
秘密警察の一員は大抵の映画では悪役として登場するが、主人公がその組織の人間であり、監視する立場から描かれた異色の作品。いかに冷戦時代の共産圏といえ、国中に張り巡らされた監視体制には慄然とさせられる。かつて日本も含め西側の左派知識人から、“共産主義国の優等生”と讃えられていた東ドイツの実態が浮かび上がってくる。
東西冷戦下の1984年、東ベルリン。東ドイツの諜報機関シュタージ(国家保安省)大尉ヴィースラーは、尋問の巧さで組織内でも高く評価されていた。ある時、ヴィースラーは西側でも名の知られる劇作家ドライマンが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。早速、ドライマンの部屋にシュタージの仲間たちと忍び込み、盗聴器を仕掛けるヴィースラー。20分以内で済ませるよう指示する彼だが、やはり工作していれば空気で隣人には知られるもの。密かに作業を覗き見していた女には、口外すれば貴女の娘は退学になると、警告するヴィースラー。部下には後で隣の婦人の家に何か土産を届けるよう命じるので、抜け目がない。
ドライマンの家に盗聴器を取り付け、完璧に監視活動を開始したヴィースラー。標的の劇作家は彼の恋人でもある舞台女優クリスタと同棲しており、彼らの生活を盗聴するにつれ、組織に忠実だったヴィースラーも微妙に変わっていく…
映画の冒頭流れたクレジットは驚く。「シュタージへの協力者10万人、密告者20万人…」。誇張もかなりあるにせよ、東独時代でも人口1,700万に満たなかった国で、たとえ数値が半分でも異様だ。東ドイツは1977年以降、自殺統計を取るのを止め、自殺者を“自己殺害者”と表現していたことが登場人物の台詞にある。冷戦時代、世界で最も自殺者が多かったのがハンガリーだったそうで、これまた共産主義国だった。中国が共産主義政権になる前、共産党支配地域での自殺者が極めて多かったと『マオ』の上巻にも見える。自殺は滅多にしない中国人気質でも夥しい自殺者があったのだから、これだけで共産主義の苛酷さが知れる。ただ、まるで煽るかのごとく子供の自殺を大々的に報道する日本のマスコミの姿勢も問題だが。
映画に登場する秘密警察は陰険なサディストが殆どだが、ヴィースラーはいかにもお堅い役人といった印象。実際、共産党員の“公務員”には間違いないし、同僚にも出世に有利なので党員になった者もいた。共産主義体制下では、党のコネや贔屓が何よりも大事で、党の支持がなければどんなに才能のある芸術家でも潰される。ドライマンとかつて組んだ演出家も党からにらまれ、仕事を失い絶望の果て、“自己殺害者”となった。
対照的に党のお偉方など肩で風切る特権階級であり、演劇界を“大掃除”した実績を買われ、大臣に納まった者もいる。地位を悪用し、ドライマンの恋人である美しい女優に関係を迫る大臣。共産主義下でも西側のようにセクハラはあったのだ。
これまで迷うことなく国家に忠実に仕えてきたヴィースラーが動揺する原因になったのは、ドライマンが弾くベートーヴェンのピアノソナタを聴いたことだった。ドライマンはこの曲を真に聴けば悪人にはなれないと語っていたが、音に鈍感な耳の持ち主の私には難しい。また、シュタージが灰色の制服姿で町を歩き回っていたのは驚く。私服尾行の場合もあるが、目立つ制服警察が跋扈するのが共産圏だったのか。ソ連末期のモスクワの町を取材が許された西側のメディアが映していたが、町中至るところ制服警官が目に付いた。
それにしても、盗聴をこととする秘密警察の仕事を続けていると、精神面にどのような影響が出るのだろう。ヴィースラーの部下は「神父や平和活動家より芸術家を盗聴するのは楽しい」と言ったが、盗み聞きしたい心理は人間誰もが持っているだろう。ただ、何時間もヘッドホンを付け耳を澄ませ、報告書を書くので、他の職業同様何でも仕事は大変だ。ヴィースラーはシュタージの卵である若者たちへの講義で、尋問には容疑者を眠らせないことが一番効果があると強調していたが、肉体的暴力のない拷問そのものだ。
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツは急速に統合。シュタージの類の組織も崩壊する。旧東ドイツ国民は冷戦時代の資料が閲覧できるようになったが、家族や親友がシュタージに協力、密告していた事実を知り、衝撃を受けたといわれる。経済的に立ち遅れた東ドイツ地区では、西側のネオナチと協力し冷戦時代に受け入れたベトナム人やトルコ人への襲撃が相次ぐ。憎悪の対象が旧共産党員の同胞より、異教徒、異人種に向かった実例は、相も変らぬ人間の人種差別の業を見せ付けるものだ。これが我国の左派文化人の讃えた共産圏や“過去を真摯に反省するドイツ”の実態だった。
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東西冷戦下の1984年、東ベルリン。東ドイツの諜報機関シュタージ(国家保安省)大尉ヴィースラーは、尋問の巧さで組織内でも高く評価されていた。ある時、ヴィースラーは西側でも名の知られる劇作家ドライマンが反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。早速、ドライマンの部屋にシュタージの仲間たちと忍び込み、盗聴器を仕掛けるヴィースラー。20分以内で済ませるよう指示する彼だが、やはり工作していれば空気で隣人には知られるもの。密かに作業を覗き見していた女には、口外すれば貴女の娘は退学になると、警告するヴィースラー。部下には後で隣の婦人の家に何か土産を届けるよう命じるので、抜け目がない。
ドライマンの家に盗聴器を取り付け、完璧に監視活動を開始したヴィースラー。標的の劇作家は彼の恋人でもある舞台女優クリスタと同棲しており、彼らの生活を盗聴するにつれ、組織に忠実だったヴィースラーも微妙に変わっていく…
映画の冒頭流れたクレジットは驚く。「シュタージへの協力者10万人、密告者20万人…」。誇張もかなりあるにせよ、東独時代でも人口1,700万に満たなかった国で、たとえ数値が半分でも異様だ。東ドイツは1977年以降、自殺統計を取るのを止め、自殺者を“自己殺害者”と表現していたことが登場人物の台詞にある。冷戦時代、世界で最も自殺者が多かったのがハンガリーだったそうで、これまた共産主義国だった。中国が共産主義政権になる前、共産党支配地域での自殺者が極めて多かったと『マオ』の上巻にも見える。自殺は滅多にしない中国人気質でも夥しい自殺者があったのだから、これだけで共産主義の苛酷さが知れる。ただ、まるで煽るかのごとく子供の自殺を大々的に報道する日本のマスコミの姿勢も問題だが。
映画に登場する秘密警察は陰険なサディストが殆どだが、ヴィースラーはいかにもお堅い役人といった印象。実際、共産党員の“公務員”には間違いないし、同僚にも出世に有利なので党員になった者もいた。共産主義体制下では、党のコネや贔屓が何よりも大事で、党の支持がなければどんなに才能のある芸術家でも潰される。ドライマンとかつて組んだ演出家も党からにらまれ、仕事を失い絶望の果て、“自己殺害者”となった。
対照的に党のお偉方など肩で風切る特権階級であり、演劇界を“大掃除”した実績を買われ、大臣に納まった者もいる。地位を悪用し、ドライマンの恋人である美しい女優に関係を迫る大臣。共産主義下でも西側のようにセクハラはあったのだ。
これまで迷うことなく国家に忠実に仕えてきたヴィースラーが動揺する原因になったのは、ドライマンが弾くベートーヴェンのピアノソナタを聴いたことだった。ドライマンはこの曲を真に聴けば悪人にはなれないと語っていたが、音に鈍感な耳の持ち主の私には難しい。また、シュタージが灰色の制服姿で町を歩き回っていたのは驚く。私服尾行の場合もあるが、目立つ制服警察が跋扈するのが共産圏だったのか。ソ連末期のモスクワの町を取材が許された西側のメディアが映していたが、町中至るところ制服警官が目に付いた。
それにしても、盗聴をこととする秘密警察の仕事を続けていると、精神面にどのような影響が出るのだろう。ヴィースラーの部下は「神父や平和活動家より芸術家を盗聴するのは楽しい」と言ったが、盗み聞きしたい心理は人間誰もが持っているだろう。ただ、何時間もヘッドホンを付け耳を澄ませ、報告書を書くので、他の職業同様何でも仕事は大変だ。ヴィースラーはシュタージの卵である若者たちへの講義で、尋問には容疑者を眠らせないことが一番効果があると強調していたが、肉体的暴力のない拷問そのものだ。
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツは急速に統合。シュタージの類の組織も崩壊する。旧東ドイツ国民は冷戦時代の資料が閲覧できるようになったが、家族や親友がシュタージに協力、密告していた事実を知り、衝撃を受けたといわれる。経済的に立ち遅れた東ドイツ地区では、西側のネオナチと協力し冷戦時代に受け入れたベトナム人やトルコ人への襲撃が相次ぐ。憎悪の対象が旧共産党員の同胞より、異教徒、異人種に向かった実例は、相も変らぬ人間の人種差別の業を見せ付けるものだ。これが我国の左派文化人の讃えた共産圏や“過去を真摯に反省するドイツ”の実態だった。
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中学時代の私は社会科の答案に「国家社会主義ドイツ労働党」と「者」の一字を落として書き、ものの見事に×を食らって、そのため今日に至るまで丸暗記するハメになったのです(汗)。
しかし、「ナチ」、「ヒトラー」と言えば反射的に毛嫌いする「左巻き」の輩が、マハティールのマレーシアに一定の評価を与えるのが「痛い」。彼の目指したのは「国家社会主義」というのは定説です。
記事の中にあるシュタージですが、当然その前身となったのが「ゲ・シュター・ポ」、すなわち秘密国家警察。そのトップはハインリッヒ・ヒムラーで、ゲーリング辺りからも「腰巾着」と冷ややかに見られるほどヒトラーに傅いていた。ヒムラー自身は終戦後まもなく自殺したが、戦後、後の東ドイツとなる地域を支配したソ連はゲ・シュター・ポの下級官吏をシュタージへと再編したのだろう。ヒトラーとスターリンが似たもの同士だということを裏付ける現象と思われる。
私も歴史教科書にナチの正式名が、国家社会主義ドイツ労働者党とあったのは驚きました。
名称だけ見れば左派政党に思えますが、極右が社会主義者や労働者の味方のフリをするのはドイツに限りません。ファシズムではイタリアの方が先であり、以前ムッソリーニについて記事にしていますが、彼も当初は社会主義者を自称していました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/6a22372397a5112440849d9d1cfa238d
意外なことに秘密警察という組織は、政権が変わっても生き残るようですね。小説「ジャッカルの日」でフランス情報機関に、お前たちはナチが去ってもまだいる、と悪態をつく者が出てくるし、イランのサヴァク(SAVAK)もイスラム革命政権は潰さず利用していた。
私はマハティールの指導力には一定の評価を与えてもよいと思います。強権的手法に様々非難はありますが、国力を引き上げたのは指導者として評価されるものです。「ルック・イースト」を掲げ、日本から援助を引き出したのは実に巧妙であり、外国人に褒められるとすぐ有頂天になる日本人は親日家と短絡的な見方をしましたね。