一生涯を貫く仕事
(2007年の自分史です)
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お父さん 教職の35年が終わり 早5年が過ぎました
人間相手の仕事だったので 出会いを大切にしたいと思って過ごしてきました
教え子との出会いを ブログの追憶に2ヵ月半かかって まとめてみました
激動の出会いであったり癒しの出会いであったり とても愛しい日々でした
中学生は真理を求める年代ですから 嘘やこちらの都合などを鋭く見抜きます
大人は汚いと よく口走っているのを聞きました
自分の弱さや醜さを隠さないで 語って聞かせることによって
心を開いてくれたように思います
私の前を通り過ぎていった たくさんの教え子たちは同窓会で集まると
中学時代の名物教師として思い出話が多く出るのは 私だと教えてくれました
「辛いことがたくさんあって その時はたいへんだと必死でがんばるけど
優しいという字を良く見てごらん!
人の横に憂いと書いて優しいという字ができているでしょ?
優しい人は辛い経験をしたものがなれるのなら 私は条件を満たしているわって
気付いたのです
それからはこわいものがなくなり なんでもドンと来いって 前向きに受け止めようと
逃げ腰ではなくなりました」と 話して聞かせる教師になりました
嘘偽りはすぐに見抜かれ ばれてしまいます
魂を揺さぶる話は 真剣に損得抜きで ぶつかったものに
与えてもらえる褒美だと思います
10年に1度は 荒れや揺れの大波が 中学校を襲います
その激流の中を流されていく教え子を 助けたいと命がけで闘ってきました
もしかして死ぬかも?と 感じた瞬間もあったほど 度胸の要る場面もありました
私がたじろいで 少しでも動いたら きっと野球の金属バットは
首筋に当たっていたことでしょう
学級の子どもを守るために 矢面に立って ベランダからの乱入を阻止したのです
家に帰ってその夜話すと「お前、無茶をするなよ~」と
連れ合いが言っていました
命の危険の前にもひるまない気迫を 見せ付けてやれました
市内の2校ともマンモス校になりすぎて 分離統合して新設校ができたのでした
その新設校に移ったので 同じ校区に31年間勤めたことになりました
教え子たちが親になって とてもやりやすい勤め場所でした
私のように3校で終わる教師は 少ないと思います
強運もあるけど 小さい時のすべての体験が 生きる上でのバネとなって
私を支えてくれていたのでした
「世の中で一番楽しく立派なことは 一生涯を貫く仕事を持つことです」
しみじみと福沢諭吉さんの言葉を思い出しています
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おかげで みんな元気です~(*^^)v
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