私の択んだ道はまちがいでなかったと思えた日があったことを
一早くお伝えしなければと 4年後のブログをアップしました
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重たいわだかまりが吹っ飛んで (2010-06-27 の自分史より)
食事介護にスプーンを使いました。
お箸をその前まで使っていたので、指の筋が
使い痛みを起こしたようでした。
右利きですから何をするにも右腕に負担がかかるようです。
日記の更新をお休みしようと思っていたけど、昨日は
長男の誕生日だったので電話をかけてお祝いの心を伝えたのです。
4年来の心の奥の重たいわだかまりが吹っ飛んで、
爽やかな風が吹き抜けたような一瞬を感じました。
涙さえ浮かんできて、ウルウルしていたことを記憶に
留めておかなくっちゃ~と思ったのでした。
母の認知症が表に出てき始めたのは82歳の頃でしたから
10年前になります。
定年までの5年間は月に一回だけ帰省して
掃除やお金の支払いなどをして、後は福祉の
お世話になって過ごしていました。
いよいよ定年退職を迎えた時に実家の母と義母は
同じ大正5年生まれなので、同じように半分ずつの親孝行を
させてもらおうと決めました。
半月ずつ移動して庭掃除や家の片付けを中心に励んでいたのです。
これが最大の私の出来る親孝行の遣り方でした。
実家は4人姉妹ですから、私が半月介護して残りの半月は
3人の妹が交代で帰り、ショートステイを
利用したりして過ごしていました。
奈良の家は長男家族と同居でしたので、
9人の4世代の大家族です。
義母が寂しい不自由な思いはしないだろうと
高を括っていました。
これが大きな誤算でしたが、これ以上の譲歩はできないと
決めていました。
私が実家に帰省している間、義母が連れ合いや親類に
悪口雑言を並び立てていたことを知らなかったのでした。
嫁の勤めのできない人間は返せ!
実家のことばかり大事にしすぎる!
私には老人ホームに行けと言うくせに、
在宅介護を親にはさせて・・・
私には直に誰も何も言わないから全く義母の
気持ちの乱れを知らなかったのです。
2年間くらい半月交代の介護が続いていた4年前に、
美容院で地域の人の噂話を初めて聞かされて、
落とし穴にはまってしまいました。
実家の母親ばかりを大切にする鬼嫁だと面白おかしく
私と義母が尾ひれつきで噂されていたのでした。
人の口に戸は立てられないし、介護を止めるか介護を取るか、
連れ合いとその夜遅くまで話し合いました。
35年間きれいに勤め上げたお前の名誉まで傷つけてしまうから、
どちらでも良い。お前が択べ。
そこで私は独居で長い間不安な生活をしてきた母を択びました。
奈良の家には私が抜けても8人の家族がいますから。
遅かれ早かれ実家の介護に専念するようになれば、離縁となるのは
想定内のことですから離婚届に判を押して、整理ダンスに入れて
大分に来たのが4年前です。
半年ほど過ぎた時に、向こうの市役所から離婚が受理されたと
通知を受け取りました。
”実母の介護が終われば、奈良に帰る”と決めていますが、鬼嫁だと
義母がののしる屋敷には足を入れたくないというのが本音でした。
まるで伏魔殿というイメージですから、足がすくんでしまいます。
私の存在を必要だと思ってくれるのなら どこにでも喜んで
いきますけど、今は連れ合いとの話し合いで確かめようと
思ってはいるのでした。
長男と昨日ひとしきり近況報告など交換し合い、
電話を切ろうとした時に、
「おかやん、あのな!
おばあちゃんのことやけど・・・」と言う声が聞こえました。
「えっ?おばあちゃん~?
今は特老にいるんでしょ?」
「うん。 最近いつもやけど面会に行くと、お前たち孫がいつも
良く来てくれるし、わしは嬉しいといって泣き始めるんや~。
お母さんにわしは申し訳ないことをした。悪かったと謝っていると
ついでの時に伝えて欲しいと泣くんやで~」
「ああ、そう(*^_^*)
お前の口から嬉しいことを聞くことが出来て、
今日電話したことがとても値打ちあるものになったわ。
母を追い出す羽目に追いやったのは 自分だったと
気がついてくれたんやねえ。
過ちを悔いているのに許してもらえないのは辛いだろうから、
今度行った時に ”誕生日にお祝いの電話があったので、
おばあちゃんの気持ちをおかやんに伝えたからな~”
と 安心させてあげてな。なんとも思ってないから~って(*^^)v」
嫁は身分の下からもらうもの~
義母の体質には旧い考えがいっぱい詰まっています。
優しさを嫁に示す必要はない!と信じ込んでいる
井の中の蛙的義母でした。
詫びる気持ちで涙を流すとは、
よほどのことだと思いました。
優しさを私に示したことなど一度もないと断言できる
38年間でしたもの。
連れ合いの命を見守る使命感で過ごしてきた
38年でしたから、私はそれだけで満足なのです。
伏魔殿の濃霧が消えていくのを息子の電話で感じました。
涙がうっすらとその後、心のわだかまりをも
消し去ってくれたと感じていました。
重たい暗い気持ちが軽やかになり、私の択んだ道はまちがいでなかったと
2008年の終わりに胸を張って言えることを
いつまでも覚えておきたいのです。
明るい年を明るい気分で爽やかに迎えることができます。
介護の終盤にいよいよ向かい、正念場の日々が続いていますが、
いたって楽天的な性格ですので 粘り強く確実に進んでいけそうです。
たくさんの励ましをいただきながら 失礼ばかりを続けている心苦しさは、
また必ずお返しできる日があると確信していますので、
気長くこれからもお見守りくださいね(^^)/
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ
体の痛みも消えつつあります。
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