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原題:The Founder、文字通り世界最大のファーストフードチェーン店マクドナルド創業者の伝記作品である。マックを食べたことのない日本人は稀だし、店名から何となく創業者はマクドナルドという人物と思っている人が多いだろう。
もちろんマクドナルドという店を初めて創業したのはマクドナルド兄弟だが、世界規模のハンバーガー帝国に成長させたのこそレイ・クロックだった。映画はクロックが“創業者”になっていく過程を描いている。
一代でマクドナルドを築き上げ、全米で最も偉大な経営者と讃えられるクロック。意外なことにマクドナルド兄弟に出会う52歳までは実に様々職業を変え、学歴も高校中退止まり。映画ではピアニストや紙コップのセールスマンをしていたことは出ていたが、wikiにはジャズ演奏家、バンドメンバーの経歴も載っている。
1954年、マクドナルド兄弟に初めて会った時、クロックは5種類のミルクセーキを同時に作る機械「マルチミキサー」のセールスマンで全米を回っていたほど。これがあのマクドナルド帝国の創業の元になろうとは、クロックさえ想像がつかなかっただろう。
マクドナルド兄弟もマクドナルドが軌道に乗るまでは苦労しており、現代は当り前となってしまった工場式のハンバーガー製造方法やセルフサービス、皿を使わず紙で食材を包むシステムの殆どは弟が開発したものだった。
この「スピード・サービス・システム」を目の当たりにしたクロックは、兄弟にフランチャイズ化をもちかけるものの、品質の低下を懸念する2人は消極的だった。クロックの熱意に根負けした兄弟はフランチャイズ化を認めたものの、経営方針を変更する時は必ず自分たちの許可を取ることを契約させる。
フランチャイズ化が成功・拡大するにつれ、経営方針を巡りクロックとマクドナルド兄弟との対立が表面化する。フランチャイズ化が成功してもクロックは兄弟との契約もあり、収入は低いままで借金も膨らむ。
そんな時、クロックは飲食業界で有名な財務コンサルタント、ハリー・J・ソネンボーンと知り合い、ハリーは不動産業に携わることを提案する。土地を買い、そこでフランチャイズ店舗を営業させて賃貸料を取るという方法であり、これには金融・不動産会社を介入させ、新たな投資家たちが集まった。不動産業を取り入れたことで借金が解消したのは書くまでもない。
無断の経営方針変更にマクドナルド兄弟は怒り、さらにコスト削減のため、ミルクセーキ作りに粉ミルクを使用するようになったクロックを、「契約違反だ」と責めた。しかしクロックは、「契約は破るためにあるもんだ」とうそぶく。強欲なクロックを兄弟の兄マックは、「ニワトリ小屋にオオカミを入れてしまった」と嘆くが、時は既に遅い。
最終的にクロックは、マクドナルド兄弟から「マクドナルド」の商権を買収する。マックが糖尿病を悪化させて入院したことを知った彼は、マクドナルド兄弟に経営権を譲り渡すよう迫る。兄弟それぞれに270万ドルを渡し、さらには利益の1%を渡すという契約を交わし、兄弟は経営から退く。だが、利益の1%を渡す“紳士協定”も結局は反故にされた。
家庭を全く省みぬクロックを献身的に支えてきた妻エセルだが、商権をマクドナルド兄弟から買収した1961年に離婚される。家や土地、車、保険などは与えても、マクドナルド株だけは決して渡さなかった。映画ではその後、自分のフランチャイズ店のオーナーの妻ジョアンと再婚したかたちになっているが、wikiにはジョアンは3番目の妻とある。
略奪愛でジョアンと結婚したと言う人は多いが、「小心者には帝国は築けない」という彼女も野心家であり、互いに馬が合ったようだ。エセルの話では度々浮気をしていたようで、元から女癖は悪かったのだろう。
「成功の秘訣は“才能”でも“学歴”でもない、“執念”」だ」、とラストでクロックは語る。マクドナルドを乗っ取ったクロックだが、マクドナルドの商権を是が非でも手に入れたかったのは、マクドナルドの名称だったという。いかにもアメリカ的で良心的な響きがあり、対照的にクロックではいかにもダサい東欧風。マクドナルドなら虐められることもない…と兄弟の弟に話す。
wikiではクロックは、何とチェコ系ユダヤ人とある。マクドナルドはユダヤ系企業と書いたサイトを見たことがあるが、確かに「創業者」はユダヤ系だった。ブログ『無敵の太陽』2018年03月07日付の記事には、チェコ系ユダヤ人が米国で結構活躍していることが載っている。但しチェコ系ユダヤ人は、「私はドイツ人」とか「オーストリアから来ました」と自己紹介したりするそうな。
マクドナルドを世界最大のファーストフードチェーン店にしたのはクロックの偉業であり、マクドナルド兄弟のやり方ではこれほどまでの巨大企業になれなかっただろう。さらにソネンボーンの功績も大きい。ソネンボーンはCFO(財務最高責任者)になるものの、CEO(最高経営責任者)として独善的にふるまうクロックに嫌気がさし、1967年に辞任。その後マクドナルドの店舗には、2度と立ち寄ることはなかったという。
クロックは1984年1月14日、81歳で他界するが、奇しくもマクドナルド兄と同じく長年の糖尿病が原因だった。映画てはマイケル・キートンがクロックを演じていたが、風貌が東京都前知事と似ていると感じたのは私だけか?
映画のはじめにマクドナルド兄弟の店で作られるハンバーガーが映されたが、今のマックでは考えられないほどパテが厚く、実に美味しそうだった。品質に拘ったマクドナルド兄弟は、ビジネスマンとしてはクロックに太刀打ちできなかった。高品質の製品を作り、堅実な経営をするだけでは事業が成功するとは限らず、ビジネス界は弱肉強食の世界という苦い現実を突きつけられる作品だった。
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