州公演会場がマスコミの報道とは違ってガラガラだったという論議が起きた。
数枚の写真と共に上がってきた論議は、まずその写真が撮られた時点が、この公演が終わり殆どの観客が会場を抜けた後、最後までアンコールをもう一度してほしいと待っていたファンだった。
とにかく、韓国のアイドル歌手の中で初めてスペインとドイツでの単独コンサートを成功的に終えたJYJは、韓国に帰ってきてミュージカルとドラマなど個人活動の準備に入った。
▲JYJのヨーロッパツアーポスター、写真= C-JESエンターテイメント
だが数ヶ月後、南米で公演が開かれるという意外なニュースがもう一度飛び込んだ。
南米の場合、JYJ以前には昨年12月の、BEAST、4minuteなどが所属するユナイテッドキューブの公演がブラジルで一回あったのが全てだった。
彼らはもう一度、ほかの歌手が一度も踏まない道を切り開いていった。
ファンとJYJメンバー、スタッフたちが期待を持って南米に発った後、国内のメディアは南米に発つ人々の姿を報道することはおろか、2〜3年前の訴訟直後の映像と音声で沸きかえらせた。まさにサセン論議であった。
それも彼らが南米に旅立った直後に勃発した事件だった。JYJの名前の値打ちぐらい後日の嵐が大きかったこの論議に対し、大半のメディアはサセンファンという名前で報道されたが、サセンがJYJメンバーに行ったことは "ファン" と名付けるよりむしろ "犯罪者" という名前が似合うほどに、一般的な常識では到底できないものであった。
メンバーを殴り、男性専用サウナで寝るメンバーの写真を撮ることは基本だった。故意に交通事故を起こすなどデビュー直後から現在まで常にファンダム内で膿んできた膿が炸裂した瞬間だった。
これに対しJYJのファンダムでは "サセン" あるいは "サセンファン" という表現ではなく "サセンボム(サセンという言葉と犯罪者の合成語)" という言葉まで作って "サセンボム" の蛮行に対してSNSやブログなどを通じて知らせた。
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真
(画像:日本語訳)
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、上の写真の中の映像撮影は非公開で行われたとファンたちは伝えた。下はキム・ジェジュンと共にボスを守れに出演したチソンが体験したJYJサセンからの体験談だという。
(画像:日本語訳)
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、故パク・ヨンハの葬儀に出席したキム·ジェジュンをサセンが撮影した写真だという
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、サセンが メンバーパク・ユチョンの家の駐車場にCCTVを設置して撮影した映像
▲JYJファンが本誌に情報提供したサセン被害関連写真、パク・ユチョンの家の向かいのホテルでサセンが撮影した写真だという。
最初に報道したメディアの意図が何であったであろうと、大多数のメディアではJYJの過ちだと言うよりも "サセン" の問題をより一層大きく報道した。あるメディアでは "サセンボム(サセン犯)" という表現まで出てきたほどであった。
サセンの行動は、 "格子のない監獄"
紆余曲折の中でペルーに到着して記者懇談会を開いたJYJメンバーは、公演の期待感に浮き立った表情ではなく重い表情で記者懇談会場に入場し、公演の話と共に韓国での "サセン" 論議について口を開いた。
メンバーたちはサセンの行動について、 "格子のない監獄" という表現をした。続けてJYJメンバーは "いくら避けようと努力しても足踏みしただけで精神的な苦痛だけ増えていった" と話した。
"最初はファンの愛であり、これらも自分たちを好きなファンだからと自ら慰めて耐えようとしたが日が進むにつれて程度は高まっていき、日常が崩れて言葉で表現できない苦痛に陥って、少なくとも最小限ではあるが、その苦痛から抜け出したかった" と付け加えた。
結局、彼らは "過去の正しくない行動に対して謝罪の言葉を申し上げる" と頭を下げた。生まれて一度も行ったことのない南米での公演を控えて公演に対する期待感と抱負を言わなければならなかった記者懇談会が、むしろ韓国で起きた論争の解明と謝罪の場と化したのだ。
▲JYJのアメリカ公演の現場、写真= C-JESエンターテイメント
しかしJYJは、このような論議と非難の中でチリとペルーの公演を盛況裏に終えた。
ペルーとチリでの公演で9000人余りの観客を集めたのだ。特に公演の最後の終着駅だったペルーの場合、入国時からファンが集まって空港側VIP通路を利用して空港を抜け出るほどだった。国内では夢にも見れなくなっている地上波で特集放送が放映され、ロヒト、チリCNNなどでは、彼らの訪問と公演について大きく報道した。これに対しJYJは、日本で発売されたキム・ジュンスのソロシングルだった "Intoxication" まで歌って南米公演に最善を尽くした。
その結果、現地のファンたちは熱狂し、現場で失神するファンまで続出した。ペルー公演当時、取材を行った記者に写真を要求するファンが出てくるほどで、南米のファンたちに韓国から来たJYJと一行は、一生に一度あるかないかの "一生に一度の事件" だった。このように多くの話を残して、彼らの初の正式なワールドツアーは幕を閉じた。
今回のワールドツアーを終えて、JYJのエージェントを引き受けているC-JESエンターテイメントのペク・チャンジュ代表は
"JYJだからワールドツアーが可能だった。彼らの人気は世界のどの国も単独公演が可能なほどにすごい。私たちは自信を得て、ノウハウを得られた。これがまさに来年のツアーが期待されている理由だ" と述べた。
韓国メディアでは、これまで彼らの歩みについて "K-popブーム" という表現を使いながら、彼らだけの "K-pop" に便乗させて報道してきた。しかしJYJのワールドツアーは、記事の冒頭でも言ったように、現在、世界のあちこちで開かれる "音楽放送式の団体公演" ではなく、ひたすら "JYJの音楽" だけで繰り広げられたという点で大きな意義を置かなければならないだろう。ファンが表現するように "K-pop" ではなく "JYJ-pop" で作り上げた結果である。だがこのように韓国のアーティストで初のワールドツアーを成功させたJYJに、国内放送界の視線は冷たい。
大型企画会社の小言に彼らの名前は言及さえできないのがJYJの現実である。
まるで映画 "ハリー·ポッター" に出てくる "ヴォルデモート" のように。
彼らの自由な芸能活動を法的に保障する内容の仮処分結果が出て1年経った今の時点まで、まだJYJは歌手としての放送に出てきたわけではなく、ドラマ出演と演技大賞の祭典の舞台と大邱(テグ)陸上選手権大会が全部であった。しかし、これさえも放送直前まで安心してJYJの出演を見ることができないのが現実だ。
海外では国賓待遇を受けるほどに、グループはもちろんメンバー個人的にも人気を得ているが、国内では歌手ではなく演技者とミュージカル俳優としてメンバー1人1人の活動がより浮き彫りにされている現実である。
もちろんJYJというグループとしての人気もすごいが、歌手にもかかわらず、思うようにアルバムを発売できず、音楽番組に出るのは夢も見れないでいる現実が残念なだけだ。
今後、前・所属事務所であったSMエンターテイメントとの訴訟がどのように更に行くかは分からないが、一日も早く彼らが自由に番組で歌う日が来ることを期待したい。
パク・ジヒョク記者:jihyuk.park@ topstarnews.net/提供および報道資料Report@TopStarNews.Net
訳 Japan FanCafe JYJ TheirRooms sora
http://www.topstarnews.net/n_news/news/view.html?page_code=&area_code=&no=7516&code=netfu_44711_17340&s_code=netfu_95234_19777&ds_code=20110906113956_5054#.T1_stNw2Bxc.hatena
2012年03月13日
もみくちゃ
・・・だったようですね
彼らは、警備泣かせなのですよ・・・スタッフが彼らの安全のためにできるだけ混乱を避けようと万全の準備をするのですが、彼らは逆にせっかく来てくれたファンの気持ちに報いようとする
チリでは、組織されたファンが安全に迎えるための鎖の輪を作って待っていてくれたようですね・・・ちょっとした行き違いで無になったようで残念でした
ペルーでは、3000人ものファンたちが集まったとのこと・・・空港警備がピリピリするのももっともです。
事故に繋がるのでね・・・考えなければいけませんね・・・事故が起きたら彼らも悲しむしダメージも大きい
昨年日本に来た時も、準備したVIP専用通路を用意していたにもかかわらず皆さんに会いたいとファンの待つ方に向かったそうです
私は、安全が確保されるという条件付きですが・・・きちんと組織され整然として待つという条件付きですが・・・個人的には、彼らが空港でみなさんと会うというのはいい事だと思っています。
昨年、ジェジュンがスタッフだけに見送られてヨーロッパに旅立ちましたね。空港にファンは一人もいなかった・・・私は、その時の様子を聞き・・・いくら滞在が極秘だったとはいえ、本当は寂しかったんじゃないかと思いました。
そして今、南米ツアーが盛り上がっている一方、お留守番組のみなさんはいろいろと心配するできごとがありましたね・・・
私の方にも心配のあまりたくさんのコメントが寄せられておりますが、彼らと一緒に苦しむのではなく、彼らにはいつも笑顔を見せる事が大事なんだと思うのです。
その際、何も言う必要はないんですよ・・・「心配しないで!私達がついているから!」・・・とか言うと、あ~心配かけちゃったなぁと思うでしょ・・・そういう彼らですから
私は、親のような気持ちでただ笑顔で迎えればいいと思うのです。
彼らが、帰国したとき・・・ソウルでは、そうあって欲しいなと思います。
「お帰り・・・ほら、今日はお前の大好きなカレー作っておいたからね」・・・あ、こんな事で喜ぶのは、私くらいか? 結構、私は単純なもので・・・ん?単純すぎるって? ほっといてんか 笑
彼らは、警備泣かせなのですよ・・・スタッフが彼らの安全のためにできるだけ混乱を避けようと万全の準備をするのですが、彼らは逆にせっかく来てくれたファンの気持ちに報いようとする
チリでは、組織されたファンが安全に迎えるための鎖の輪を作って待っていてくれたようですね・・・ちょっとした行き違いで無になったようで残念でした
ペルーでは、3000人ものファンたちが集まったとのこと・・・空港警備がピリピリするのももっともです。
事故に繋がるのでね・・・考えなければいけませんね・・・事故が起きたら彼らも悲しむしダメージも大きい
昨年日本に来た時も、準備したVIP専用通路を用意していたにもかかわらず皆さんに会いたいとファンの待つ方に向かったそうです
私は、安全が確保されるという条件付きですが・・・きちんと組織され整然として待つという条件付きですが・・・個人的には、彼らが空港でみなさんと会うというのはいい事だと思っています。
昨年、ジェジュンがスタッフだけに見送られてヨーロッパに旅立ちましたね。空港にファンは一人もいなかった・・・私は、その時の様子を聞き・・・いくら滞在が極秘だったとはいえ、本当は寂しかったんじゃないかと思いました。
そして今、南米ツアーが盛り上がっている一方、お留守番組のみなさんはいろいろと心配するできごとがありましたね・・・
私の方にも心配のあまりたくさんのコメントが寄せられておりますが、彼らと一緒に苦しむのではなく、彼らにはいつも笑顔を見せる事が大事なんだと思うのです。
その際、何も言う必要はないんですよ・・・「心配しないで!私達がついているから!」・・・とか言うと、あ~心配かけちゃったなぁと思うでしょ・・・そういう彼らですから
私は、親のような気持ちでただ笑顔で迎えればいいと思うのです。
彼らが、帰国したとき・・・ソウルでは、そうあって欲しいなと思います。
「お帰り・・・ほら、今日はお前の大好きなカレー作っておいたからね」・・・あ、こんな事で喜ぶのは、私くらいか? 結構、私は単純なもので・・・ん?単純すぎるって? ほっといてんか 笑
asian9437 at 17:02|