日本人はもっと世界へ出よう。

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海外に出て、国際人として活躍しよう。

海外で抗生物資の偉大さを知る

2016-01-09 10:55:16 | 日記


フィリピンに駐在していた時のこと。
大阪に本社があり、工場をマニラに持つ会社で私は勤務していた。駐在2年目のころ歯の健康診断に行こうと思い立ち、現地の歯科医院に行った。私の歯は1本を除いて優秀だ。この1本というのは高校生の時虫歯で抜歯したもので、ブリッジをしていた。
特に痛むところはない。ブリッジの調子が少し変でメンテナンスしてもらおうと思って行ったのであるが、命を失いかねない大変な目にあった。

会話は英語で行う。ブリッジをはずした内部が虫歯になっているとのこと。 フィリピン人歯科医師は虫歯になっていますと言って、そのあと何も説明もなしで治療をしだした。麻酔を打ちペンチらしきものでなにかやっている。 歯を抜いている。この歯科医師はなんの説明もなしに、私の虫歯になっているという歯を抜歯していたのだった。

そして治療が終わった。1本抜かれてしまった。 フィリピンでは、歯科医師の主な治療法は抜歯だと聞いたことが有る。虫歯で歯科医院に行ったらほとんどの医師は抜歯するそうだ。患者に断りも入れない。抜歯が最良の治療だと思っている。  確かに、フィリピンでは歯のない人間が多い。

治療が終わった。医師は薬を出した。この薬を1日3回、5日間飲んでくださいという。
フィリピン歯科医師に不信感を抱いた私はどうも薬を飲む気になれない。 1日分飲んだ後飲むのを止めた。すると、私の体に大変なことが起こった。抜歯手術した箇所に菌が入り込み、化膿した。 菌の増殖はすさまじいと形容してよいほどで、顔は腫れる、何やら化膿しているにおいまでしてくるといった事態になり私は怖くなった。歯科医師に電話をしても出ない。

会社の友人は私の異常を知り、「抗生物質」を飲めという。 抗生物質は体内に入った菌を殺す薬で、薬局に売っている。処方箋は不要。だれでも買える。薬の名は「Cefarakishin 」セファラキシン」という。薬代は約1000円程度。取りもとりあえず、購入し飲んだ。すると、劇的といってもよいほど快方に向かった。腫れは収まり、化膿しているにおいも消えた。
後でわかったことだが、もし抗生物質(殺菌する薬)をのまなかったなら、私は命を失っていただろう。細菌症で亡くなるケースは多いらしい。

抗生物質とは何か
抗生物質とは何かを調べてみた。それは、「ペニシリン」という。1928年細菌学者イギリスのアレクサンダー・フレミング によって発見された。かれはペニシリン発見の功績でノーベル医学賞を受賞した。過去先人は様々な功績を残してくれているが、人類最大の功績は「ペニシリンの発見である」と、私は思う。 フレミングによって発見されるまで、人は人体に侵入してきた強力な細菌には無力であった。 怪我をして傷口から菌が血液を介して体に侵入してきた場合多くの者が命を落とした。 第一次世界大戦時、莫大な兵士が細菌症で亡くなった。ペニシリンが発見されたたおかげで、人間の寿命は飛躍的に伸びた。 人類史上最も偉大な発見だといえる。

ペニシリンとは何か。それば 「カビ」だ。お餅を放置しておくと自然,表面に曇りが発生する。それは カビ。 日常何気なく接する カビ。 このカビが白血球でも対抗できない強力な細菌を死滅させる。
 フレミングは研究中、ガラス皿上の細菌がたまたま飛来して落下したカビの胞子によって死滅しているのを発見した。
そう、細菌を死滅させるペニシリンとは 日常見かける「かび」だったのだ。 カビが、人を殺してしまう強大な細菌を殺すのだ。
すごいことだ。私は手を合わせて感謝する。

自然界に発生した細菌は、また自然界に発生したカビによって死滅させられる。これが発見されたのはつい90年前の1928年のことだ。

私は、フレミングの功績により、死をまぬかれた。なんて素晴らしい発見なのだろうと思う。
ペニシリンが発見されるまで、ちょっとしたキズで、菌が入り、そのまま亡くなってしまうという時代が1928年で終わった。
私たち現代人が健康で長生きできるのも、先人の功績のおかげである。

私は自称、素人神道研究家である。
この 「細菌」と「ペニシリン」の関係は、「魔」と「神」の関係とも言えると思う。

神の働きとは、産もう。育てよう。成長しよう。生きよう。成功しろ。という目に見えないエネルギー。
一方、魔の働きとは、神の作ったものを破壊しよう。殺そう。つぶそう。汚そう。無くそうとするエネルギーと言える。

ペニシリンが発見されるまで、人類は死を恐れた。しかし、ちゃんと、神というエネルギーは存在していた。ペニシリンは人間が作ったものではない。大自然界に存在している有機物質だ。
ペニシリンを存在なさしめた根源はなにか、それは、生きよ。生きるんだ。負けるな。という大自然界の意思の表れであると私には思えてならない。
偶然の産物であろうか?カビは。 決してそうではない。意思がある。 お前たち、これを飲め、そしたら病気が治って健康になれるよという、意思が存在するのを感じる。
カビは有機物、生命体、微生物だ。「意思」がそこにある。 私たちは、大自然界の意思によって生かされている。


私の命を助けたペニシリン、セファレキシン






カビが細菌を死滅させている様子がわかる。


セファレキシは緑色のカビ から作られる。


私たちは カビ に接したとき、どういう感情を持つだろうか? 気持ち悪い??
しかし、この カビこそ 人類を、何百万、何千万という人の命を救ったのだ。

セファレキシで私の体を破壊しようとした、細菌は死滅した。
セファレキシに私は「神」のエネルギーを感じる。生命を生かそう、育もう、守ろう、という、目に見えない「意思」を感じる。

大自然界の生きよう、生きるんだという意思、見えないエネルギーを、古代日本人は「神」と呼んだ。
生命を存在させようという大自然界の意思。その意思を「神」と日本人は呼ぶ。
ペニシリンを知って、私を生かしている、「神」に私は感謝と温かい、明るい気持ちになる。発展的、希望に満ちた気持ちになる。
そう、「神」は喜び、感謝、を表す、現に今ここに、そこに存在する。

神は魔に勝つ。魔は神にはかなわない。 生きるとは神の意志のそのものだ。
私たちが生きているのは、神の意思だ。”お前たち、しっかり生きるんだぞ。頑張れ、負けるな。生きるんだ。子孫をつなげ。発展しろ。成功しろ。豊かになれ。”
そういう、目には見えないエネルーギ―が充満していることを、私は感じる。

生命の謳歌
この世は神の創造物。破壊と創造。死と生。神とは生と意味し、魔とは死を意味する。神と魔、生と死は表裏一体で現に存在する事象。

イギリスは世界人類社会に最も良い功績を残している国だとペニシリンを知って思う。


現在、抗生物質はフレミングが発見したカビ由来のペニシリンをきっかけにして、さらに改良、改善され、第一世代、第二世代抗生物質と発展し、様々な抗生物質が開発されている。

私たちは体調が悪い時、歯が痛む時、病院や歯科医院に行く。そして薬が処方される。処方される薬の多くは、「抗生物質」だ。
抗生物質の働き、開発歴史を知った私は、その偉大性に感動する。

医師にアンケート調査が実施されたことがある。
最も人類に貢献した有益な薬剤は何か?
「抗生物質」が二位を大きく引き離して一位であったという。





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スイス人一家を訪問

2015-09-19 15:05:13 | 旅行

あるスイス人一家を訪問
スイスは欧州の中央、アルプスに位置する国で面積は日本の九州くらい、人口は800万人。
私が日本にいたころ、スイスは小国というイメージだったが、実際は世界最高の国際競争力を持つ国だ。
精密機械、高級腕時計、はスイスの主要産業。 
国民の一人当たりのGDPは42,000ドル。一方日本国民一人当たりのGDPは36,000ドル。日本よりも豊かな国スイス。
 
マニラにいたころ、スイス人と縁ができお宅をお邪魔する機会が有った。
彼は、服装、風格からして他欧米人と異なる気品があり、富裕層という感じだ。
英語も丁寧なイギリス英語を話される。
この一家はマニラから1時間のところにあるアラバン市に住んでいた。家を訪れるとあっと驚く豪邸。プール付き、庭園が美しい。企業家だそうで、大変な富豪だ。
なぜスイス人が豊かなのか、興味をもち調べたところ、日本と共通するものがあり、スイスに親近間を抱くようになった。
かって国際競争力のある産業がなかった地方の貧しい国スイスがなぜ、世界に冠たる最高に豊かな国になれたのか。



「嘆きのライオン」フランス革命
19世紀の欧州は戦争が多く、多くの雇い兵、傭兵にスイス人が応募し、傭兵からもたらされる外貨はスイスの主要な収入になっていた。
ある一家の兄弟、お兄さんがドイツの傭兵、弟さんがフランスの傭兵になり、ある戦場で、兄、弟が戦うという場面に遭遇。兄弟が敵になり戦闘になったとのこと。
これを知ったスイス人は嘆き、もう傭兵は止めよう、傭兵に出なくても生きていけるよう産業を作らなければいけない。 国を挙げて富国強兵に乗り出した。
この嘆きは「嘆きのライオン」としてライオンの彫刻があり、有名なスイスの観光地になっている。
そして、精密機械、ロレックスなどの精巧な腕時計を生み出し、世界でも指折りの国際競争力を持つ富裕国になった。 




一方日本も、敗戦時の最貧国の時代に、民官をあげて産業勃興に力をいれ、自動車、工作機械、電子機器、世界競争力ある産業を生み出した。
スイスと日本、なにか共通点があるように思える。
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タガイタイ紀行記

2015-04-26 08:24:44 | 旅行
タールビスタホテル
創設は1938年。高原都市タガイタイに所在し、タール湖が見渡せ、庭園が大変美しい。





タガイタイはマニラから南へ約60km、標高700mにある街で、有名な避暑地として知られる。
日中平均気温約25度C、夜間は20度くらいに下がる。
マニラの暑さ,喧騒さに日ごろ身を置く私にはオアシスなように思え、南フランスのようなロマンがある。

とても爽快だ。

訪れたのは、タールビスタホテル。4☆ホテルでタガイタイ随一の高級ホテル。
混雑もなく、とてもリラックスできるホテル。
宿泊しなくても庭園、レストラン、教会に出入り自由。
ホテルからタール湖の絶景が見渡すことができる。
タール湖は火山の噴火でせき止められてできた火山湖。

庭園内に洒落た教会があり、賛美歌が聞こえてくる。
クリスチャンではないが、耳を傾けていた。



ホテル、庭園、教会、全てが絶妙に調和し、うまい設計だ。
非常に洒落て垢抜けしている。

ホテルのロビー



光が美しくロビーを照らしている。

老白人紳士のさわやかな笑顔
タールビスタホテルにはアジア系、白人系の顧客が多い。
彼らのそばを通ると、英語、中国語、韓国語が聞こえてくる。

白人のお年寄りが楽しそうに談笑している。
彼は足が不自由で、付き添い女性に支えられながらタール湖の見えるところまで歩いていった。
その顔にはシワが深く刻まれていた。楽しそうに笑顔を作り、遠くのタール湖を眺める表情はとても豊かで良い顔をされている。
老年後期に入り過去生きた歴史が深く刻まれたシワに凝縮されているかのようにも思える。彼は深くため息をつきながら満面の笑顔でタール湖を眺めていた。
老年になっても美のある白人紳士、タール湖の美しい自然とその深く刻まれたシワ顔が、とても爽やかで印象的だ。
若い人たちもいる。しかし彼らは老紳士のようにタール湖の大自然に接して満面の笑顔を作らない。
老白人紳士には少年のような無垢純粋な美があった。 老紳士はきっと素直な誠実な人生を送ってこられたのであろう。大自然の美の前に純粋になれる。そこから笑顔、喜びが生まれる。

タール湖に浮かぶ休火山







ホテルの庭園


タールビスタホテルの外観




タールビスタホテル歴史案内



タールビスタから車で30分の観光名所




レストラン

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傘を買ってくれた銀行員

2014-04-06 15:04:28 | 日記


マニラは雨季に入ったようだ。 ここずーと1週間、曇り空、雨。
今日、大雨。 豪雨かと思えばおもむろ明るくなって、日が射してくる。
しばらくして、また雨。 熱帯地方独特の強い雨。 スコール。 しかし、不安な感情には襲われない。
日本で豪雨が来ると不安さがよぎるのとは対照的なマニラ。
マニラは暑いため、雨が来ると気温が下がり心地良い。

私は銀行にいた。
腰掛けて待っていると、ザザー、バタバタ、激しい音を立てながら雨が降ってきた。
止まない、~止まない、~雨。
帰るに帰れない。
待つ。待つ。待つ。一向に止まない雨。
私には傘がない。

豪雨はさらに激しさを増してきた。おやっ。窓から見える外の風景、道路の様子が変化してきた。
道路が冠水し出した。ドンドン水位が上がってくる。30cm。50cm.80cm....
ええっ? ナンですかこれは?と叫びたい心境。 
子供が飛び込んだ。水位は胸辺りに達している。 私は帰れるのか不安になってきた。
銀行内の様子はいたって平静。行員は黙々仕事をしている。電話で話している行員もいる。

内心はらはらしつつも、落ち着いた表情を無理に作り、
手持ちぶたさそうな守衛に声を掛ける。
「いつ止むんでしょうね、この雨」
「Don't worry,it will stop soon」
「私、傘がないんでね、帰れないんです」と言うと、
「No problem sir,wait」
と彼は、歩き出し、窓口の女性になにやら声を掛けている。 
ンっ?ナに?
女性は席を立ち、歩き出した。「ちょっと待ってください。傘を買ってきますから」 と私に声を掛け雨の中を出かけていった。 
”えっ、傘を買う?私のために?”。 ンっ

しばらくして帰ってきた彼女の手には傘が握られていた。服が濡れている。
”「Sir,here you have umbrella!」"
ありがとう。ありがとう。私はどんな表情を作ったらよいのか戸惑いながら、誠意いっぱい、礼を言おうと心は はせるのだが、言葉はうまく出てこず、ただ、目をギンギンさせて、Thank you!と言った。
傘代100ペソ渡す。

日本ではありえない出来事。 
~~~
傘をさして、私は外に出た! あっ、冠水しているのは銀行前50mくらいのみで、左右に目を投げると向こうには車が列を成していた。
銀行前の道路は土地が低くなっており、周囲の雨水がなだれ込み冠水していたのだった。車列はおとなしくきれいに並んで待っている。水が引くまで待っているのであろうかと思うと、可笑しさがこみ上げてくる。銀行内が平静だったのも理解できた、毎度のことだったのだ。

女性行員は冠水した道路の中、どうやって傘を買いに行ったか? それも外に出るとわかった。 山岳地帯を探検するとき絶壁に体を沿わせて進む場面がある。 まさにあれ。建物沿いに体を沿わせて、小さな足場を頼りに私はようやく冠水していない道路まで脱出できたのであった。都会で探検しているような心境になる。

フィリピンらしい出来事。

家に着くころ雨は止み、日が射してきた。オレンジ色の夕日がマンションを明るく照らし出している。
ほのぼのと、今日の出来事がよみがえる。さわやかな女性銀行員の顔、気を使ってくれたガードマン厳つい顔がよぎる。
今日はすがすがしい一日だった。
~ ありがとう。 ~.~





ケソン市トーマス通りでの出来事
本稿は2013年6月に初寄稿したもの。







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久々の日本帰国、浦島太郎

2014-02-26 11:39:38 | 日記
久しぶりの日本帰国
3年半、フィリピン、バンコク、上海と海外に滞在し、久しく帰っていなかった母国、日本に帰国した。
日本にいたころ当たり前であったことが、何も感じなかったことが、とても新鮮に見える。
なんて、日本は素晴らしいのだろう、日本はすごいと思うことを数多く発見する。浦島太郎になったような気分である。日本再発見。
日本へ観光で入国する外国人は数百万人を超えるといわれる。もっとも多いのが中国人、そして韓国人、インドネシア、マレーシア、米国、英国と続く。
彼らは、一様に日本に関心し、感嘆する。 ある高年イギリス人紳士は日本に来た印象をこう述べている。「私は未開の後進国から、未来の国に来たようだ」と。 彼は新幹線、都市交通機能、地下鉄、鉄道、インフラの進歩に驚いた様子である。 確かにそうだ。東京、大阪ほど都市交通機能が大規模に発達している国は、世界中、どこにもない。その規模においてまさに、日本は世界一である。
毎日当たり前のように電車を利用して勤務先に出勤、学校に登校する。関東だけでもその数1000万人を超える。世界から見ると、これはすごいことである。

フィリピンに長くいたが、フィリピンのインフラ、都市交通機能は日本より、100年遅れている印象だ。そもそも、フィリピン人に鉄道を作ろうという意識がない。 われわれはこれでいいのだ。といっているかのようだ。鉄道があれば30分で行けそうな距離を彼らは1時間半かけて時刻表もない、当てにできないバスで通勤している。たまに、停滞で数時間遅れることもある、すると、「今日は仕事できないね、休みだ、帰ろうか」。こんな調子である。

タイのバンコク、インドネシアのジャカルタは、フィリピンより進んでいる。日本を目標として国を挙げてインフラ整備に取り組んでいる。 中国は気候が日本と似通っているせいか、日本との共通項は多い。しかし、政治システムが日本とは多きく異なる。中国は日本に追いつき追い越せと、日本を非常に意識している。日本を超えることを目標としているようだ。中国はGDPで日本を追い越したといわれるが、一般民衆の生活ぶりを見ると、中国は日本より20年は遅れている印象だ。

日本はアジア一の豊かな国であるし、日本人はアジア一の富裕民族であることは疑いのない事実である。二位の中国、韓国をまだまだ大きく引き離している。日本の発展はアジア全土によい影響を与えている。

しかし、日本に帰ってなぜか私は落ち着かない。 食事はおいしい。日本食は実にうまい。 世界にない入浴の習慣。お風呂が楽しい。
四季が美しい。 交通が便利。どこでも電車、バスで行ける。 わが母国、アジアの雄、日本国。 
しかし、なぜか、私は落ち着かない自分を見出す。電車に乗る。前の人、前に立っている人の表情は暗い。きちんと時間通りに会社に行かなければならない。豊かだが、何かに縛られている。本当の意味での自由のない民族、日本人。そんな印象を持つ。日本人は幸せだろうか?幸せ指数を数字で表すことが出来たら、日本はアジア諸国になかでは点数は低くなるかも知れない。 豊かさとはなんだろう? それは、人生は楽しいと味わえるかどうかではないだろうか。物質的にはもちろん、見えない心の豊かさを、日本人は忘れている、そんなことを思う。

私は東京、八王子に住んでいる。多くの家が建っている。家、家、家、しかし人の気配を感じない。 まるで、ゴーストタウンの印象を感じる。
各家にはそれぞれの生活があるのだろう。なぜか、母国日本にいると寂しく感じる。

日本は何か大切なものを忘れてしまったように思う。 それは人の絆。 アジアは貧しい。フィリピン、インドネシア、バンコク。かの国は音、喧騒、人の生活臭を感じる。

昭和のころ、日本が貧しかったころ。そのころ、町には子供があふれていた。公園にはいつも子供がいた。家族の絆。人と人との絆は強かった。

今、豊かな日本。アジア一の富裕国日本。この国では人の絆が希薄になってしまったような印象を持つ。

私は本当に、浦島太郎になってしまったのだろうか。





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