九州の実家に母の介護で単身赴任で帰り始めた当初
祖母の見舞いに訪れた息子が
「37年の勤めを終えた母には 生きるコツがあったと思うから
ぜひこれから就職する自分に教えてほしい!」と言われました
大阪で戦時中に産まれ 疎開して父の実家の大分で育ち
奈良で青春時代を過ごし 東京の養護施設に就職して
25歳で結婚・・・ 62歳で介護に専念となりました
そして 4姉妹の長女の責を務めている現在です
思えば波乱万丈の道程でしたが 愛しい歳月でもありました
自分史の半生をまとめてみようと思いつきました
目次もつけてないので読み返すことは断片的にしかできません
アクセス解析のおかげでピッタリの記事内容に出会えた時の感動は
得も言われぬ満足感に包まれます
今朝も‘ありがとう’の感謝を込めて 思い出の余韻に浸らせて
いただけました
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座右の銘(2006年4月の自分史より)
昨日の朝は雷と大雨の中をクウと散歩してきました。
教え子のふうちゃんには
「残念だけど大雨なのでメールが出来ないからね~」
と 連絡を入れておいたのです。
高校野球も中止となっていたから関西も雨だったに違いありません。
すんなりと「では明日~」と返信があったから、す~っと一安心。
昼からは予報どおりに晴れ間が出てきて、午後の散歩は
突風は残っていましたが傘は要りませんでした。
ツクシが伸びて新しく若々しいのがずらりと並び、誘惑に負けて
ツクシ採りを始めてしまったのでした。
クウはその間自由遊び~
広い田の中を疾走していました。
「クウ、お座り~」と大声で呼ぶと慌てて姿を現し
一目散にやってきます。
クウのご主人様は私なのだとうれしくなりました。
二人分のツクシはすぐにいっぱいになり、見上げると山桜が
5分咲きで金茶色の若芽とともに 静かに岩肌に
3本咲いているのがみえました。
2本は崖の頂上付近にあり、その真下に1本~
人は登れない岩山なので、そこに静かに何十年も在るのです。
人っ子一人いない大自然の中で、私はしばらくじっと見入っていました。
何時間も静かに時が流れていった感じがしました。
おそらく5分も経ってはいなかっただろうけど・・・
”敷島の 大和心を 人 問はば 朝日ににほふ 山桜花♪”
”見ん人の ためにはあらで 奥山に 己が誠を 咲く桜かな♪”
山桜を前にすると、幼い頃からご詠歌や今様の好きだった
母が愛唱していた 和歌が浮かんできます
「だれ一人として見てはくれないだろう奥山にね、山桜はひっそりと
精いっぱいの力で咲き匂っているのよ~
褒めてもらうから頑張るのではなく、どこにいても
自分の真実を尽くせる人になるのですよ~」
山桜の教えは強烈に生き続け、毎年山桜を前にすると
しみじみと母の声が思い出されてきます。
教え子のサイン帳にも 好んでこの歌を書いてきました。
私の座右の銘なのです
今朝は朝日に輝く山桜を静かに鑑賞してこようと思っています。
今日は岡城の桜を見に 母とドライブの予定を立てているのですよ。
花の盛りを愛でてきますね(*^^)v
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今朝の癒しをお届けしますね(*^-^*)
高尾の香りです
ヒットパレードです
朱月です
白乙女です
マーガレットデービスです
孔雀です
五色八重散り椿です
黄木蓮です
紫花菜です
ドウダンツツジです
アリアケカズラです
久留米ツツジです
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