その一、その二の続き
『ローマ人の物語』では国営の郵便制度をこう解説していた。
「初代皇帝アウグストゥスが創設した国営の郵便制度は、「cursus publicus(クリスス・プブリクス)」と呼ばれたが、違約すれば「公用飛脚」である。字義どおり、公用の命令と公的情報の伝達を目的として創設されたのだった。広大な帝国の統治には、この種の制度の確立がぜひとも必要であったからである」(Ⅶ315)
「ローマ街道ぞいに10キロから15キロの距離を置いて、「mutationes(ムタティオネス)」、直訳すれば「交換所」が設置される。距離の違いは、地勢による。山岳地帯ならば10キロごと、平野なら15キロごとというわけだ。「交換所」には、数頭の変え馬が常備され、場所によっては変え馬の飛脚の騎手も待機していた。
平均すれば「交換所」の5つごとに、「mansiones(マンショネス)」と呼ばれた「宿駅」が置かれ、そこには、乗り換え用の馬や人の他に、旅人が泊まる施設も完備していた。食事もできる旅宿はもちろんのこと、馬車の修理工、馬小屋、そして郵便局の局員たちまで詰めていた。
「ムタティオネス」は、現代の高速道路ぞいにあるガソリン・スタンド。マンションの語源になる「マンショネス」は、モーテルとレストランと修理工までそなえた大型パーキング・エリアのようなものである。そのうえ、旅に必要な各種の情報の交換所でもあった」(Ⅶ316)
但し、当初この制度を利用できたのは、公的な場合のみ。2代皇帝ティベリウスによりネットワークは拡張されると同時に、各マンショネスには警備係の詰所も置かれるように変わる。共和制の時代までは手紙は自家の奴隷に持たせて走らせるか、または私営の郵便屋を頼るしかなかったが、人の旅も手紙の旅も格段に進化、安全になったのだ。
そして4代皇帝クラウディウスは、この国営の郵便制度を公用のみに限ることはなく、民間にも開放する改善策を実施する。庶民でも国営の郵便制度を利用できるようになった結果、私営の郵便屋は商売が成り立たなくなってしまう。私営の郵便屋が再び活躍し始めるのは、ローマが衰退期に入ってからという。
果たして同時代の漢王朝に、このようなシステムが完備されていただろうか?尤も本書には不可解な記述もあり、Ⅳ部『ローマ人の物語』入門での一文を引用する。
「この時代の年表を作ってみるとよくわかりますが、ローマ関連の歴史事項はびっしりと並べることができるのに対し、それ以外の地域では、かろうじて中国で政治的な動きが展開されている程度で、日本などはまだ書くべきこともありません……」(160頁)
167頁には「古代ローマ年表」が掲載されているが、古代オリエント地域の記述が皆無というズサンさ。中国と僅かなインドの動きのみで、オリエント情勢が全くない!この年表を作成したのが誰かは不明だが、改めて日本人の古代世界史の視野はギリシア・ローマと中国、インド程度なのが伺える。
先にローマの国営郵便制度を挙げたが、紀元前のアケメネス朝ペルシアは「王の道」と呼ばれる国道を敷設、駅伝を整備していた。歴史教科書にも「王の道」は載っていたはず。そして古代ギリシアは古代エジプト文明に大きな影響を受けている。西欧文明の母体は古代エジプトと云う研究者までいるほど。古代でも中近東の方が先進的だったし、キリスト教も中東生まれの宗教である。
私は未読だが、『中国の正体知ってはいけない「歴史大国」最大のタブー』(黄文雄 著、徳間書店)という本がある。名は失念したが、あるブログにAmazonの紹介がリンクされており、漢帝国とローマを比較したghostfinderさんのレビューがあったので、前半を引用したい。
―漢帝国とローマがよく東西の雄として対照的に取り上げられるが、私は以前からそれを疑問に思っていた。残された遺跡の技術水準、それから文書の数々から見て、そのレベルは数百年の違いがあると感じていたからだ。
史記は文学表現として美しいが、ヘロドトスやツキディデスの洞察力はないし、何より偽善的すぎる。論語や老子はどう見てもアリストテレスやプラトンの哲学的深みを持たない。ローマ時代の文献は皇帝さえも等身大の人間として見事にとらえきっているが、そうしたものは中国にはなかなか現れなかったのではないか
インドに興味を持つ私から言わせてもらうと、史記、論語、老子いずれもインドの二大叙事詩マハーバーラタ、ラーマーヤナに比べ、文学表現としての美しさ、哲学的深みは到底及ばない。サンスクリットとラテン語は学術・宗教界では未だに世界的な主要言語となっているが、中華帝国はそのような主要言語をついに持ちえなかった。
ナナミストにも関らず、私はローマファンにはなれなかった。それでも『ローマ人の物語』全巻読ませられてしまったのは、塩野七生さんの素晴らしい文章表現力だっだ。
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司馬遷の大ファンである私から言わせると、史記の文学表現のレベルの高さはかなりのものだと思います。弊ブログでも描きましたが、趙世家の趙一族の興亡など非常に読みごたえがありますし、人間の感情に訴える名文だと思います。
鳳山さんは司馬遷の大ファンでしたか。私はそうではないので、あえて司馬遷への感想は記しません。司馬遷に倣ったペンネームを使った司馬遼太郎さえ、中国古典の人物描写の乏しさを指摘していました。