その一の続き 最年長だったブザンヴァルは革命後に投獄されるも、裁判では知己の尽力により無罪放免となる。命こそ助かったが、以降彼の健康は損なわれた。それでも生来の快活な性格は変わらず、友人らを招いてもてなしたりした。 ブザンヴァルの死去は1791年6月2日。国王夫妻が逃亡した逃亡先のヴァレンヌで逮捕されたのは、その3週間後だった。王室の瓦解を見ることなく、この世を去ったのは幸いだった。
マリー・ . . . 本文を読む
『マリー・アントワネットと5人の男:宮廷の裏側の権力闘争と王妃のお気に入りたち』(エマニュエル・ド・ヴァリクール著、原書房)を先日読了した。フランス革命やフランス史にはすっかり興味をなくしても、少女時代にベルばらに夢中になったため、マリー・アントワネット関連本は未だに気になり、読まずにいられなくなる。 暫く前の「スポンジ頭」さんのコメントで本書のことは知っていたが、行きつけの図書館の西欧史のコーナ . . . 本文を読む
その一の続き 64年7月のローマ大火後に行われたキリスト教徒迫害の犠牲者数は、タキトゥスをはじめとするローマ時代の史家が誰も書き遺していないため、正確な数は今もって不明という。 ただ、現代の研究者たちによれば、処刑が手の込んだセンセーショナルなものであったこと、ローマ以外の都市のキリスト教徒コミュニティの規模から推測した結果、2~3百人の間だったというのが定説。 これだけの数の人々の処刑は、キリス . . . 本文を読む
一般に古代ローマ史になじみの薄い日本で、最も名が知られているローマ皇帝はネロだろう。ネロはそのまま呼ばれるより、殆どといってよいくらい名の前に“暴君”の異名を冠せられている。前回の記事でも書いたが、近年は欧米人研究者の間ではこれまでの暴君論から評価が変わってきたらしいが、それも知識人の一部に過ぎず、一般大衆に根付いた暴君という見方を覆すのは難しいはず。 NHKBSドキュメ . . . 本文を読む
その一、その二の続き ロンメルの自由な発想は、軍人貴族ならざる中産階級の家系に由来する才能から来ていた。父も祖父も軍人ではなく数学者として知られている。 しかしドイツ国防軍のように、代々の貴族階級が将校団の中核を形成する閉鎖的サークルでは、ユンカーでもなければ参謀教育を受けなかった将軍は「もぐり」に過ぎなかった。実績よりも毛並み、能力よりも経歴、破天荒な天才よりも堅実な秀才であることを要求されたの . . . 本文を読む
その一の続き 本書で特に面白かったのが、第4章 ティツィアーノ・ヴィチェリオ『軍服姿のフェリペ皇太子』と第10章 トーマス・ローレンス『ローマ王(ライヒシュタット公)』。フェリペ皇太子とは後のフェリペ二世だが、スペイン帝国の絶対君主のイメージが強いためか、スペイン・ハプスブルク朝の君主でもあったことを本書で思い出した。 日本でスペインは「情熱の国」と呼ばれているが、本書では堀田善衛の次の一文が紹介 . . . 本文を読む
『名画て読み解く ハプスブルグ家12の物語』(中野京子 著、光文社新書)を読了した。先日見た『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』が面白かったので本書も図書館から借りて読んだが、こちらも良かった。実は本書は「名画で読み解く 12の物語」シリーズの第一作で初版が2008年でも読ませられる内容だった。以下は表紙裏の紹介。
―スイスの一豪族から大出世、列強のパワーバランスによって偶然ころがりこんだ神 . . . 本文を読む
その一、その二の続き『ローマ人の物語』では国営の郵便制度をこう解説していた。「初代皇帝アウグストゥスが創設した国営の郵便制度は、「cursus publicus(クリスス・プブリクス)」と呼ばれたが、違約すれば「公用飛脚」である。字義どおり、公用の命令と公的情報の伝達を目的として創設されたのだった。広大な帝国の統治には、この種の制度の確立がぜひとも必要であったからである」(Ⅶ315)
「ローマ街 . . . 本文を読む
その一の続き 塩野さんとファンとの会話では他も面白かった。健康管理はどうなさっている?と問われ、その回答に笑ったファンは多かったはず。「何もしていないし、考えないことにしています。大体必要でない時期に医者と結婚していて、必要な年ごろになってから離婚するというヘマをしましたしね(笑)」
同性には厳しいことでも定評のある塩野さん。日本で主流の風潮には辛口なことを言っていた。「女の子が「恋愛をすると . . . 本文を読む
その一の続き 欧州の多くの人々が大疫病について、自分勝手な解釈を考え出した。ある地方ではユダヤ人たちが世界に毒をまいているのだと考え、数多くのユダヤ人がそのために殺害される。またある地方では、不潔な貧民たちが空気や食べ物、飲物を汚すのが原因だとして、貧民たちを街中から追放する。また他の地方では貴族が疫病の元凶だということになり、貴族たちは平安に街を歩くことが出来なくなった。 最後には街の人々は町や . . . 本文を読む