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邦題が酷い映画がある。『あなたを抱きしめる日まで』がいい例だが、原題はズバリ Philomena、ヒロインの名前なのだ。タイトルこそ酷いが、主演がジュディ・デンチなのでDVDをレンタルして見たら、思った以上によかった。実話を元にした作品であり、以下の色字は映画サイトMovie Warker からのストーリー。
イギリス。善良で信仰心が篤い田舎の主婦フィロミナ(ジュディ・デンチ)は、娘のジェーン(アンナ・マックスウェル・マーティン)とともに穏やかな生活を送っていたが、ある日、50年間隠し続けてきた秘密をジェーンに打ち明ける……。
1952年、アイルランド。10代で未婚のまま妊娠したフィロミナは家を追い出され、強制的に修道院に入れられる。そこでは同じ境遇の少女たちが、奉公人のように働かされていた。フィロミナは男の子を出産、アンソニーと名付けるが、面会は1日1時間しか許されず、やがて修道院は、3歳になったアンソニーを金銭と引き換えにアメリカに養子に出し、フィロミナは「息子の行方を捜さない。誰にも息子のことを話さない」という誓約書に署名させられた……。
それから50年。フィロミナは、アンソニーのことをいつも気がかりに思い、密かに彼の行方を捜していた。そしてアンソニーの50歳の誕生日に、初めてジェーンに父親違いの兄の存在を明かしたのだった。事実を知ったジェーンは、母のために、あるパーティで知り合ったなんとも頼りなさそうな元ジャーナリストのマーティン(スティーヴ・クーガン)に話を持ちかける。
愛する息子にひと目会いたいと願うフィロミナと、ジャーナリストとしての再起をかけたマーティンは、アンソニーがいるアメリカへと向かった。一歩一歩、少しずつではあるがアンソニーに近づいていく二人。だがそこで二人は思いもよらぬ事実を知ることになる……。
上記サイトで少女たちは修道院で、“奉公人のように”働かされていたとあるが、実際には“奴隷のように”が相応しい。まして1952年当時のアイルランドでは未婚の母はもちろん、結婚前の娘の性的交渉も論外だった。修道院とは堕落した娘たちを矯正するための施設でもあり、そこではシスターによる虐待と強制重労働が蔓延っていた。
邦題のように映画のラストでは、フィロミナと息子アンソニーの涙の対面で抱きしめると思いきや、そうではなかった。養子に出され、米国で暮らした息子の消息は突き止めたが、息子と会うことは叶えられなかった。息子は既に故人となっていたのだ。
息子を訪ねて渡米したフィロミナは、息子が戦死したり、ホームレスになっていることを心配していたが、最も危惧していたのは、息子が母に捨てられたと思い込んで拒絶することだった。だが、彼女の心配は尽く取りこし苦労だった。
米国人の恵まれた家庭の養子になったアンソニーは、長じて法曹関係の仕事に就き、レーガン政権下では重要なスタッフの1人になった。ただし、彼はゲイであり、エイズに罹患して死んだ。ゲイでも良きパートナーに恵まれ、彼が息子の最期を看取った。
息子は自分は捨てられたと母を恨むどころか、母を探しにアイルランドまで来ていたのだ。かつて自分や母がいた修道院を訪ねたが、修道院は母の消息を伝えず、フィロミナにも息子が来たことを知らせなかった。修道院側は証拠となる名簿を焼却してまで証拠隠蔽をしていたのだ。
ジャーナリストのマーティンは修道院の姿勢に怒り、関与したシスターにフィロミナへの謝罪を求めるも、シスターはにべもなく拒否。マーティンを睨みつけ、自分を裁くのは神だけだと居直る。フィロミナはそんなシスターを許す。ただし、修道院の裏庭に埋められている若くして出産時に死亡した母や子供の墓を丁寧に弔ってほしいと注文を付けた。
この作品での修道院の描き方には当然カトリックからの非難があり、本作の制作者ハーヴェイ・ワインスタインは新聞に全面広告を出し抗議している。ちなみにワインスタインはユダヤ系である。ハリウッドでキリスト教会やキリスト教聖職者の犯罪を暴く映画が制作されても、悪いラビが登場する作品はあるのだろうか?
フィロミナが言ったように、息子が自分と暮らしていたならば、これほど恵まれた人生は送れなかった。カトリック修道院が子供を売って儲けたのは事実だが、養子で救われた子供たちも少なからずいたのは確か。ただ、フィロミナも息子が犯罪者になっていたら、シスターをあっさり許しただろうか?
近年はカトリック教会の犯罪が暴かれ、『マグダレンの祈り』のようなケースでは弁護士が修道院にいたかつての少女たちをけしかけ、訴訟の動きもあるという。『神は妄想である』によれば、カトリックではその対策に数十億ドルが費やされており、著者リチャード・ドーキンスは皮肉交じりに述べている。これを見れば教会に同情する人も居るだろう、殊にその金額を負担する人を思えば尚のこと…
改めてジュディ・デンチの好演に感心させられた。あの“M”の面影は全くなく、善良な老女を自然体で演じている。今、英国で最も活躍している老女優だろう。
アルメニア人のジェノサイド(?)に関連し、ブル国会でも4月下旬国会審議がありました。
しかし、ブル国内のトルコ系住民数が人口の1割を占めているらしいこと、DPSというトルコ系政党が国会内の第3位の勢力であることなどから、トルコ批判がさほど甚大になることは無かろうと、小生も思っていました。
4月24日の国会審議直前、Borisov首相は、「オスマン帝国によるアルメニア人の大量抹殺(Mass Termination)事件が、1910年代、20年代に起こった、との事件に関する評価が、ブル国として容認しうる最大限のフレーズだ、と宣言しました。
そして、24日の決議採択では、157:36(左が賛成票)と言う大差で、ジェノサイド表現を削除し、「大量抹殺」との表現にとどめる決議が採択されました。
この決議関連の世論調査では、次の事実が明白となり、ブル・インテリたちも驚いているらしい:①31%の市民がジェノサイドに相当すると考えている。(彼らは同じクリスチャンとして、アルメニア系に同情的であるらしい)、
②しかし、61%もの市民が、そんな事件のことは聞いたことが無いと主張!!
つまり、ブル市民の6割もが、アルメニア人虐殺などと言う「歴史上の話」については、聞いたことも無かったというのだ。
もう一つ注意しておくべき事実は、現在ブル国内に居住するアルメニア系市民は、恐らく1万人程度でしかないが、トルコ系市民は60-70万人に上るであろうということ。このような状態で、国会審議で、アルメニアに対する厳しい批判決議を採択するのは、難しいはずであると言える。現在DPSは野党勢力に過ぎないとはいえ、地方政界では、抑えている自治体も結構あるし、トルコ系企業など、それなりに大きな力を持つのだ。
上記の最後の方の下りで、「アルメニアに対する厳しい批判」は間違い。
「トルコに対する批判決議」です。
ついにブルでもオスマン帝国時代のアルメニア人虐殺事件について、4月下旬国会審議が行われたのですか!やはり室長さんの見たとおり、トルコ系住民数が人口の1割を占めていることから、さほど厳しい追及はなかったし、「大量抹殺」との表現にとどめたのですね。
ブルの世論調査の結果は私も驚きました。何と61%もの市民が、この事件のことを知らなかったとは!トルコに5世紀支配されたことで、ブル国民はこの出来事を西欧人よりも知っていると思っていたら、そうではなかった。むしろ西欧の方がこの事件を知っているかもしれませんね。
それにしても、何故ブルで4月下旬にに国会審議が行われたのでしょうね?やはりローマ法王の発言が影響しているのやら。カトリックのブル国民はいたとしても、かなり少ないですよね。西欧と歩調を取るパフォーマンスでしょうか。
まず、4月下旬国会の定例審議が再開されたのは、約2週間ほどの「復活大祭」に絡むブル、欧州のGWが終了し、普通の仕事ムードの時期に入ったからです。(日本のGWは、欧州の復活祭(イースター)休暇と少しずれているから、欧州の観光産業にとっては都合がよい、と言える。中国の春節も2月だから、欧州にとってはありがたい。
トルコ批判に熱心なのは、ブル国内のナショナリスト系で、Ataka党、或は、Patriotic Front(PFは現在与党の一つ)が、国内のトルコ系を含めて、トルコを嫌い、嫌がらせ的行動をするのです。
ジェノサイドとの表現は無くとも、対トルコ批判決議には変わりないので、上記の反対票36票は恐らくDPS議員による反対票と思う。
そう言えば、欧州版GWの復活祭がありましたね。4月下旬なので、ついローマ法王発言の影響?と思ってしまいました。ブルの1万人程度のアルメニア人に、それほど力があるはずもなく、Ataka党のような極右主義者が音頭を取っていたようですね。ブルのナショナリストなら、目の敵にしているトルコの粗探しに躍起になるのも当然でした。