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特別展ポンペイ

2022-08-29 21:30:11 | 展示会鑑賞

 宮城県美術館の特別展ポンペイを見てきた。過去にも仙台市博物館でポンペイ展が開催されており記事にアップしたが、ポンペイ展は何度見てもよい。県美術館のHPでは特別展をこう紹介している。

南イタリアに存在した古代都市、ポンペイ。西にナポリ湾を望むこの街は、風光明媚で大地は肥沃、交通の要衝でもあり、紀元前2世紀ごろから大きく栄えました。やがてローマ人の別荘地としても発展しますが、79年、街の北西にあるヴェスヴィオ山の噴火によって、すべてが埋没してしまいます。

 短時間で噴火堆積物の下に閉じ込められた家々や神殿、美術品、家財道具は、誰にも手をつけられることなく、約1700年にわたり眠り続けてきました。18世紀にようやく開始され、現代まで続く発掘は、まさに「タイムカプセル」を開封する作業。ポンペイと周辺の遺跡は古代ローマ都市の人々の生活を知る資料の宝庫であり、長年の発掘作業が古代史、美術・文化史の研究にもたらした成果は計り知れません。

 本展覧会では、ナポリ国立考古学博物館の全面的な協力のもと、日本初公開を含む約130点を展示、ポンペイの豊かな暮らしを、発掘の成果をもとに紹介します。出品されるモザイク画やフレスコ画、彫像や工芸品はどれも、同館の誇る優品ばかりです。なかでも、ポンペイの旧家であり最も大きい邸宅「ファウヌスの家」から出土した精細なモザイクの数々は必見です。

 ポンペイ展の決定版ともいえる本展で、約2000年前の古代都市への「タイムトラベル」を是非おたのしみください。

 本展がポンペイ展の決定版といえるのかはともかく、入口に古代ローマ人に扮した「ポンペイ君」の3体の写真像が並んでいた。右側は剣闘士スタイルで中央は短衣の一般市民、左は赤い縁取りが特徴のトーガを纏った元老院議員。東京会場には「ポンペイ君」が直に来場したそうで、「ポンペイ君」はモデルのAMONさんとか。
 同行の友人は私と同じく『ローマ人の物語』愛読者で、古代の競技場では女性は観戦を許されなかったが、「ポンペイ君」を見ながらその背景をこう話していた。研究者なら、このようなことはまず言わないだろう。
「おばちゃんだと逞しい剣闘士にさぞ触りまくるだろうし、それで女は締め出されたんじゃないの?」

 特別展は全6部構成となっていて、出品目録を紹介したサイトもある。以下は展示順。
序章:ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
1章:ポンペイの街――公共建築と宗教
2章:ポンペイの社会と人々の活躍
3章:人々の暮らし――食と仕事
4章:ポンペイ繁栄の歴史
5章:発掘のいま、むかし

 トップ画像は「悲劇詩人の家」にあったモザイク画「劇の準備」(作品№26)で、チラシやポスターにはこの画が使われている。作品の繊細さはもちろん制作は1世紀にも関わらず、鮮やかな色彩に感嘆した来場者は多かっただろう。長年火砕流堆積物に埋もれていたことで、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたという。モザイク画は他にも数多く出品されていたが、「劇の準備」が最も色鮮やかだった。



 アウグストゥスのブロンズ製の胸像も展示されており(№5)、やはりイケメンだった。アウグストゥスの横顔が刻印されたデナリウス銀貨3枚とアウレウス金貨1枚(№72~75)は紀元前1世紀作だが、端正な顔立ちに変わりない。
 ブロンズ製の器具に「仔ブタ形の錘」(№78)があり、上はその画像。昭和時代に一般家庭でよく使われていた陶器の蚊取りブタを思い出した方もいたはず。

 ポンペイは79年当時、1万人ほどの中規模の街だったが、古代ローマらしく水道設備は完璧だった。ライオン頭部形の吐水口(№9)や水道のバルブ(№10~11)もブロンズ製。ローマがブロンズ製の胸像や硬貨、水道のバルブを作っている一方、同時代の日本はまだ弥生時代。作るのは専ら土器で埴輪さえ作られなかった始末。
「ヘルマ柱型肖像」(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」№64)は2011年のポンペイ展でも出品されていたが、なぜ全身をブロンズにしなかったのだろう。頭部と柱の下部に付けている性器のみがブロンズで、改めて異様な柱型肖像と感じた。まさか友人の想像したように途中で予算が足りなくなったから、ヘンな柱型肖像になったのでもないだろうけど。



 来場者には女性が多かったが、装身具の展示も多数あり、中でも「エメラルドと真珠母貝のネックレス」(№57)は現代と変わりないデザインで満足させられたはず。蛇形のブレスレットや指輪も展示され、当時は蛇形のデザインが好まれたのか。
 本展のコピーは、「そこにいた。」。79年当時、まさにポンペイにいた人々の証がそのままタイムカプセル化したのだ。改めて古代ローマの高度な文明に感服した方が殆どだろう。

 一方、「古代都市ポンペイで奴隷部屋の遺跡を発見。別荘地の邸宅の中に存在していた」という記事では、奴隷たちの暮らしが浮かび上がる。尤も「だいたいの都市部の奴隷は専用の部屋がある方が珍しく、廊下の片隅で起居していたことを考ええると寝台と部屋があるだけまだマシ。」という意見もあった。
 ただ、古代ローマでは階級間の流動もあり、祖先は奴隷でも才能で社会的地位を得たルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのような人物や不動産などで財を成した女性もいたそうだ。そして貧富の格差は現代社会でも解消されていない。

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ポンペイ展

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