扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その32 2008.02.15

2008-02-15 23:46:19 | Stationery & Supply
2008.02.13はけっこう記事にしたい出来事が多くて困りました......................

2008.02.13にMatsuyamaの「文具生活」と「報画堂」でいろいろと見てきたんですよ。
今日も文具についてこだわりを持って使用している方と話をしたのですがね。

文具というのはほとんどの人が無条件で使っていて楽しいと思う少ない道具の中の一つなんですよ。

安いモノでも高いモノでも関係なく使用することを良く求められるものでもありますけどね。
もしその道具が望ましい道具であったならば「楽しい」という感情が増幅されて嫌だったことも忘れてしまうような道具なんですな。

例えばです。
身体に良いと言うことが解っていても散歩や運動をしない人というのは多いはずです。
運動するというのは身体に良いというイメージが付いていて例としてあげるのは間違いなのかも知れませんがね。
でも運動というのは強いられて行なうモノではないという意見もあるでしょう。
もしこのような人に無理に強いて運動することを課せるとします。
そして運動をすることを命令する方法は極端なモノではないのであれば問わないとしますよね。
そうするとかなりの批判が課せられた人から出るでしょう。
嫌々ながら運動するのですから当然です。
しかし運動によって得られる「爽快感」は否定しないでしょう。
運動をすることを強いられたことは嫌なことになりますが、「爽快感を得たこと」事態を否定することがないはずです。
「気持ちよく運動することが嫌なんだよ」という人が中にはいるかも知れませんがね。
んで毎日行なうことが当たり前になった時に逆に運動をすることを禁じられると逆の現象が起こる訳ですな。
今までやっていたことが当たり前で運動をしなくなることが苦痛に感じるようになる訳です。

それと同じで無理に字を書かされるようなArtistはその活動自体が辛いことだと感じるようになっていくこともあります。
そんなときに自分のお気に入りの道具と紙は必需品で欠かせないと言わしめている人もいるぐらいなんですな。
万年筆とInkは空気のような存在でそれを握って活動することがその人にとっての日常なんですよ。
もしこのような人がいつもの道具を使用できなくなったときの苦痛というのは非常に大きなものとなることは明白です。
よってまず何を置いても「手に馴染んだ道具」を再現するように動き回り骨折るでしょう。

道具というのは使われる為に存在しているんです。
もし人が使用しないようになるのであれば道具の意義が問われることになりますからね~。
まあ観賞用のモノは別ですが...........
観賞用というのは見る為のモノで置いてあるだけで価値のあるモノな訳ですからね。

なんだか難しい書きようをしていますな.........
おいらの見地で見させて頂くと
・道具に拘って活動している人の方が効率よく物事を行なうようになっていく
・書くことを楽しむ余裕のある人の書くモノは良質の記事の場合が多い
・一貫した拘りを持っている人のなかで信用出来る人の割合は拘りを持っていない人よりも高い
・Stationeryを愛する人は想像力を高めている
・Stationeryにこだわる人は常に新たな表現、言葉、改善方法など自己を高める努力をしている
という感じでしょうかね。
全員が全員これに当てはまる訳ではありませんし、全く当てはまらない人もいます。

しかし良質のStationeryを求めるということの意味を考えてみると良くわかるでしょう。
精神的活動で「書く」、「描く」という行為は人としての根源的な活動なんですよ。
その道具に拘るということは

「書く」、そして「描く」という行為を大切に思っている

故なのです。
これらの方達は表現方法を模索する為に快適な文具を追い求めている訳です。
そしてそこから作り出すモノをStationeryから得られるSympathy(共鳴)やInspiration(ひらめき)、Conception(発想)を感じて、

仕事を良くしたい
プライベートの思考を豊かにしたい
生活の管理を徹底したい

といった「生きている上での最善を尽くしたい」という欲求に取り組む上でStationeryというのは調和させる(Coordinate)為の重要な道具なんですよ。

そして何事でも自己表現のための「書く」「描く」という行為のことを考える訳です。
この行為は人としての当然の権利なのは明白です。
慶應義塾大学の理念として有名な「ペンは剣よりも強し」という言葉がありますよね。
ペンは「=言論の自由」ということを示しています。
しかし書くことや描くことは「言論の自由」というスタンスよりも、もっと大きな枠で捉えられねばならないと感じます。
日本の識字率は非常に高いのですからね~。
「言論の自由」というのは多くの場合に「言葉の暴力」を養護しますし庇護し育てることまである始末です。
人を傷つけ、悲しませ、追いつめ、蹂躙していきます。
少し極端な書き方をしましたが、ちょっとした表現で多くの人が傷ついたり悲しんだりしている人がいることを認識しなくてはならないとも思うんですな。
「言論の自由」という言葉を発する際にある種の対立構造が必ず発生しています。
そして敵対勢力に攻撃しては弱らせようとする勢力のInitiativeの取り合いをするというイメージがつきまといますよね。
この言葉を持ち出す際には絶対にどちらかになんらかの利益が在る訳ですよ。

でも「書く事(内容)」というのは攻撃するだけではありません。

励ましたい
応援したい
力になりたい

といった活動もあります。
「あります」というよりもこれらの為に書く事の方が人間は建設的な人間になれますからな。
人を思う気持ちや自分が感じた感動や喜びを分けてあげたいという気持ちで書くことも重要です。
これって「言論の自由」の中に含まれはしますが異なっているような気がしますよね。

書くことは多くの人の気持ちを残すことが出来る活動なのです。
よって「言論の自由」のような狭い枠ではなく「基本的人権」という人権の基礎(Base)にかなり近い枠内で捉えられねばならないとも感じますな。

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2008.02.13に報画堂でまたInkを買ってきました。
SHEAFFER(シェーファー)のターコイズ(Turquoise)で価格は1,050円でした。
おいらにしてみるとかなりVIVIDな色なんですけどね。
今まで揃えてきたInkはBlack系が多くて気分転換したかったんです。
それに色調が気に入ったので買ってみました。
でももう空いている万年筆はないんですよね~。
つけペンでも探してみて良いのがあったら買おうかな~...........
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明日からほとんど毎日仕事をすることになりそうなんですよ。
このことも報告しておきます。

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