2010年秋の自分史の中で印象深い場面に出会いました
「奇跡の中で生かされている命」だと教わりました
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花の水遣りをしているところに連れ合いから電話がかかってきました。
秋晴れのように澄み切った一点の曇りもない明るい元気な声でした。
「クサアジサイを日記にアップしてくれてありがとう!」
というお礼の電話でした。
お礼を言わないといけないのは私のほうで、
とても懐かしく具体的に身近に感じられて嬉しかったと伝えました。
母がトイレに行きたい素振りでしたので、いったん電話を切ってもらいました。
時間を見計らってまたすぐ電話をかけてくれて、
孫のことや前栽の様子などを教えてもらいました。
仕事に対する考え方や、自分の健康なども何の不安もなく
導き守られているのだと感謝の内容ばかりでした。
すべてが今日につながる道だったと難病で死を潜り抜けた強さを語ります。
生きているのではなくって生かされているのだと気づいたと言いました。
大学2年の夏に再生不良性貧血に罹り、あと3月の命だと
余命宣告をされた彼が
65歳を元気に人の2倍も3倍もの重責を果たしながら
爽やかに自信に満ち溢れて生かされています。
うちの会社は定年のない働きたいだけ働いてもらうことに決めた~♪
体が動かなくなったら、頭を動かしたら良いと話しているそうです。
大切なことは”有り難いという感性をもつこと”と断言していました。
己の心の欲するままに動くことで道が開け導かれている と
確信できているんだとも~!
命の終わりと向き合った者はものすごい悟りの境地を開くのだなあと
感じながら、相槌を打っていました。
「難病に罹ったことも喜びに換えられるって、すごいわねえ」
「心のひらめくままに行動すればいいと
導かれるままに進んでいるんや~
拾った命やから何もおそれることはないんやぞ。
お前も何も心配せんでも今が最高だと喜び感謝してたらええんや~」
明快な答えが返ってきました。
20年くらい前、彼の命は儲けの命だと感じていたことがありました。
東京の単身赴任を終えて ぼろぼろに疲れきって顔面麻痺を患い、
メヌエル氏病にかかり、高速道路の上で運転が出来なくなり、
待避線で息子夫婦に助け出されたころのことでした。
10年に一度は命の終わりを覚悟する事態に見舞われ、
私は通勤途中の車の中だけが泣き場所だと決めていました。
そんな夕方の車中で、八代亜紀さんの
「命の灯火がもうすぐ消えると知らされた~♪」と
言う歌が流れてきた時の気持ちは
おそらくいつまでも忘れられないことでしょう。
その頃、朝を迎えるたびに「儲けの命をいただけた~♪」
と 心の中に喜びを感じていたのでした。
昨日の電話の彼の言葉は まさしくあの時の有り難い状況の中で
感じた気持ちと同じだったのです。
当たり前の日を迎えたのではなく、
奇跡の中で生かされている命だったのでした。
今朝もまた生かされている命の有り難さの意味を
深く学ばなければと思っています。
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今日の癒しのお裾分けです
お元気でお過ごしくださいますように(^^)/
紺侘助です
清明です
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清玄桜姫です
玉之浦です
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