カテゴリーを「うつ&病気&病院」しておきます.........
先ほど弟君を妹君宅に送るときに言われました。
「もっとしっかりしようとおもわんの?(思わないの?)」
はっきりこれはプライベートでも公の場でもそのように思われるのは不思議ではありません。
正直に書くとおいらはしっかり者だとは思われないように行動するようにしています。
以前にしっかり者のように行動し続けていたときに自分には出来ないことまでしていた経緯があり、当てにされるとどうしても無理をしてしまう性格ですから”わざ”とそうしているのです。
そしてうつを煩っている現在のおいらに至っています。
まずしっかりしていない事をプライベートの面から書こうと思います。
おいらの部屋はゴミだらけで足の踏み場もないぐらいです。
しかしこれにはちゃんと理由があります。
おいらの部屋には色々と資料を置いています。
イラスト用の資料や写真の資料などです。
またコンピューターを使ってインターネットにアクセスする事が出来るのはおいらの部屋からしかできないんですな。
おいらは人が部屋に入られる事が嫌なのです。
勝手に部屋に入られている事は直ぐに判断する事が出来るぐらい敏感です。
完璧主義なので原因を追及するのは簡単なんですな。
んで勝手に部屋に入られる事に憤りを感じます。
ここで問題なのは人が意味もないのに入りやすい状態を作る事だと考えています。
よって人が入ろうとも思わない部屋にしようと努力しています。
おいらは醜いのでそれにお似合いの部屋にしようという事ですな。
ゴミだらけにしておく事も欠かせないでしょう。
また足の踏み場もない状態にしています。
以前に良く入られていた時期は綺麗な状態でした。
どうせするならとことんまでしなければ気が済みませんので「綺麗or散らかっている」の2二者択一しかありません。
まあね。
おいらはどちらかというときれい好きな方ですので今の状態に好きこのんでしているわけではありません。
しかし人に入られるぐらいであれば散らかっている方がマシだと思うんですな。
また足にゴミがつかないようにもしています。
しっかり者という基準が人によって違いますので比べようもないのですが、おいらは劣等な人間で弟君が蔑むのも無理はないでしょう。
しかし人を下に見るような人間の言う事を聞こうとは思いませんし、そのような人間の言う事は間違っている事がほとんどです。
人間の視点でしか物事を見る事が出来ない人を見ていると気の毒で仕方がありません。
「はいはい、勝手に言ってなさい」という感じですな。
ここでおいらと弟君の違いを書いておきましょう。
比較というのは良い意味で平衡の取れた人間がするモノですので間違っている事が前提です。
・弟君はすべて自分で決めて自分で物事を行ってきました。
・おいらは周りの人間に言われた事を言われたとおりに行ってきました。
これは根本的に彼の行動基準の方が正しい事を示しています。
では努力という点で比較してみます。
・彼は自分の基準で物事を行っている事から週一回伝道に出ていました。
・おいらは学校に行きながら補○開○仕をしていました。
おいらにしてみれば学生なら確実に時間は空いている時間が解るわけです。
それを有効活用する事になんの疑問も感じずに.......というよりは最善の行動をとっていると確信していました。
自分に出来る事を最善を尽くして行う事はおいらの基準では当たり前の事であり、なぜ他の人たちは伝道をしないのだろうかと疑問を感じているぐらいでした。
現在70時間となっていますが開○○仕は昔は90時間でした。
正直な事を書くと今でも簡単に入れる事が出来ると思います。
んで弟君は補○開○○仕を現在捉えています。
おいらは普通の伝道者でほとんど時間も入れていない事に納得のいかない様子なんですな。
しかしおいらの見地から言わせれば補○開○○仕をするのであっても時間の縛りはないわけです。
つまり宣教者や特別○○者のように時間をいくらでも入れればいいわけで、現在の彼の状態であれば簡単に入れる事が出来るでしょう。
彼の楽天的な性格を考えるのであれば、簡単にできるでしょう。
おいらはじっくり準備してからでないと納得できませんし、ちゃんと向き合った伝道をしたいと考える性格ですので無理でしょう。
まあね。
今の彼においらがこんな事を言っても説得力がないでしょう。
おいらが何かしらの立場を負わなければ認めない人間です。
おいらは立場によってころころ人に対する見方を変える人間が大嫌いです。
よってこの考え方を変えない限り彼の事を認める事はこれからはないでしょう。
しっかり者を演出する事は非常に簡単です。
しかしこのことから来る負担を彼が背負ってくれるでしょうか?
それは100パーセントないでしょう。
また人によって見方が変わるのではなく、神の基準と照らし合わせると自分の見解が入り込む余地は全くなくなるはずです。
人間の見方というのは流動的で、偏見に満ちており、間違っている事の方が多いのです。
冷静に見極めてその人の本質を知るためには行動の理由を見極めていく必要があるという事ですな。
よっておいらはこれからも彼の前ではしっかり者になる事はないでしょう。
先ほど弟君を妹君宅に送るときに言われました。
「もっとしっかりしようとおもわんの?(思わないの?)」
はっきりこれはプライベートでも公の場でもそのように思われるのは不思議ではありません。
正直に書くとおいらはしっかり者だとは思われないように行動するようにしています。
以前にしっかり者のように行動し続けていたときに自分には出来ないことまでしていた経緯があり、当てにされるとどうしても無理をしてしまう性格ですから”わざ”とそうしているのです。
そしてうつを煩っている現在のおいらに至っています。
まずしっかりしていない事をプライベートの面から書こうと思います。
おいらの部屋はゴミだらけで足の踏み場もないぐらいです。
しかしこれにはちゃんと理由があります。
おいらの部屋には色々と資料を置いています。
イラスト用の資料や写真の資料などです。
またコンピューターを使ってインターネットにアクセスする事が出来るのはおいらの部屋からしかできないんですな。
おいらは人が部屋に入られる事が嫌なのです。
勝手に部屋に入られている事は直ぐに判断する事が出来るぐらい敏感です。
完璧主義なので原因を追及するのは簡単なんですな。
んで勝手に部屋に入られる事に憤りを感じます。
ここで問題なのは人が意味もないのに入りやすい状態を作る事だと考えています。
よって人が入ろうとも思わない部屋にしようと努力しています。
おいらは醜いのでそれにお似合いの部屋にしようという事ですな。
ゴミだらけにしておく事も欠かせないでしょう。
また足の踏み場もない状態にしています。
以前に良く入られていた時期は綺麗な状態でした。
どうせするならとことんまでしなければ気が済みませんので「綺麗or散らかっている」の2二者択一しかありません。
まあね。
おいらはどちらかというときれい好きな方ですので今の状態に好きこのんでしているわけではありません。
しかし人に入られるぐらいであれば散らかっている方がマシだと思うんですな。
また足にゴミがつかないようにもしています。
しっかり者という基準が人によって違いますので比べようもないのですが、おいらは劣等な人間で弟君が蔑むのも無理はないでしょう。
しかし人を下に見るような人間の言う事を聞こうとは思いませんし、そのような人間の言う事は間違っている事がほとんどです。
人間の視点でしか物事を見る事が出来ない人を見ていると気の毒で仕方がありません。
「はいはい、勝手に言ってなさい」という感じですな。
ここでおいらと弟君の違いを書いておきましょう。
比較というのは良い意味で平衡の取れた人間がするモノですので間違っている事が前提です。
・弟君はすべて自分で決めて自分で物事を行ってきました。
・おいらは周りの人間に言われた事を言われたとおりに行ってきました。
これは根本的に彼の行動基準の方が正しい事を示しています。
では努力という点で比較してみます。
・彼は自分の基準で物事を行っている事から週一回伝道に出ていました。
・おいらは学校に行きながら補○開○仕をしていました。
おいらにしてみれば学生なら確実に時間は空いている時間が解るわけです。
それを有効活用する事になんの疑問も感じずに.......というよりは最善の行動をとっていると確信していました。
自分に出来る事を最善を尽くして行う事はおいらの基準では当たり前の事であり、なぜ他の人たちは伝道をしないのだろうかと疑問を感じているぐらいでした。
現在70時間となっていますが開○○仕は昔は90時間でした。
正直な事を書くと今でも簡単に入れる事が出来ると思います。
んで弟君は補○開○○仕を現在捉えています。
おいらは普通の伝道者でほとんど時間も入れていない事に納得のいかない様子なんですな。
しかしおいらの見地から言わせれば補○開○○仕をするのであっても時間の縛りはないわけです。
つまり宣教者や特別○○者のように時間をいくらでも入れればいいわけで、現在の彼の状態であれば簡単に入れる事が出来るでしょう。
彼の楽天的な性格を考えるのであれば、簡単にできるでしょう。
おいらはじっくり準備してからでないと納得できませんし、ちゃんと向き合った伝道をしたいと考える性格ですので無理でしょう。
まあね。
今の彼においらがこんな事を言っても説得力がないでしょう。
おいらが何かしらの立場を負わなければ認めない人間です。
おいらは立場によってころころ人に対する見方を変える人間が大嫌いです。
よってこの考え方を変えない限り彼の事を認める事はこれからはないでしょう。
しっかり者を演出する事は非常に簡単です。
しかしこのことから来る負担を彼が背負ってくれるでしょうか?
それは100パーセントないでしょう。
また人によって見方が変わるのではなく、神の基準と照らし合わせると自分の見解が入り込む余地は全くなくなるはずです。
人間の見方というのは流動的で、偏見に満ちており、間違っている事の方が多いのです。
冷静に見極めてその人の本質を知るためには行動の理由を見極めていく必要があるという事ですな。
よっておいらはこれからも彼の前ではしっかり者になる事はないでしょう。
人って経歴が好きですよね、学歴、職業、趣味、スキル。人を評価するのに、外見を判断しますね。
でも、東大に合格する子供のほとんどが、父親が裕福で、母親が主婦なんです。
要は家庭教師も家政婦も主婦にはかなわないわけです。
それと同じように、人間関係も、縁の下の力持ちや汚い仕事ばかりを受け持つ人もいます。
いい加減な人の周りには、神経質な人がいて、いい加減な人を主役に引き立てます。
誰でも、自分ひとりの力で、そこに立っているわけでも成功を収めているのでもなく、そして、生きていることですら自分で明日の命が保障されているわけでもなく、祝福され生かされているわけですね。
私も自分のような人間は、どぶに捨ててきたほうがましだと思いますが、人によっては天使のように良い人ですねといわれます。
正面だけ見て、人間なんて判断できないですし、裏ばかり見て判断できないし
mumuさんは、そのことが気が付けて、むしろ幸せでしたね^^
ある名作の言葉を借りて言えば、mumuさんは野菊のような人ですねって、そっと言ってみたり
親だって人間ですからね、兄弟だって馬鹿な子ほど可愛かったりするんですよ(笑)
みんな色んな役割があるんですよ。
以前に同じコメントを頂いたことがあります。
sawaさんという方なんですが、同じ内容のコメントを頂きました。
お二人のBLOGは欠かさずに読ませていただいています。
人というのは日々変化していくモノですね~。
目立ちたいわけではないんですけどね。
目立ったところをキープし続けている人間に嫌気がさしてくるわけです。
また誉められることに慣れてそれが当然だと考えている人間にも嫌気がさしてくるんです。
「内助の功」というのはおいらは嫌いではないんですよ。
それが当然ですし、そうありたいと願ってきました。
「巧妙が辻」をたまに見ては奥さんの力って大きいんだな~とも感じました。
「内助の功」というのは女性の秀でた分野ですよね~。
特に女性の「忍耐強さ」や継続する力には目を見張るモノがあります。
おいらは短気で怒りっぽい人間ですのでうらやましいと感じます。
chomemaroさんもお子さんを産みの苦しみを持って産み、立派に育てられています。
女性の強さというのは「親」になってからの方が本領を発揮することも良く聞きます。
「女性」と「母親」は別の生き物なのだと言うことも聞きます。
これからも愛を持って子供さんを見守ってあげてください。
おいらがchomemaroさんに出来るのは言葉を書くぐらいしかできません。
歯痒いのですが一個人が出来る事なんてたかが知れています。
ここで書いていることはおいらの知っている人たちは多分ほとんど知らないおいらの一面を書いていますので、もし読む機会があるのであれば「こんな人間だったのか~」と言われることでしょう。
劣等な人間のすることなんてしれていますが、それでも今の世に流されないように生きていきたいと願う自分がいます。
そして「自分の行い」によって裁きに合うのであれば本望だと感じてもいます。
お互いに決められた日まで焦点のあった目を持って生きていきたいモノですね~。