独り言を『ささやいていく』適当に!

後で『思い出すため』に書いたメモのようなブログです。

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎【アニメの感想】

2024-06-26 15:29:32 | ⑤長めの感想(映画+アニメ)

2023年のアニメ映画。強い抵抗感に襲われる感じる作品だった。

 

龍賀一族は製薬会社として世間での力をもっていたが、当主が死亡する。
一族と取引していた銀行員の男は、一族の住む村へと向かい。そこで妻を探す銀髪の男と出会う。

 

目的の違う男2人は、村で殺人事件を目撃する。そして村の隠れた秘密を知ることになるがという話。

1回目観た時に『銀行員と銀髪の2人』の男がよく分からないキャラクターだったので、観ていて少し苦痛を感じていたけど、2回目観た方が状況が分かりやすくなって印象が良かった。

銀髪の男は、目玉の親父。つまり鬼太郎の父親。目玉の状態になる前の彼。銀行員の男は、第2次世界大戦で日本軍とした戦った元軍人の日本人。

アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎;6期』の延長戦上にある作品らしいが『墓場の鬼太郎』のようにホラー要素が強くてグロテスク描写もあるので少し驚いた。

鬼太郎とネコ娘が冒頭と終盤に出ますが、それ以外は『鬼太郎の父』と『銀行員の男』を中心として物語が進んでいく。

世界観は横溝正史の金田一耕助の映画・ドラマを連想する。特に『八つ墓村と犬神家』。背景や権力者についての説明・演出方法も凄く似ている。

昔のアニメ版でも横溝正史の金田一耕助っぽい世界観な作品はあったりするので特に驚きはなかったが、気になるのは本作で『悪い妖怪』よりも『悪い人間』を強調して作られていることだった。

正直、それって『妖怪が主役と言えるゲゲゲの鬼太郎作品としてどうなの?』という疑問はあった。妖怪の印象が地味すぎる。

それと本作はテレビアニメ版の6期(+墓場の鬼太郎?)の延長にある作品のためか『知らない専門用語』や『設定』が出てきて、意味が分からない状態に陥る事が多々あった。知らない敵が登場して戦い始めるみたいな。知らないよ、誰だよ?みたいな。

観終わった後に思ったのは、強い抵抗感に襲われる感じる作品。それと1回目よりも2回目の方が印象は良かった作品だった(より違和感が明確にもなったが・・・)

この作品が鬼太郎の過去を描いた作品として『正史』になる問題は、スターウォーズについての『現在の揉め事』にも通じるところがある気がする。

 


ハケンアニメ【映画の感想】

2024-06-26 08:49:17 | ⑤長めの感想(映画+アニメ)

2022年のドラマ映画。俺にはイマイチよく分からない映画だった。

 

国立大から県庁、退職後にアニメ業界へ入った主人公瞳。
彼女の夢は人気アニメ監督王子よりも優れたアニメを作ることだった。

 

主人公『瞳』は新人監督として新作テレビアニメを作り、王子監督の作品と視聴率対決するという話。

タイトルのハケンアニメの意味は、最も成功するアニメ・覇権を取るアニメ・もしくはテレビ放送中のアニメ作品で視聴率no1になる意味。

観た時に感じたのは、大根監督の映画『パクマン』に少し近い感じ。撮り方と演出が何となく似ていて参考にしたのでは?と思った。

アニメは多数の人間が関わっているせいなのか、仕事の役割や名前の字幕が大量に出て来る。正直、字幕がうるさいが途中から字幕の量は減っていく。

そもそも転職で7年後に新人監督を任されるという設定に違和感を感じる。劇中で『彼女の凄さ』みたいなのもあまり感じない。彼女の才能が見えないので何となく作っていられる立場の人の話にしか見えない。

吉岡里帆が演じるアニメ監督は美人。そのため可愛い監督としてのイメージが強く、それはアニメ業界での『可愛い声優』『アイドル声優』と同じように見える。それにより実力が見えずらい。

声優、アニメーターの女性・女子としての描き方は、ある意味でポップ・大衆性を意識したような作り。分かりやさがあるけど、軽く薄いためアニメという材料・ネタとしての面白味は無い。

劇中では『2大監督』のアニメ作品対決が大々的に、そして過度に世間・日本社会で盛り上がっているように見えるけど、無名の新人監督と人気監督の対決としての経緯に弱さを感じる。

昔、アニメ映画で宮崎駿の『もののけ姫』と庵野秀明の『エヴァゲリオン』が対決することで盛り上がったことがあるけど、それは彼らに才能・カリスマ性があるからであって、そういう説得力が無い状況である本作では、非現実的でリアリティを感じない。

王子監督にしても、彼の凄さは分からない。なぜ彼が凄いのか?人気なのか?それらの細部ディティールは甘く、何となく凄いんだろうなーと雰囲気で話が進んでいく。

前述の通り、劇中で2人の監督が作るアニメ作品が視聴率対決するけど、問題は『そのアニメの出来はどうなの?』という疑問が出て来る。劇中で流れる『アニメ作品』が素晴らしい作品だと思えれば、本作にも説得力は生まれると思うけど、素晴らしい作品なのだろうか?

これについては、昔見た映画『ベック』問題を思い出す。誰もがなっとくするような素晴らしい『歌声』を映像と音で演出する問題だ。

漫画では絵は動かないし、音声や音もない。そのため誤魔かしが効くが、実写やアニメにする場合には、誤魔化しが難しくなってしまう。それと同じことを本作に感じてしまった。

しかし、普段からアニメを相当数観ているファン・オタクが素晴らしいと感じたら、それは素晴らしい作品なんだろうと思う。俺は『今・現在の』テレビアニメを観ていなし『状況』も分からんので判断が難しい。

邦画、テレビアニメ、アニメ映画をあまり観ていない俺にはイマイチよく分からない作品だった。

そういや、企業とのタイアップの件は、ジブリの高畑勲と天空の城ラピュタ話。王子監督のやりたいことは皆★しの富野由悠季を思い出した。アニメ会社を喧嘩別れで退社ネタも印象には残ったかな。けどそれは作品の小ネタでしかないし・・・。


ゲゲゲの鬼太郎のネコ娘が魔改造されていた【雑記】

2024-06-25 22:08:42 | ①雑記


ゲゲゲの鬼太郎の映画が去年公開されて、好評だったのは知っていた。

先日、動画配信サービスU-NEXTで、その映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』が見放題配信が始まったので観てみた。

ちなみに俺は、鬼太郎の3期(たくさん)4期(少し)墓場の鬼太郎(たぶん8割)は観ている。(記憶は曖昧だが。)

で、見始めて冒頭に鬼太郎と可愛い女の子が出ていた。誰だ?と思って調べたら、この可愛い女の子は『ネコ娘』だった。

どうやら、ゲゲゲの鬼太郎6期でネコ娘のデザインが大幅に変わったらしい。

個人的な感想は『・・・ん?』『違和感があるのだが?』だった。

ネコ娘って可愛い女の子ではなくて、ある意味『普通』だけど何か愛嬌があって普段は強そう。けど時々女の子として弱いところを見せるみたいな。それがネコ娘としての個性であり魅力だったような気がする。

ゲゲゲの鬼太郎(3期)で、妖怪も好きになってしまうような美少女『天童ユメコ』に対して、ネコ娘が嫉妬するみたいな
話も作品としての魅力を高めている理由だったような気がする(たぶん)

しかし、ネコ娘が美少女になってしまうと前述した個性や魅力は消えてしまう。そして、物語を作る上での『幅広さ』も失われるのではないかと思つてしまった。

もちろん、実際にゲゲゲの鬼太郎(6期)を観たら素晴らしい作品になっているかもしれない。しかし原作者『水木しげる』のネコ娘のデザインと明らかに違うような気が・・・・。

一応1期から5期までのデザインを確認したけど、4期までは大きな変化はなく、5期で少し可愛くしたが『ギリギリのライン』で守られてたが、6期で別人のように改変されたという印象だった。

どうなんだろうな、これ・・・気にしない人はいるんだろうけどさ。

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の感想は・・・・うーん・・・な感じだった。

 


motherマザーその②【映画の感想】

2024-06-24 23:23:21 | ⑤長めの感想(映画+アニメ)

※これは2回目の感想です。あらすじ等は1回目の感想に書かれています。


1回観た後にモヤモヤと違和感が残る映画だったので、今回見直すことに。

レンタルDVDで観たのだけど、途中でDVDが止まったりで観終わるのに時間がかかった。なぜだ?

見直して思ったのが『俺は史実を題材にしたフィクション映画が苦手』ということだった。

ただ、元にする史実の『登場人物を大幅に変えている』場合は、あまり気にならない。それによりフィクション性が高まるからだ。

そういう意味で、本作『マザー』は俺と相性の悪い映画だったと思う。

この前に観た史実を題材とした『福田村事件』よりも苦手だった。福田村事件は。大正時代の話なのでフィクション性が自然と高くなるが、本作は2014年の事件なので時代が近すぎる。

気になった点は以下。

①この映画は埼玉で実際に起きた『孫の祖父母殺害事件』を元にしているけど、『事件』自体は重視しているように見えない。重要なのは冒頭の実家、縁切り、終盤の事件自体だけ。事件までの物語を語りたかっただけに見える。申し訳ないけど事件の加害者と被害者軽視に見えてしまう。

②タイトルはmotherマザー、つまり母親『秋子』が主役のように見える。しかし彼女が息子を産む以前の子供時代、離婚などは『ほぼ』描かれることはない。主役の描きが弱いので、主役がよく分からん『ふわふわ』感が残る。劇中で描かれる秋子は、何となく描かれ、何となく物語が進んでいくみたいな感覚に襲われる。雰囲気でしかない。学校問題も不発になってる。

③『唐突に始まる物語や演出』が悪い意味で気になる。最初に気になったのは、秋子と彼氏が共謀して役所勤めの男『宇治田』を脅す話。子供暴行の嘘話で脅し、宇治田は自宅で刺され、宇治田は死亡したと思った秋子・子供・彼氏は逃亡。けど実は生きていました。以降は刺された宇治田に関する話は終わり、何もなかったように話が進む。刺される事件は大きなインパクトがあると思うけど、本作では空気のような何もないように対処される。『え?』みたいな

他にも

④色々な物語・キャラクターを入れた結果、何のために作られた作品なのか分からなくなっていた(学校と勉強問題とか)
⑤俳優のキャスティングミス。声がひっくり返り、ヒステリーな大声で叫び。無理やりテンション上げているようなお笑い芸人のギャグみたいな『困った演技』など。
⑥長澤まさみが演じることで『美人であることにより都合よく進む物語』になっている違和感。ある意味スター性みたいなのが足を引っぱってる感じ。

とか色々あった。

あと、どうしても耐えられなかったのは、秋子と2人の子供が生活保護を認められて生活が何とか安定している時に『いきなり安直に現れる』秋子の彼氏で娘の父親『遼』

彼が現れ秋子は拒絶するが遼は『帰るところが無い』とか言いながら『ダンス』を踊りだすシーン。

秋子と遼の出会いはゲームセンターのダンスゲームだったけど、何でいきなりダンス踊るの?ん?何?何これ?みたいな。適当だなーみたいな。

もし、これらの話が実在の事件関係なく『完全なフィクション』なら、そこまで気にならないと思うけど、実在の事件と加害者・被害者を連想してしまう作りは抵抗感を覚えてしまう。それは『どこかで史実と勘違いしてしまう』ことに対する警戒心もあると思う。

結局、この映画に部分的な確認も含めて5時間、感想を書くのに下書きも含めて90分くらいかけてると思う。なので、是非この映画を見て欲しいと思う。俺の時間・・・・。

 


チャリティ【雑記】

2024-06-24 22:58:03 | ①雑記

 

そういえば、『チャリティーとは何か?』みたいなことを俺は考えてこなかった。

俺の中では、イギリスのロックバンド『クイーン』イギリスのミュージシャン『ピーターガブリエル(ゲイブリエル)』
個人ではない『ライブエイド』といった『音楽活動』に関するものが最もイメージが強かった。

何となくイメージで、募金・ビジネスではない・有名人がノーギャラで参加する・テーマとなる問題についての認知を広める活動といった感じだ。

昔と現在では音楽ビジネスの意味が変わってきたけど、当時はCDやライブで金を稼ぎまくっていた高額収入のミュージシャン達が『ノーギャラ』でライブをして発信していく姿に感銘を受けたものだ。

いや、単純にカッコ良いのだ。

何かを変えたい!変化させたい!人々に少しでも理解してもらいたい知って貰いたいと思った場合、無関係な人達はどう見るのか?

(日本人は知らないが)欧米の人間は『あなたは何をするのですか?』考えるのではないだろうか?

それはある意味『発信する者の責任』寄付をしてほしい、知って欲しい、その活動の意味を問うものと言ってもいい。

寄付して欲しいなら『ギャラなんて受けとれませんよー!』むしろ、そのギャラを寄付に回すだろ?みたいな話です。

これが俺にとってのチャリティーの認識。日本は違うみたいだけどね。

前述のピーターガブリエルなんて、活動のために資産を使い果たし借金するような人でしたからね。『そこまでやるか?みたいなね』

よく考えると俺はチャリティに関しては彼の影響が大きい気がする。

ちなみに彼は、1986年にヒットを狙った『so』という音楽アルバムを公開・発売して大ヒットします。確か本人は『ヒットを狙って作ったアルバムだ!』なんて話をしていたような気がしますが(確か)

ピーターガブリエルの『so』は、ピーターガブリエルの過去作品と比較してポップな作りなんだけど、恐ろしいほどに洗練され徹底された音楽、そしてクオリティにポップとは何なんだろう?なんてことを考えさせられた作品だったりします。

1曲目のレッドレインからして、凄い!みたいな。

日本人の考える『チャリティ』って何ですかね?凸