
予告編のコピーは「あの男が帰ってくる」。古代ローマの浴場設計技師ルシウスの奇想天外なタイムスリップ第二弾。決まって彼が時空を超えてやって来るのは、現代日本の温泉や風呂場というのは笑えるが、それあってのコメディなのだ。ルシウスの右往左往ぶりこそが笑いのツボの作品なので、あまり追求すると楽しめなくなろう。
前作と同じく今回もルシウスはハドリアヌス帝に命じられ、様々なテルマエ(公衆浴場)を造ることになる。生傷の絶えぬグラディエイターや子供、北方で戦うローマ兵などのためのテルマエを手掛けるのだが、アイデアを得るのは決まって日本へのタイムスリップ。グラディエイターを癒すためのテルマエに頭を痛めていた時、タイムスリップしたのが力士たちのいる風呂場。力士たちが土俵で相撲を取るのを見たルシウスは、“平たい顔族”のグラディエイターと勘違いする。
ルシウスは血生臭いコロッセオでの闘いと対照的な平たい顔族の相撲の違いに驚き、ローマに戻った時はまたも現代日本を真似たテルマエを造り、評判になる。彼自身は残酷なグラディエイターの催しを嫌い、それに熱中する人びとを非難するが、デスマッチを好む 現代人も多いのだから、人間はあまり進歩しないらしい。
今回は草津温泉もルシウスのタイムスリップ場のひとつだった。女性たちが歌いながら板で湯をかきまわす「湯もみ」のシーンは、草津に行ったことのない日本人が見ても心地よいが、湯船にいきなり男(ルシウス)が現れる。他にもプールにあるすべり台で遊ぶ女子供をルシウスは見ることになり、これらは全てテルマエに取り入れられる。「ヘイヘイホー」と、与作の歌詞の一節までテルマエで歌われたシーンに、観客は笑っていた。
前半はコメディでも後半にシリアス気味になるのは前作と同じパターン。ハドリアヌスは前皇帝までの領土拡張を改め、争いのない平和路線への転換を進めていた。これに不満を抱いた一部元老院議員は偽のケイオニウスまで担ぎ上げ、元の帝国主義政策に戻るように画策していた。
この作品ではハドリアヌス自らが「侵略戦争」「争いのない平和な世界を」と口にしており、どう見てもこれは現代日本の平和概念だ。当時はローマに限らず侵略戦争=悪とは考えられていなかった。ハドリアヌスによる第二次ユダヤ戦争(132-135年)では、ユダヤ教徒への弾圧は徹底して行われており、平和な世界を築くためには争いも辞さなかったのだ。この史実を持ち出せば、ストーリーは複雑になるだろうが。
次期皇帝候補ケイオニウスはまたも女たらしぶりを発揮しているが、ルシウスの身体にも触るほどなので、両刀使いの気もあったようだ。度し難い女たらしだが、ケイオニウスには多くの長所があり、それを知ったルシウスはケイオニウスへの見方を改める。尤も重病で死期を悟ったケイオニウスから、愛人たちへの夥しいラブレターを託されたルシウスだった。
『 ローマ人の物語IX』には、アエリウス・カエサルの名でケイオニウスが記されているが、蒼い目の持ち主だったという。著者はユーモラスにこう書いていた。
―二千年の昔から金髪碧眼は美男の条件であったとは笑ってしまうが、ローマ時代でも、蒼い目は美男の条件であったのである。
映画後半で、テルマエに浸りながらつぶやいた男の台詞は意味深い。「風呂に入っていると、いろんなことがどうでも良くなる…」。
俗に女の長風呂と言われるとおり、私も風呂時間は長めだし、風呂に浸かってボーッとしている。しかし、世界には温泉が豊富な地域は少なく、毎日のように風呂に入る国も珍しい。飲み水さえ不足する地域も珍しくなく、水の過不足と紛争の数は関連しているのかもしれない。
第二作目はブルガリアのスタジオでロケされたという。動員されたエキストラは約5千人、琴欧洲も出演していた。この映画はGWに友人と共に観た。第二作目だし、連休中なので比較的空いていると思いきや、かなり混雑していた。私と同じくGWに遠出する人ばかりではなかったのは妙に安心させられた。
私行きつけの美容院の美容師さんは、子供との付き合いで『クレヨンしんちゃん』を見る羽目になったとぼやいていた。しかし、身近な所で家族サービスが出来るのは微笑ましいではないか。パートナーや友人もなく、GW中もブログ荒らしに興じる寂しい独り者もいるのだから。
◆関連記事:「テルマエ・ロマエ」
「ティベリウスとハドリアヌス」
「ローマとユダヤ―古代ローマの宗教戦争」
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そう言えば、最近TV番組で「てるまえ・ろまえ」第1作が放送されたので見ました。ルシウスが、日本のお風呂に出没して、異文化体験するけど、行く先々で上戸彩と遭遇し、最後は彼女もローマ世界にタイムスリップ…奇想天外ですね。とはいえ、タイムスリップ先に、お目当ての女性がいるというのも、ローマ人らしい。
巨大虎猫さんの言うように、古代ローマの衰退過程で、キリスト教の禁欲主義が高まり、浴場の楽しみも否定され、欧州は意外と入浴しない文化圏となった。小生が1967年に、社会主義国ブルガリアに赴任するという「一種のタイムスリップ」した時も、トイレとシャワーが一つの小さい空間内にあり、しかも、人々は週に1回程度のシャワーが普通で、体臭がひどかった。
小生が記事にしたルクレティウスに関する本でも、キリスト教の禁欲絶対主義が、かなり詳細に説明されますが、教会の高僧たちは、信者からの寄進で豪勢な生活を楽しみ、妾を囲っていた。今のカトリック僧たちは、中世のように妾を平然と持つこともできず、信教僧侶のように妻帯もできないので、同性愛、少年愛などに走り、或は少女たちを凌辱して、教会の費用で賠償責任を果たすなど、見苦しいです。ギリシャ正教は、とっくの昔から妻帯も認めているから、性的事件は起きにくい。カトリックのドグマは、未だに継続している。
他方で、オーソドックス(ギリシャ正教系)は、同性愛には断固反対で、近年の西欧社会の同性結婚などにも背を向けている。ロシア正教会ばかりではなく、ブルガリア正教会も、同性愛には反対です。それでも、EU加盟国となったので、毎年「ゲイ・パレード」などが行われているようです。極右団体、教会からは厳しく非難されているけど。小生も、最近の日本で「オネエ」がTVにたくさん出ているのを見ると、どうも気分がよくないこともある。気の毒な・・・・とはおもうけど。もっとも、男のオネエはたくさん登場するけど、女性のレズを見たことがないのは、日本ではまだレズまでは公認されないからなのか?まあ、小生は、レズも見たくないけど。
信教は、→「新教(プロテスタント)」の間違いです。
なお、新教では、女性僧侶なども出現し始めているけど、カトリックでは、尼はいるけど、位階の高い女性僧侶、或は女性神父などは未だに認められていない。
オーソドックスも、女性僧侶はいないと思う(尼は少数いるはず)。オーソドックスは、古代から僧侶の妻帯が始まっていて、これは、皇族などの貴族層が、出家したりしていたし、宗教と、皇帝、帝国などの世俗との境目が、意外と低く、宗教が権力と一体化していたので、妻帯も普通になされたのだと思う。
カトリックでは、司教などの高僧が、自ら封建領主となるし、バチカンも直轄領土を保有するなど、世俗権力と対抗、対立していたし、聖俗の区別がうるさかったので、建前としての非妻帯が中世から残り、現代になっても継続されているのかも。不自然すぎるから、僧侶の性犯罪行為が止まらない!
仰る通り古代ローマの入浴文化が一掃されたのは、キリスト教のおかげです。古代ローマの入浴は異教の退廃と堕落の象徴となり、入浴もしない不潔さこそが信仰心の証とされたのだから、呆れるばかり。19世紀初めにイランを訪れたフランス人が、現地人が毎日入浴する習慣に驚いて記録を残しています。19世紀初めでも欧州はあまり入浴しなかったとなりますね。
映画の原作者ヤマザキマリはイタリアに長く住んでいましたが、見事に古代ローマの入浴文化が断絶しているのに驚いたそうです。イタリア人は日本人がこよなく風呂を愛するのを不思議がっていたとか。
「古代人がタイムスリップして来たようなものです」と貴方は仰いますが、古代人の方がレベルが高そう。中世人の生きた標本かも。
この映画にも出てきましたが、古代ローマでは男女混浴が行われていたそうです。ハドリアヌスの頃には風紀によくないということで混浴が禁止されたそうですが、日本人には共感できますね。尤も私は混浴はしたことがないし、したいとは思いません。
それにしても、1967年のブルでもシャワーは週に1回程度が普通だったのですか!来日した南蛮人やオランダ人は当然入浴はせず、体臭のひどさに日本人は閉口そうです。それでも鎖国前は湯女と遊んだりしていました。古代ローマの入浴文化はイスラム世界に引き継がれたようですね。
昔と違い、さすがに現代のカトリック僧侶たちの暮らしは質素になったと思います。ルネサンス時代なら愛人同伴でも構いませんでしたが、近代はもう無理になりました。そのため、少年愛に走る不届き者が増えてきたのやら。幼児性愛主義者がその目的のために、カトリック僧になる者までいるとか。
貴方はカトリック僧の性虐待を挙げていますが、妻帯を認めているはずの新教でも性的トラブルが起きるそうです。同性愛を非難していた牧師が、妻子がいるにも拘らず男娼を買ったとか。合意の上だから、少年少女を凌辱するよりマシ?
最近のТVには本当に「オネエ」がのさばっていると、私も気持ちがよくありません。タレントばかりか、教育評論家にまで「オネエ」のような人物がいます。男なのに何故「ママ」と呼ぶのか、訳が分かりません。ワザとそっち系を出しているとしか思えませんね。
対照的にレズは出ません。まさか欧米のТVでは、レズが既に公認されているのですか?オネエだけで沢山なのに、レズまで私も見たくない。AVあたりならレズものはありそうですが。
カトリックは未だに尼が男性聖職者に服従することが求められていますよね。相手が孫のような若者でも、シスターは格下で奉仕しなければならない。対照的に新教は女性の牧師がいます。
意外でしたが、正教系が同性愛には厳しいとは知りませんでした。ロシアだけでなくブルも反対だったのですね。同性結婚というのは私としてはやはり違和感がありますし、そのような結婚は願い下げですよ。
私もこの映画を見て来たのですが、どちらかと言えば一作目の方が大笑い出来た、と言う印象です。特に最初話を盛り込み過ぎて少々目まぐるしい感があります。
とは言うものの、コメディ映画として安心して見ていられる出来は保っており、相変わらずウォシュレットに悩まされる場面は笑えます。山奥の老人の風呂桶は後できちんと修理出来たのでしょうか。
>ルシウスは血生臭いコロッセオでの闘いと対照的な平たい顔族の相撲の違いに驚き、
相撲も発祥時はなかなか力づくの格闘技だったようで、相撲の始まりとされている野見宿禰と当麻蹴速の戦いでは、野見宿禰が当麻蹴速を蹴り殺して勝利しました。格闘技が本当に殺し合いだった時代の伝承と思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%A6%8B%E5%AE%BF%E7%A6%B0
>次期皇帝候補ケイオニウスはまたも女たらしぶりを発揮しているが、ルシウスの身体にも触るほどなので、両刀使いの気もあったようだ。
あれはケイオニウスの偽物で、病気で重体のケイオニウスが「兄は男性にしか興味が無い」という言葉を聞いたルシウスが闘技場にいたケイオニウスを偽物だと見破る伏線になっていました。だから取り巻きの女性連で口説かれたものはいなかった事になっています。
あの作中でハドリアヌスやルシウスが剣闘士の見せ物に嫌悪感を示しますが、あの当時剣闘士の試合に疑問を持っていた有名人はセネカぐらいで選挙運動に欠かせない見世物ですし、「教育的効果」もあると思われていました。ですから、ハドリアヌスやルシウスが疑問を持つのは違和感がありました。刑罰として罪人を動物に殺させる見世物もありますし、これの一番大規模な物がネロのキリスト教徒迫害です。
ちなみに、金持ちが亡くなると火葬場で故人を偲ぶ剣闘士試合があり、剣闘士の別名は「火葬場の人」だったそうです。
私も第一作の方が笑えました。今回はタイムスリップの間隔が短くて、頻繁に日本に来ている印象でしたね。ルシウスがウォシュレットに悩まされる場面はまるでお約束事のようで、私も笑えました。
野見宿禰と当麻蹴速の戦いの話は知りませんでした。リンク先を見たら、「蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち…」とありますから、相撲もまさに死闘ですね。今の相撲では蹴り合いなど考えられません。
前半でルシウスの下半身に触ったのは、仰る通り偽のケイオニウスでしたね。美女の取り巻きに囲まれながら、誰も口説かなかったことから偽物と判明しました。ご指摘、有難うございました。ケイオニウスの女好きはかなり創作があると思いますが、あれもお笑いネタでしょう。
剣闘士試合を好まないローマ人もいたはずですが、皇帝や元老院議員にとっては好む好まないに関わらず、人気取りやプロパガンダに必要な見世物でした。ティベリウス帝は珍しく見世物を一切しなかったため、不人気だったとか。
『ローマ人の物語』には剣闘士試合に、①残酷だから見る②残酷だから見ない③残酷だが、剣の技能を学ぶのに良いから見る…というのがローマ人の対応だったことが載っています。
刑罰として罪人を動物に殺させる見世物は、現代人から見れば残酷の極みですが、当時は何処でも公開処刑でしたね。ただ、「古代カルタゴとローマ展」を見に行った時、男女の死刑囚の絵が描かれていた小ぶりな鉢も展示されていました。こんな鉢を使って食事していた神経はやはり違和感があります。
剣闘士の別名は「火葬場の人」だったとは知りませんでした。タイムスリップしたら、剣闘士試合を見たいと思う現代人は多いと思います。模擬海戦まで行われていたのはスゴイですよね。