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古代史の謎〜ヤマト王権の形成 (2) NHKラジオ

2025年01月07日(火)、放送分。
 
興味ある人は、
NHKの聞き逃し配信から聞いてください。
 
間違いあれば、
私の聞き間違いか、理解不足です。
また、" " 内は感想だったり私が追記したものです。


 (2)邪馬台国の所在地

"歴史の授業は苦手だったので、
古墳時代が何時のことなのか知らないし、
ヤマト王権という言葉も知らなかった。
私は何も知らないということが再確認できました。"

"ふと、思ったのだが、
中国の歴史書に倭のことが書いていなかったら、
どのような歴史を考えていたのだろうかと。

中国の歴史書を、全部無視して推理した歴史も、
意味があるのではないかと。"


・邪馬台国の所在地は、日本の古代史で最も注目されている問題である。

日本での広域的な権力がどこに出現したのか。

古墳時代のヤマト王権との繋がりを、どのようにとらえるのか。
日本列島が政治的に統合されてゆく過程を考える手掛かりになる。

・邪馬台国の所在地の考察は、考古学的なものもあるが、
魏志倭人伝による場合が多い。

"なにか、おかしい気が。。。
魏志倭人伝の記述が正確でないことは、
私も中学生の頃に聞きました。"

"いわゆる、解釈問題でしょうか?。
なにか、おかしい気がします。"

・↑魏志倭人伝から歴史的事実を、導き出すには、
魏志倭人伝がどのような書物かを理解する必要がある。

・魏志倭人伝の正式名称は、
三国志 魏書 巻30 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条。

・魏の完全な歴史書は、三国志時代に失われてしまった。
しかし、他にも複数あったので伝承されている。
魚豢(ぎょかん)の魏略。
王沈(おうしん)の魏書など。

・中国の歴史書は王朝ごとに作られることが一般的。
滅んだ後でないと、全部が書けないから。

しかし、滅んでない段階での歴史書もある。

・陳寿の三国志の成立時期は、284年ごろと推定されている。
三国志以前の歴史書を参照、継承していると考えられる。

倭人伝もその可能性が高い。

・歴史書に書かれている内容は、完全に正確なものではない。

例えば倭人伝では、卑弥呼が死に台与が魏に使者を派遣した(249年付近と推定されている)記述が、中途半端に終わっている。
西晋の歴書には、倭がその後に使者を送ってきたという記録がある。

・↑烏丸鮮卑東夷伝では、倭に限らず、他の異民族の記事は220-240年代で終わっている。
不完全な歴史書である。

・↑参考にした歴書が、
その年代までしか書いていなかったから、
そしてそれ以外の歴史書を調べなかったから、
かもしれない。

・倭人伝の記述のみで邪馬台国に、
たどり着けるのかどうかは、
倭人伝の記述が正確であった場合の話であり、
不正確であればたどり着けない。

・邪馬台国への注目は江戸時代には始まっていた。
荒井白石が邪馬台はヤマトと読むと指摘している。

本居宣長は卑弥呼は地方の酋長であったと述べている。
尊王の思いが強い人だったので、
天皇が朝貢するということは、認められなかったのではないか。

・明治時代になると、邪馬台国へのルートが注目される。
2説ある。

1.九州説。
楽浪郡(朝鮮半島)→伊都国(九州北部)
東京帝国大学 白鳥庫吉 説。

2.畿内説。
南と書いてあるが、東の間違いであるとして、
奈良盆地付近であるという推測。
京都帝国大学 内藤湖南 説。

・ルート以外の記述では、

・↑邪馬台国は、
南方であり、会稽郡(かいけいぐん)(中国)の沖であろうと、
著者の陳寿は考えていたと、考えざるを得ない。

・↑倭人伝の最初には、帯方郡(朝鮮半島)から東方の沖にあると書かれている。

・魏志倭人伝での記述について。
倭の国々の記述に関して、情報の濃さに差がある。

1.対馬から伊都国までは、国の情報だけでなく、住んでる人の習俗が詳しく書かれている。

末盧國(まつろこく)の場合、海や山に面していて、草木が非常に生い茂っていている、
魚を捕らえるのが上手などの記述がある。

2.伊都国から先の、奴国から邪馬台国までは、
距離や方角、国の情報は書かれているが、
その国の習俗は書かれていない。

3.↑邪馬台国より先の国のことでは、
非常に遠いので良く分からないと書いてある。


1は、実際に見た人が書いたと考えられる。
帯方郡から派遣された魏の役人が見たことが考えられる。

2は、伝聞であると思われる。
(卑弥呼に会うために、邪馬台国まで行ったというあるかもしれないが。)

魏志倭人伝には、伊都国に使節が常駐していると書いてあるが、
この先に役人が行ったという記述はない。

魏と邪馬台国とのやり取りは、
直接、魏の役人が行き来したものではなかったのかもしれない。

伊都国より先の記述は、倭人からの情報だとも考えられる。

そのため、倭人がどこまで本当のことを話すのか?、という疑問もある。
地理情報は軍事情報だから。

3は、帯方郡の役人も、そこから先は興味なかったのかもしれない。


・↑以上の理由やで、倭人伝から邪馬台国の場所を考えるのは、
不可能であると言わざるを得ない。


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