平成16年10月10日の義父の30年祭は 台風一過の晴天に恵まれました
翌11日には 私の心の暴風雨も からりと晴れ渡り 見事な解決の展開を
連れ合いは‘義父からの贈り物だ’と言って示してくれたのです
聞いてくださいね
義父が亡くなって30年です
3人の孫が産まれたことを 殊のほか喜び安心してくれた父でした
異文化の奈良に嫁いできた私を 一番理解し見守ってくれたのが
連れ合いよりも父だったと思うくらいに 慈愛に満ちた眼差しで見守ってくれました
今も連れ合いがお墓参りを毎週欠かさない事からしても
結婚できた大きな力は 父の積極的な親類縁者への説得があったと聞いています
私たちの結婚を 我が事のように気にかけて下さっていたのです
3男が産まれた時に「これで我が家も安心、安心~」と大喜びでした
「孫の守りを二人でしてやろう~。嫁が勤めを続けられるように・・・」
と 母と話し合ってくれました
父と暮らせたのはわずか7年でしたが
大きな基礎固めをして 他界してくれたと感じています
家の格が違い過ぎ 生活習慣の違う異文化の私が根づけるのかと
父には大きな賭けだった事でしょう!
父が亡くなった後 しばらくして 村の総代の片腕として親交の厚かったMさんが
たくさんの父の言葉を教えてくれました
息子夫婦の幸せを 自分の事のように願って下さっていたのです
実家の母の一言と 義父の温かいアドバイスの支えで
今の私たちの生活があるのです
大恩を受けたと言う事は いくら語っても語りきれません
台風が上陸の近畿ですが 明日の準備の買い物に出かけようと思っています
父の大恩に報いたい気持ちでいっぱいです♪
ついでに美容院にも出かけてきます
明けて10日は 台風一過の晴天に恵まれ 滞りなく30年祭の勤めが終わりました
明日も休日なので 気分的には楽です
義父の30年祭を無事に終えた翌日 連れ合いから「ありがとう~」と
労いの言葉をもらいました
一昨日の美容院でのショックな出来事を やっと口に出来る落ち着きが出てきました
私の噂話を知らされ いきさつを先生に説明しました
「どちらの話も聞かないと 分からないものやねえ~」と
先生には分かってもらえたように思います
「自分の親の世話ばかりして わしには入院しろとか老人ホームに行けとか
冷たいことを言う とんでもない鬼嫁やそうな~~」と言う噂でした
堰が切れたように先日の悔しさをぶちまけました
連れ合いも かなり義母と私の板挟みになって 長い間悩んで居たみたいです
私が竹田に帰っている間 「実家のことに 力を出しすぎる嫁は返してしまえ~!」と
悪口雑言を連れ合いにぶつけていたようです
自分に文句を言うことで 気持ちを紛らせているのなら それを甘んじて受ければいいと
黙って聞き流していたといいます
息子が正しいと思っているから反論しないと思った義母は
家に来る人すべてに 腹に収めることが出来ず ひどい嫁だと嘆き聞かせるのでした
火事は大きく燃えさかるほど面白いのです
「あの物分りの良い分別のある奥様が こう言うたはった~
強い嫁はんやなあ~ ほんまに・・・
わいらには まねができひんけど、えらいよめはんやで~」と
「嫁は 親の介護に全く帰ることは許されないと言われるのなら、
私は離縁された方がいい
嫁の座に座っていたくはないわ」と本心を言いました
しばらく考えていた連れ合いが
「俺もお陰でここまで生きてこれて これからはお前を自由にしてあげよう~」
という 許しの言葉を出してくれました
「竹田に帰って5年か10年間、しっかり親孝行してこいや~~♪
奈良の親類や親や子供たちの事は 全部うまく采配を振るから~」
と 言ってくれたのです
「お前が立派に生きてきた名誉を 汚されることの防ぎようがないから、
一番良い選択をお前にしてやる!」
と いうのでした
第1幕の勤めを立派に果たしてくれたわけだから 第2幕は自由に生きろ!
名実ともに 天下晴れて自由の身にしてくれるそうです
フリーの好きな私のこと
これから始まる第2幕は どんな場面にしようかと案を練っているところです
ますます面白い人生が開けてきそうです
なってくる事を 私は素直に受け止めるだけ
明日は予定通りに 半月間の介護に出かけます
月の輪です
PS
置手紙のことづて欄が不具合中ですので、
コメントの設定を開始したいと思います。
皆様のお声を楽しみにお待ちしています(*^_^*)