遅ればせながら、録画していた2月24日放送のドキュメンタリー『フランケンシュタインの誘惑』を先日ようやく見た。1920年代にブームとなったアンチエイジングの特集で、タイトルは「アンチエイジング 欲望の人体実験」。このアンチエイジングに血眼になったのは女性ではなく男たちだった。以下は番組HPからの引用。
―永遠の若さ、アンチ・エイジング。人類はこの夢を追い求めてきた。クレオパトラは金や真珠の粉末を風呂に入れ楊貴妃はヒトの胎盤を生薬として摂取し小野小町はコイの生き血をすすったという。1920年代、「若返り」手術で世界の注目を集めたフランスの外科医がいた。
精力増進、記憶力回復、老化による病の防止などをうたってブームを巻き起こし、数万人がボロノフ式手術を受けた。だが追試がことごとく失敗、完全に否定される―
クレオパトラといえば牛乳風呂やバラ風呂のほうが有名で、彼女に倣い浴槽にいっぱいのバラを浮かべた温泉まであるほど。アンチエイジングで女が最も重視するのは容貌だが、男の場合は見た目だけではなく、むしろ精力増進のほうかもしれない。
「若返り」手術で世界の注目を集めたフランスの外科医こそ、セルジュ・ボロノフ(1866-1951)だった。ボロノフという外科医の名は番組で初めて知ったが、苗字から分かるようにロシア系でフランスに帰化した人物。ただ、番組では言わなかったが、wikiには彼がユダヤ人であることが載っている。
ボロノフの「若返り」手術とはサルの精巣をスライスし、人間のそれに張り付けるものだった。科学に疎い私でも感染症は大丈夫か、と思ったが、20年代はそれでも通ったようだ。
もちろんボロノフはいきなりサルの精巣を使った若返り手術を行ったのではなく、先ずヤギなどで動物実験をする。年老いたヤギの精巣にスライスした若いオスの精巣を張り付ける。すると歩くのも困難だったヤギが元気を取り戻し、メスとの間に子供を儲けるまでに回復したという。最も現代では、実験に使われた老いたオスのヤギと若返ったヤギは果たして同じだったのか、疑問視されているそうだ。
ボロノフはエジプトの君主アッバース・ヒルミー2世に医師として仕えていたことがあり、その時宮廷の宦官の老け方が激しかったため、若さには精巣が関係していると見て、この若返り手術を思いついたという。44歳でボロノフはフランスに帰国するが、元から腕の良い外科医として評判は良かった。
彼の狡猾なところは、学界で成功例を発表すると同時にマスコミに若返り手術を派手にアピールした点。学会での発表は成功例だけを挙げ、失敗例は隠ぺいしており、学界では疑問視されたが、マスコミは若返り手術というだけで飛びつく。特に派手に宣伝したのはニューヨークタイムズ紙だった。
マスコミへのアピールには若返り手術を施したという患者を使っている。術前はアルコール依存症と糖尿病で見るからに老いた英国人の男が、術後には別人のように若返った写真を見せている。他にも施術を受けた患者は、若くなったという人が多かった。
しかし、これには仕掛けがあった。患者たちは術前に1週間入院、禁酒禁欲生活をしただけでなく、医師や看護師から丁重な扱いを受けていた。施設もホテル並みの快適さで、医療スタッフからこの手術がもたらす輝かしい未来の話を繰り返される。
こうして術後は健康的になったと思い込むようになったのだが、このようなやり方は「プラセボ効果」と呼ぶそうだ。心理効果により症状が軽減することもある。
そんな仕掛けも知らない人々は大金を払っても若返り手術を受けたいと願い、高い時には手術費が1万5千フラン(現代の約860万円)まで跳ね上がったそうだ。1926年には千人以上が手術を受けたそうで、全世界で10万人もの人々が受けたという説もある。
もちろんボロノフ1人で行ったのではなく、多くの弟子たちが施術したのだが、各界の著名人もボロノフの患者となった。フランス首相クレマンソーやトルコ初代大統領ケマル・アタテュルク、ピカソやメーテルリンク等の芸術家も受けたという噂もある。
こうして大金持ちになったボロノフだが、彼の業績に疑いの目を向ける医師らの調査により、実際は手術は効果がなかったことが暴かれる。1935年までに、精巣の若返り手術は廃止された。
1951年にボロノフは85歳で死去するが、死亡記事を掲載した新聞はほとんどなく、かつては持ち上げていたニューヨークタイムズは、 彼の名前のつづりを間違えて小さめに訃報を載せていた。
現代人から見ればお笑い事だが、怪しげな若返り方にハマる人は後を絶たない。そして番組の最後の語りは意味深だった。
「永遠の若さを求める人類の欲望は止まらない」