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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



何処から何処までが天災で、何処から何処までが人災なのでしょうか?..................................

原子力発電で被害を被っている方達の言動はおいらは他人事とではありません。
おいらが居住している西予市は伊方原子力発電所から20km圏内にあります。
よって彼らの発言には関心があるのですがね。

我々日本人は特に原子力発電から非常に大きな恩恵を受けてきました。
私たちは電力を湯水のように使用してきた経緯があります。
人口比でも相当な消費電力を誇っている日本なのですが、広大な土地でもないのに消費電力は世界の中でNo.3に入っています。
その中でも原子力発電は電力消費を牽引してきた筆頭なんですよね。
原子力発電があるから沢山の電力を供給出来る、そして電力の余力が上がっているから停電を気にせずに沢山使いまくるという循環を作り出してきました。
原子力発電が増えてきた要因は結局は我々庶民にあるんですよ。
おいらは100%確実に伊方原子力発電所の電力を使用しています。
よって原子力発電を否定することは出来ないんですよね。

そして今回の原子力に対しての否定的な見方をTelevisionから一方的に伝えられると嫌気がさしてきます。

確かに原子力発電所は危ないモノです。
「それを解ってて使ってきたのではないのか」と思うのです。
少なくともおいらは原子力発電に関してはそういう見解で生きてきました。
そして虫が良すぎる人間というのは大嫌いなおいらとしては原子力発電を否定することは出来ないんですよ。
もし伊方原子力発電所に地震があり、被害を被ってもおいらは甘んじて受け入れるTypeの人間です。
というよりおいらは現在、余生を送っている状態なので簡単に受け入れることが出来るんですよね。
自分の利益というのは確かにある程度は必要ですし、沢山のモノを得たいというのは真理でしょう。

頭から原子力発電を否定するならば、電力を使用しないようにしなければならないでしょう。
これは論理的に飛躍しているでしょうか?
おいらはそうは思いません。

「原子力の電力を使っているという時点で原子力を肯定していることになる」

とおいらは解釈しています。
其れが例え住まいを選ぶことが出来なくとも、引っ越すことが出来なくとも原子力の電力を供給されているならば否定するというのは非常に矛盾した行為ではないでしょうか。

たとえを考えてみましょうかね。

店を経営しているとします。
店舗のOwnerと建物のOwnerは違うとしますよね。
建物のOwnerは店を経営している人の為に最低限必要なモノとなる部分を揃えて下さいました。
Lifelineの殆どを揃えて下さり、経営は順調にいっていました。
長い間に非常に有効な信頼関係が構築され、両者が両者共に認めるようにまでなっていました。
少なくともそこには家賃というお金が動いており、Lifelineを確保し提供するのは当たり前だという意見もあるかも知れません。
しかし多少の我が儘も全て受け入れて望み通りにさせて下さっていた建物のOwnerだったのです。

そこに地震が来ます。
建物が破壊され店にとっては非常に大きな損失というよりも、二度と再建不可能な状態にまで建物がなってしまいました。
Lifelineを寸断されて生きるか死ぬかの憂き目にも遭いましたが、建物のOwnerは一生懸命に二度と使えない建物によって二次被害を最小限にしようと努力しています。

しかも「建物は”国の”耐震基準を満たしており何も問題がない」モノだったのに地震で壊れてしまったんですな。

人間のすることに完璧というモノがあるとすれば机上のモノだけでしょう。
方程式などの数式により立証されたモノだけだと思われます。
人間の手が加わえられた物理的に存在しているモノに完璧なモノというのはあり得ません。
人間が絶対に死ぬように人間が作ったモノには必ず終わりが来ます。

人間が作ったモノには「壊れる」という定めがあるのです。

使用出来る期間が長いか短いかは個々人が判断することでしょう。
個人のモノはですがね。
公共のモノは市町村、県、国が判断します。
しかし公共のモノを管轄する市町村、県、国なども人の集まりでしかありません。
人間が行う行為は完璧は無いと書きました。
例え人間が沢山集まったとしても人間というのは不完全ですので、必ず落とし穴があり、抜け道も沢山あります。

今回の原子力発電所の問題でも危険性を理解した上で其の地域に住んでいたはずなんですよね。
少なくともおいらは原爆を落とされた国の人間として原子力は恐ろしいモノだと感じて生きてきました。
発電所で使うから良いモノなのだとはとても思えないんですよね。
其れを理解しつつも其の電力を使用しているのです。
よっておいらは否定出来る立場には居ません。

おいらの場合は原子力発電を否定するつもりならば、とことんまで自家発電出来る設備を導入して全ての電力を自分の家で賄えるようになってからでしかおいらは否定するつもりはありません。
当然ながらおいらは公営の住宅ですし、自家発電出来る設備に投資出来るお金を持ち合わせては居ません。
という事は原子力発電を否定したくても出来ないんですよね。

論理的に考えると

今まで使ってきた電力、そして今使っている電力、これから使っていく電力に原子力発電があるならば

否定出来ない

というのは間違いないようです。
否定することが出来るようになったならばするでしょうけどね。

原子力の恐ろしさを知っているからこそ、原子力発電所の近隣に住むというRiskを承知の上で住んでいたのは間違いないはずです。
人間が言う「絶対」というPhraseを鵜呑みにするのはそもそもが間違いなんですよ。
「絶対」とか「必ず」という言葉を使う理由は、自信がないからこそ使うことが多いんですよ。
ということで今回の原子力発電によって受けた被害もおいらの見地では

天災と認識しております。

異論の方が多いでしょうけどね。
おいらは少なくとも以前から伊方原子力発電所が震源の上に建っているのを知っています。
そしてこれは今回の件と関係なく家族や知人達と会話の中でも話していたことなんですよね。

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