トーキング・マイノリティ

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めぐり逢わせのお弁当 13/印=仏=独

2014-12-16 21:10:19 | 映画

 歌やダンスシーンが突然出て、それが長々と続くというインド映画のイメージとは違った作品。主人公も10歳くらいの娘のいる主婦であり、日本で公開されるインド映画のヒロインとしては異色かもしれない。映画のチラシではストーリーをこう紹介している。

インド・ムンバイでは、お昼どきともなると、ダッバーワーラー(弁当配達人)がオフィス街で慌ただしくお弁当を配って歩く。その中のひとつ、主婦イラが夫の愛情を取り戻すために腕を振るった4段重ねのお弁当が、なぜか、早期退職を控えた男やもめのサージャンの元に届けられた。神様の悪戯か、天の啓示か。偶然の誤配送がめぐり逢わせた女と男。
 イラは空っぽのお弁当箱に歓び、サージャンは手料理の味に驚きを覚える。だが夫の反応はいつもと同じ。不審に思ったイラは、翌日のお弁当に手紙を忍ばせる……。

 イラはインドの中産階級の専業主婦。主婦の手作りの弁当を運ぶダッバーワーラーという職業があるのは知っていたが、映画に登場する彼らの大半はこぞって白い服を着て肌の色が濃かったのが印象的だった。インド人には様々な人種の特徴がみられるし、大都会ムンバイには各地からの出稼ぎ者が集まっている。ダッバーワーラーには出稼ぎ者もいるのかもしれないが、肌の色からして低カースト層も少なくない?と思ってしまった。カーストが低いほど、色黒になる傾向があるからだ。尤も“不可触民”ならば、この職業には就けないはず。

 ダッバーワーラーとはヒンディー語で「弁当配達人」の意味。家庭の台所から“できたて”のお弁当を集荷してオフィスに届けるという、ムンバイに実在するお弁当配達サービスに携わる人々を指す。5千人のダッバーワーラーが1日20万個のお弁当を手に往復している訳だが、ハーバード大の分析によると、誤配達の確率は僅か[600分の1]だそうだ。
 ダッバーワーラーのような職業が成り立つのはいかにもインドらしい。大都市ムンバイでも専業主婦がまだ多いといえるし、愛妻弁当が日本以上に重視されている社会なのは確かだ。これを封建的と見る人もいるだろうが、イラのつくるお弁当は本当に美味しそうだ。受け取ったサージャンの食べ方も面白い。容器に入ったまま食べるのではなく、食器をターリー皿(金属製の丸い盆)に載せたり、具を皿にあけて食べている。

 顔も知らないサージャンと手紙を交わすようになったイラだが、関係を取り持つのがお弁当という設定は面白い。イラは弁当に手紙を添え、食べた後、空になった弁当箱に返信の手紙を入れるサージャン。はじめは弁当の出来についての批評だったが、間もなく家族のことや将来の夢についての話になっていく。
 手を込めた弁当への無反応に加え、「夫は夜遅く帰って来て、口もきかない」ため、夫が浮気をしているようだ…とサージャンに打ち明けるイラ。それには「暗く考えないで。現実はもっと単純だよ」と諭すサージャン。夜遅く帰って来て、口もきかない夫がインドにもいるのは苦笑させられた。せっかく腕を振るった弁当を作っても、何も言わない夫が多いのは日印ともに同じかもしれない。尤も弁当の出来にあれこれ言う喧し夫も困るが。

 ブータンは世界で最も幸福な人が多い国と、一般に日本では思われているが、インドも同じらしい。イラとサージャンのやり取りにもブータンの話題があり、この国に行ってみたいというサージャン。ブータンはインドの隣国だし、インド人は日本人よりも国の実情を知っていると思われがちだが、それほど理解度は高くないようだ。理想郷的なイメージのあるブータンだが、こちらも少数民族ネパール系住民との軋轢を抱えている。
 
 原題は「DABBA/THE LUNCHBOX」、2013年カンヌ国際映画祭批評家週間(フランス)観客賞受賞でもある。イラに扮したニムラット・カウルは端正な顔立ちでも、目を見張るように美しい女優が多いインド映画では、地味な印象だった。そのほうが返って主婦役としてリアリティがある。インド映画にしては欧州でヒットを記録したというのも納得した。



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