Continuation the mind is washed............................................
継続的に部屋の掃除をしているのですが、今日は万年床の枕元が本や服など山盛りだったのを取り除きました。
寝心地が最悪だったのですが、これで大分で心地が良くなりそうです。
「快適に過ごしてはならない」という制約を設けてきましたが、最近は人と関わることが多いのでおいらが苛立っていると迷惑を掛けるということで寝心地を良くする努力にEnergyを注ぎました。
継続的に部屋を掃除することにもおいらの苛立ちを取り除く為に努力していく必要がありそうです。
今日は改めて部屋の服の量を調べたのですが、おいらが着ていない服というのがかなりあります。
着そうもない服を捨てられずに沢山置いているのが解りました。
これは箪笥及びContainerなどに入れている服を全て出して調べてみたんですな。
服に関しても「おいらが気に入る服を着てはならない」という制約も設けてきました。
しかし服装にも気を遣わなければならないようになってきましたのでこれからは服にも多少はお金を掛けていこうと思っています。
ところで鬱病の傾向としてモノを捨てられないというのがあるのですが、これは根深いと思いますね。
習慣化していて部屋にあるのが当然で使いもしないのに置いておくという変な現象が沢山起こっていたのを理解しました。
それも部屋いっぱいに入っているモノの半分以上のモノが捨てるべきモノだということに気が付いたのですから選別が大変です。
今行っている作業は保証書や重要書類などの保管方法や捨てる書類の個人情報を如何に消していくのかなのですが、何も出来ていないのが現状です。
結構な量があるんですけどね。
これが捨てられないとなると相当量の塵の山が部屋を専有することになります。
それと万年床に関して書きましたが、自分でBedをまともに綺麗にしたのが鬱になって久方ぶりのことです。
これほど綺麗になると逆に気持ちが悪いぐらいになっていますね。
こんなに真っ平らなBedに寝るのが悪い気がしてくるぐらいです。
以前Bedの上に沢山の本や書籍、雑誌を置いていてBedと机の間の80cmぐらいの所に2ヶ月程度寝ていた頃があります。
人が80cm程度の場所に寝ているとどうなるかご存じでしょうか?
おいらは結構寝相が悪い方だと思います。
その状態から普通の綺麗になったBedに寝るとなんと寝相が凄く良くなっていたんですよ。
寝相は状況次第で変わっていくようですがね。
江戸時代の徳川将軍の一人に寝相を訓練する為に顔の両側に剃刀を設置して寝ていたというのを聴いたことがありますが、それを彷彿させるような寝相の良さに自分で吃驚しました。(笑)
快適に生活してはいけないというおいらの中での基準が現在かなり揺さぶられつつあります。
しかもその揺さぶりというのはかなりの揺さぶりで人格に対しての疑問も提示されてきます。
「自分に自信を持つこと」というのを求められて居るんですな。
まあおいらは仕事をするに当たっては以前に書いたように自分だけで何かを成し遂げることは不可能だというStanceを持っています。
これは責任感の欠如ではなく最後まで遣り抜くことを心に決めても人間だけでは物事を遣り遂げることは不可能だと理解しているからです。
「神の祝福、それが人を富ませる」
という言葉があります。
加えて神が人を生かしてくれなければ人は生きていけませんからな。
何事も人をうらやむというのは筋違いです。
もし現在仕事をして成功しているように見えても、それが人間の考えの基づいて構築されEgoismによって成り立っているのであれば最終的には成功したとはなりません。
人が考えた基準というのは別にどうでも良いんですよね。
ひねくれながらも本質的にChristianなのだと思い知らされる瞬間がしょっちゅう生活の中に潜んでいます。
生活空間とモノを置く空間はクッキリハッキリとしています。
部屋の半ばから手前が生活Space、奥がモノを置くSpaceとなってきました。
でも人を泊める事が出来るようにしたいと思っています。
そう言う必要性が出てきたということでしょうかね。
気軽にお客さんを呼ぶこともしたいですし、一緒に生活するというのも必要な子供達が居るんですよね。
今Bedを設置しているSpaceは相当邪魔になって居るんですよ。
ということでこのBedを取り除こうと考えています。
部屋の掃除が少しずつ進んでいるのですが、気になることがあります。
いっそのことこの勢いで自立しようかとか考えている自分が居ます。
他所に行った方が楽になるというのもありますし、おいら個人としては今のところに留まる理由は全くありません。
そもそも価値もない人間に何を望みますか?
よっておいらは何処に行っても良いんですよね。
他所に交わる事が最近多いのですが、今住んでいる所よりも必要な所が沢山あります。
特においらの地方というのは人間性に問題のある人が多いのです。
Christianでも問題のある人が沢山いますのでそのような人から害を受けている人の気持ちを察することが出来る人が必要である場合が少なくありません。
こういう経験ではおいらは大きいのに面していて一人での孤独な闘いに身を投じてきました。
鬱病というのは家族も大変ですが、一番大変なのは本人なのだということですな。
理解できない人間に理解を求めてもまず無理です。
男性に子供を産む苦しみを味わえと女性が言うようなモノですな。
実生活以外の事=精神的活動で立ち返り回復した人が居るとしますよね。
「衣食住」は家族のSupport無くして生活は成り立ちません。
しかし精神的活動の部分では「家族のSupport」というのは書き方が悪いのかも知れませんが、本当に微々たるモノです。
大鬱病の場合は余計にそうでしょう。
人生を諦めて、生きることも諦めて、生活することも諦めた人間にとって家族というのは逆に重荷でしかないんです。
死ぬ方が楽ですからね~。
何で生きているのかを考えることがありますが、そういうことも少なくなりつつあります。
これからも努力をして生きていきたいモノです。
自責の念に囚われ、精神的自傷活動や肉体的自傷活動を繰り返す原因となるのが家族の場合が往々にして起こりえます。
加えて鬱病の人というのは同じ種類の人種を嗅ぎ分けるのも得意なんですよね。
日本人に多いのは第一子が鬱になることが少なくありません。
もしくは第一子が責任放棄し変わりにその役割を課せられた子供が多いんですよね。
このような方たちの精神的傾向や思考が手に取るように解ります。
感情移入しやすかったり、聴き上手であったりしますからな。
それも自分自身のことのように考えることが出来て相手の思考をTraceすることもある程度の育った背景を知ると出来ます。
まあ育った背景を知らなくても相手の動作である程度の考えというのをRippingすることが出来るんですな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで昨日はChristianの集まりには参加できなくて、昼から野球に参加してきました。
先日関係を持たないようにする決意をした男性がおいらのことを目の敵にしているようですな。
おいらはかなりのひねくれ者です。
野球も途中参加でしたので肩を作る時間もなくPitcherをすることになりました。
通常この手の交わりというのはフォアボールは無しで進行するのが普通なのですがね。
この男性がフォアボールを採用しました。
肩が出来ていなくてPitcherをすると加減というのが難しくてある程度のSpeedのあるBallは投げられるのですが、加減をして投げるので殆どがBallになってしまいました。
フォアボールがどれ位まわったでしょうかね。
既に肩が出来上がっていたのですが、フォアボール無しというのを誰か言い出さないか試したんですな。(笑)
当然ながら変わることも出来ましたけどね。
でもこの男性が嬉しそうに「フォアボールだ、フォアボールだ」と言っているのを聴いているとこの男性が人間的にどれ位のモノなのかを測りたくなりました。
勿論ですが、こちらのTeamの人にはかなり迷惑を掛けましたな。
でも結局「フォアボール無し」という言葉が誰からも出てこなかったのと空気が険悪になりつつありましたので交代しました。
険悪にするのはおいらは大の得意ですし、おいらのImageを下げる為ならば喜んで行います。
したくてやっているのもありますがこのような行動を取る場合には往々にして「人が気が付かなければならない事柄」を解らせる意図があると言うことですな。
当然ながらおいらがどう思われても良いんですよ。
おいらが理解しながら行動するというのは結構多いんです。
おいらは結構打たれ強くなっているようです。
そもそもおいらがSpotが当たる場面に活躍するというのはNGだという意識もありますからな。
こういう場では下手くそを演じる方が良いんですよ。
彼の攻撃よりも自分自身が自分自身に課せてきた制約の方が強いモノです。
こういう損な立ち回りというのがどうしておいらには良くまわってくるのでしょうかね~........
まあね。
おいらが今まで示してきたことというのはひたすらに、直向きに何事も行わなければならないという制約を己に課せています。
つまりこれはおいらを攻略する場合においらの精神的活動の傾向を良く知っている人が多くなっているようです。
加えて、おいらは適正に物事を行われない場合にしか言いませんし、そうであってもある程度の分を持たせるようにしてきました。
その人の分は今まで認めてきたんですよね。
しかしそれはこれまでなのだと書きました。
今まで見てきた傾向からこの男性がおいらの住んでいる地方の人間なのだと良く解ります。
お世辞にも今住んでいる地方の人間性が素晴らしいとは思えません。
もとより今住んでいる地方の方ではなく、悪どく狡猾な人の非さえ周りの人間にハッキリさせた事もありますからね。
おいらの場合は以前の経験から正攻法でなければ攻略できなくなっています。
野球の話に戻りましょうかね。
勿論ですが、PitcherとしてNGであっても「野球が出来ない」と言うのとは訳が違います。
最初から肩を作れているならば一応はおいらは野球経験者ですからな。
いや~.........................
Ballに対してのBattingに関しては狙った所に狙ったとおりに打てるようにはなっているようです。
今度野球をする為に投球練習をしないと駄目だな~と感じました。
一応とられた分には足りませんでしたが、ある程度の点数を取ることが出来ました。
継続的に部屋の掃除をしているのですが、今日は万年床の枕元が本や服など山盛りだったのを取り除きました。
寝心地が最悪だったのですが、これで大分で心地が良くなりそうです。
「快適に過ごしてはならない」という制約を設けてきましたが、最近は人と関わることが多いのでおいらが苛立っていると迷惑を掛けるということで寝心地を良くする努力にEnergyを注ぎました。
継続的に部屋を掃除することにもおいらの苛立ちを取り除く為に努力していく必要がありそうです。
今日は改めて部屋の服の量を調べたのですが、おいらが着ていない服というのがかなりあります。
着そうもない服を捨てられずに沢山置いているのが解りました。
これは箪笥及びContainerなどに入れている服を全て出して調べてみたんですな。
服に関しても「おいらが気に入る服を着てはならない」という制約も設けてきました。
しかし服装にも気を遣わなければならないようになってきましたのでこれからは服にも多少はお金を掛けていこうと思っています。
ところで鬱病の傾向としてモノを捨てられないというのがあるのですが、これは根深いと思いますね。
習慣化していて部屋にあるのが当然で使いもしないのに置いておくという変な現象が沢山起こっていたのを理解しました。
それも部屋いっぱいに入っているモノの半分以上のモノが捨てるべきモノだということに気が付いたのですから選別が大変です。
今行っている作業は保証書や重要書類などの保管方法や捨てる書類の個人情報を如何に消していくのかなのですが、何も出来ていないのが現状です。
結構な量があるんですけどね。
これが捨てられないとなると相当量の塵の山が部屋を専有することになります。
それと万年床に関して書きましたが、自分でBedをまともに綺麗にしたのが鬱になって久方ぶりのことです。
これほど綺麗になると逆に気持ちが悪いぐらいになっていますね。
こんなに真っ平らなBedに寝るのが悪い気がしてくるぐらいです。
以前Bedの上に沢山の本や書籍、雑誌を置いていてBedと机の間の80cmぐらいの所に2ヶ月程度寝ていた頃があります。
人が80cm程度の場所に寝ているとどうなるかご存じでしょうか?
おいらは結構寝相が悪い方だと思います。
その状態から普通の綺麗になったBedに寝るとなんと寝相が凄く良くなっていたんですよ。
寝相は状況次第で変わっていくようですがね。
江戸時代の徳川将軍の一人に寝相を訓練する為に顔の両側に剃刀を設置して寝ていたというのを聴いたことがありますが、それを彷彿させるような寝相の良さに自分で吃驚しました。(笑)
快適に生活してはいけないというおいらの中での基準が現在かなり揺さぶられつつあります。
しかもその揺さぶりというのはかなりの揺さぶりで人格に対しての疑問も提示されてきます。
「自分に自信を持つこと」というのを求められて居るんですな。
まあおいらは仕事をするに当たっては以前に書いたように自分だけで何かを成し遂げることは不可能だというStanceを持っています。
これは責任感の欠如ではなく最後まで遣り抜くことを心に決めても人間だけでは物事を遣り遂げることは不可能だと理解しているからです。
「神の祝福、それが人を富ませる」
という言葉があります。
加えて神が人を生かしてくれなければ人は生きていけませんからな。
何事も人をうらやむというのは筋違いです。
もし現在仕事をして成功しているように見えても、それが人間の考えの基づいて構築されEgoismによって成り立っているのであれば最終的には成功したとはなりません。
人が考えた基準というのは別にどうでも良いんですよね。
ひねくれながらも本質的にChristianなのだと思い知らされる瞬間がしょっちゅう生活の中に潜んでいます。
生活空間とモノを置く空間はクッキリハッキリとしています。
部屋の半ばから手前が生活Space、奥がモノを置くSpaceとなってきました。
でも人を泊める事が出来るようにしたいと思っています。
そう言う必要性が出てきたということでしょうかね。
気軽にお客さんを呼ぶこともしたいですし、一緒に生活するというのも必要な子供達が居るんですよね。
今Bedを設置しているSpaceは相当邪魔になって居るんですよ。
ということでこのBedを取り除こうと考えています。
部屋の掃除が少しずつ進んでいるのですが、気になることがあります。
いっそのことこの勢いで自立しようかとか考えている自分が居ます。
他所に行った方が楽になるというのもありますし、おいら個人としては今のところに留まる理由は全くありません。
そもそも価値もない人間に何を望みますか?
よっておいらは何処に行っても良いんですよね。
他所に交わる事が最近多いのですが、今住んでいる所よりも必要な所が沢山あります。
特においらの地方というのは人間性に問題のある人が多いのです。
Christianでも問題のある人が沢山いますのでそのような人から害を受けている人の気持ちを察することが出来る人が必要である場合が少なくありません。
こういう経験ではおいらは大きいのに面していて一人での孤独な闘いに身を投じてきました。
鬱病というのは家族も大変ですが、一番大変なのは本人なのだということですな。
理解できない人間に理解を求めてもまず無理です。
男性に子供を産む苦しみを味わえと女性が言うようなモノですな。
実生活以外の事=精神的活動で立ち返り回復した人が居るとしますよね。
「衣食住」は家族のSupport無くして生活は成り立ちません。
しかし精神的活動の部分では「家族のSupport」というのは書き方が悪いのかも知れませんが、本当に微々たるモノです。
大鬱病の場合は余計にそうでしょう。
人生を諦めて、生きることも諦めて、生活することも諦めた人間にとって家族というのは逆に重荷でしかないんです。
死ぬ方が楽ですからね~。
何で生きているのかを考えることがありますが、そういうことも少なくなりつつあります。
これからも努力をして生きていきたいモノです。
自責の念に囚われ、精神的自傷活動や肉体的自傷活動を繰り返す原因となるのが家族の場合が往々にして起こりえます。
加えて鬱病の人というのは同じ種類の人種を嗅ぎ分けるのも得意なんですよね。
日本人に多いのは第一子が鬱になることが少なくありません。
もしくは第一子が責任放棄し変わりにその役割を課せられた子供が多いんですよね。
このような方たちの精神的傾向や思考が手に取るように解ります。
感情移入しやすかったり、聴き上手であったりしますからな。
それも自分自身のことのように考えることが出来て相手の思考をTraceすることもある程度の育った背景を知ると出来ます。
まあ育った背景を知らなくても相手の動作である程度の考えというのをRippingすることが出来るんですな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで昨日はChristianの集まりには参加できなくて、昼から野球に参加してきました。
先日関係を持たないようにする決意をした男性がおいらのことを目の敵にしているようですな。
おいらはかなりのひねくれ者です。
野球も途中参加でしたので肩を作る時間もなくPitcherをすることになりました。
通常この手の交わりというのはフォアボールは無しで進行するのが普通なのですがね。
この男性がフォアボールを採用しました。
肩が出来ていなくてPitcherをすると加減というのが難しくてある程度のSpeedのあるBallは投げられるのですが、加減をして投げるので殆どがBallになってしまいました。
フォアボールがどれ位まわったでしょうかね。
既に肩が出来上がっていたのですが、フォアボール無しというのを誰か言い出さないか試したんですな。(笑)
当然ながら変わることも出来ましたけどね。
でもこの男性が嬉しそうに「フォアボールだ、フォアボールだ」と言っているのを聴いているとこの男性が人間的にどれ位のモノなのかを測りたくなりました。
勿論ですが、こちらのTeamの人にはかなり迷惑を掛けましたな。
でも結局「フォアボール無し」という言葉が誰からも出てこなかったのと空気が険悪になりつつありましたので交代しました。
険悪にするのはおいらは大の得意ですし、おいらのImageを下げる為ならば喜んで行います。
したくてやっているのもありますがこのような行動を取る場合には往々にして「人が気が付かなければならない事柄」を解らせる意図があると言うことですな。
当然ながらおいらがどう思われても良いんですよ。
おいらが理解しながら行動するというのは結構多いんです。
おいらは結構打たれ強くなっているようです。
そもそもおいらがSpotが当たる場面に活躍するというのはNGだという意識もありますからな。
こういう場では下手くそを演じる方が良いんですよ。
彼の攻撃よりも自分自身が自分自身に課せてきた制約の方が強いモノです。
こういう損な立ち回りというのがどうしておいらには良くまわってくるのでしょうかね~........
まあね。
おいらが今まで示してきたことというのはひたすらに、直向きに何事も行わなければならないという制約を己に課せています。
つまりこれはおいらを攻略する場合においらの精神的活動の傾向を良く知っている人が多くなっているようです。
加えて、おいらは適正に物事を行われない場合にしか言いませんし、そうであってもある程度の分を持たせるようにしてきました。
その人の分は今まで認めてきたんですよね。
しかしそれはこれまでなのだと書きました。
今まで見てきた傾向からこの男性がおいらの住んでいる地方の人間なのだと良く解ります。
お世辞にも今住んでいる地方の人間性が素晴らしいとは思えません。
もとより今住んでいる地方の方ではなく、悪どく狡猾な人の非さえ周りの人間にハッキリさせた事もありますからね。
おいらの場合は以前の経験から正攻法でなければ攻略できなくなっています。
野球の話に戻りましょうかね。
勿論ですが、PitcherとしてNGであっても「野球が出来ない」と言うのとは訳が違います。
最初から肩を作れているならば一応はおいらは野球経験者ですからな。
いや~.........................
Ballに対してのBattingに関しては狙った所に狙ったとおりに打てるようにはなっているようです。
今度野球をする為に投球練習をしないと駄目だな~と感じました。
一応とられた分には足りませんでしたが、ある程度の点数を取ることが出来ました。