扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Workaholic Always No.01 2008.11.29

2008-11-29 23:55:55 | Work & Study & Make
「責任」というのはNegativeなImageがついて回ります.....................................

何かしら社会的に悪い影響を与える際によく責任の所在を追求する事がなされており民間企業では個人が責任を取らされたり、会社として責任を果たす事を求められる事も少なくありません。
犯罪に荷担したのであれば確実に責任を追求され裁判により科せられなければなりません。

ところが「責任」というのはPositiveな意味でも用いられても良いのではないでしょうか?

おいらは思うのです。
自分が蒔いたモノを刈り取る事は当然の事です。
ということは自分が行動した結果を刈り取る責任が発生するという訳ですな。
何かしら行動を起こして経済活動を行ったのであればそれによって発生する生産的な自分の活動に対しての「科料」を受け取る責任が発生すると考えても良いでしょう。
つまりGuaranteeを受け取る責任があるという事です。
これは人間として生活する為の活動も含まれます。
これから挙げる例は前に「人間として」を付けるモノです。

・食事をする責任
・楽しむ責任
・快適さをえる責任
・仕事に見合ったお金を受け取る責任
・他の人から適正に自分を評価して貰う責任
・気遣われる責任

があるでしょう。
しかしこれには但し書きがあります。
・他の人に迷惑を掛けない
・法律に抵触しない
・常識の範囲内で物事を行う
といったことですな。
まあ常識といっても曖昧になりつつありますのでMoralとか規則などと照らし合わせた活動を行う必要があるんですな。
責任を追及される多くの人の原因は上記の「但し書き」を無視し、自己中心的な「不正な利得」を得ようとしたことから追求される事がほとんどです。

世の中から求められる利用料金というのは「納得が出来ない」という事が少なくありません。
ところがこれは内訳を知らないからであって内容を知りCostを知ると適正に支払っていかねばならない事は明確でしょう。
では支払いだけに責任が伴うというのは偏った見方ですよね。
収入を適正に受け取るという責任があり、その収入が仕事にちゃんと見合ったモノかを計って受け取る責任が発生するという事ですな。
適正に支払われていないと感じずにはいられないことは少なくない訳ですよ。
納得できないのであれば、それは「快適」ではなく物事を行うのに支障を来す事になってきます。

納得できないのであれば仕事を変えるべきで、直ぐに決断し行動を起こすべきだと考えてきました。
これは仕事に見合ったお金を得ることが出来ていなかった事からなんですな。
別においらは「当然すべきことを行ったまでだ」と思ってきましたし、物事を行ってきたつもりですがね。
おいらが行っていた仕事の量は同僚の仕事量の少なくとも3倍は行っていました。
しかしその同僚の方が待遇が良くて給料も当然良いモノでした。
これでは納得できないのも仕方がないでしょう。
契約を交わした際に現状での仕事で頂くお金の金額を最初に提示しそれを了承したのは確かです。
ところが契約内容とおいらの仕事の内容が大幅に変化が伴って仕事の量が増えたのに、頂く金額には変化がなかった事にも納得できませんでした。
雇う側は給料を安くしたいのは解りますし、当然でしょう。
それは解ります。
でも余りにも自分の利益至上主義を追求し、如何に安く人を使おうかとしているのを感じると納得できなかったんですな。

適正に「仕事に見合った給料」を頂けないというのは嫌なモノです。
それも明確に仕事の量が少ない同僚の仕事の手伝いまでしておきながらなのですから納得できるべくもありませんでした。
加えて人というのは自分が望む仕事に就けるというのは期待できません。
最初は絶対に無理だと言っても良いぐらいですし、仕事を知る上で必要だと思いますね。
しかしいろいろな仕事を経験してくると自分が行いたい仕事も大体の事を把握し実行できる下地が出来るようになります。
それから望む仕事を行えばいいと思うんですよね。
人というのは自分の望む仕事であれば必要最低限の給料でも行いたいと願うモノです。
もしくは他の仕事をアルバイトでしながらでも行います。
これは自分の望む仕事で当初はMinusの収支になる事を示しているのかもしれません。
そこまでして行いたい仕事なのですから、上達していくのは必然で要求される事に応えるように努力していく内に引き出しが増えてほとんどのSituationをCoverできるぐらいになると思うんですよね。

仕事というのは「ある程度の期間」で給料に見合ったモノかどうかを判断できるモノです。
おいらの場合は結構早い段階で費用を計算しますし、見合ったモノかどうかをいろいろな角度で計り評価してから続けるかどうかを判断しています。
単に単純に物事を行い考えもせずに仕事を行うというのは苦痛以外の何者でもないからです。
おいらは仕事にも「意義」を見いだしたいと願ってきました。
自己犠牲を払うのはChristian活動だけで十分だとも思いますし、適正に物事を行っていかねばならないと自己吟味してきたのですから経済活動では平衡を取れていたはずなんですな。

収拾が付かなくなってきて頭の中がごちゃごちゃしてきました。
でも確かなのは適正に評価され仕事に見合ったお金を受け取る事が出来なかったことと過酷な労働条件が科せられてきた事から心のBalanceを失い病気になってしまったんですな。

仕事に関しては書きたい事がいろいろとあります。
気が向いたらちょくちょく書いていこうと思います。

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