扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

重さの基準 2008.03.13

2008-03-13 00:50:51 | Weblog
人というのは基準がないとモノの重さの定義が非常に曖昧なモノになってしまいます...................

モノに対して「軽い」とか「重い」と言う認識が産まれるのはその人の中でそのものに対しての主観がある場合です。
そしてそれは間違いではないことがほとんどです。
でも人というのは一通りではありません。
ここがポイントで重いのが好きな人もいれば軽い方が好きな人もいます。

またダンベルで筋トレを行なっている場合の5kgと荷物を持つ場合の5kgというのは同じ重さなのに感じる重量感が全く違うことがあります。
ダンベルというのは筋トレをする道具ですし、ある程度の重さがあるという認識を持って同じ動作を反復します。
それに筋トレをする為に形が固定されています。

それに対して荷物の場合は重さはある程度感じますが、とても同じ重さには感じないことがあるのではないでしょうかね。
これは荷物の加重が流動的な要素もあるかも知れませんが、持つモノに対する気持ちで感じる重さが変化する事って多いはずなんですよ。

「火事場の馬鹿力」という言葉があります。

これはお年を召したお婆ちゃんが臼か何か重たいモノを火事の際に軽々と運んでいたという例えで聴いたこともあるでしょう。
状況によっては弱々しい人でも強い力を発揮できると言う例えで用いられることが多いんですけどね。

これの軽い状況を作り出すことを無意識にしているとおいらは思うんですな。
人間というのは単純なモノで望ましいモノだったなら、限界はありますが10kg程度ならば女性でも簡単に持って運べます。
以前から欲しかったものとか貰って嬉しいモノだったなら重量というのは10kg程度なば気にならないぐらいでしょう。
そして我に返って家でそのものを動かそうとしたときに「こんなに重たかったっけ?」と感じる時る事って意外と多いでしょう。

確かなこととして梱包されていたり、嵩張っていたりしたならこれは当然の事だと言えるでしょう。
でも同じ状態で運ぶ際にも感じるんですな。
梱包をせずに嵩張らない現物だけの状態でも貰ったばかりの時は軽く感じて持ち運びします。
んで移動させる際に重たく感じる訳ですよ。

これはモノの全てに対して重さを感じる個人的な基準というのがあって「これ以上は重い」「これ以下は軽い」と自分で重さの許容範囲を定義していることが多いはずです。
よって自分の考えているモノに対しての

主観からの適正だと感じている重量

以上ならば「重い」、以下なら「軽い」となる訳です。

火事場の馬鹿力の説明を調べましたので書いておこうと思います。
「人体の筋肉は、筋繊維から出来ており、力の出したいときや、抜きたいときに、脳の指令が運動神経を通り筋繊維の収縮、弛緩を行なう。
普通の生活をしている限り、筋繊維を100%活動させることは出来ない。
せいぜい出せたとしても50~60%ぐらい。
これは、筋繊維の活動を50~60%しか出せないように、抑制している為である。
本来持っている力を全て出し切ってしまうと、筋繊維が大量に切れ、筋肉の組織自体を破壊してしまう為である。
それが、緊急時にはその抑制が外れ、運動神経の他に交感神経も筋肉に対して働くというのだ。
普段は無意識に行なっている心臓の動きや発汗などの生体維持を司る交感神経が筋繊維を100%力を出せるように活動を促すというのである。
これが火事場の馬鹿時からの正体である。」

これは緊急事態の時にしか発生しない極限状態に限ってのことだと結論づけるには説明できないことがあります。
嬉しいときや楽しいときと言うのは精神的に非常に力強い状態です。
そして

「病は気から」

と言うことわざの本質を鑑みるならば逆の状態になることも解るでしょう。
つまり気持ちをやんでいる状態ならば身体は病気になると言う意味の諺なのですから、気持ちが喜んでいる状態ならば身体に力がみなぎり普通の状態以上の力が出てもおかしくはないのです。

この論理解りますかね。
屁理屈のような書きようですが、いろいろと諺というのは面白いモノでくっつけると本質がわかってくるものですよね。

小さい子供さんがおられるならば抱っことかおんぶすることがありますよね。
子供さんの体重は同じ状態だとします。
つまり抱っこし始めと抱っこ終わりまでの体重は厳密には違いますが基本的に同じと計算することにして下さい。
また食べ物も食べないモノとします。
子供さんが起きて笑っているときに抱っこをしているときは普通の重量だと感じているでしょう。
でも子供さんが寝てしまったときに重く感じるということをよくお聞きします。
姿勢が悪くなるからだという意見があるかもしれませんがね。
同じ姿勢でも重く感じる事っておいらの経験上あったんですよ。
それに周りの人も同じ意見が多かったんです。

これは有機物にしか当てはまらないという意見があるかもしれませんな。
じゃあ鞄に大金と同じ重量の紙を入れて実験したら同じ意見になるのではないでしょうかね。
この鞄を運んだら中に入っているお金をあげるよ。と言われて運ぶことを考えて下さい。
最初に運ぶ前には確かに札束が入っていたのに途中で中を開けるとコピー用紙が札束と同じ形に切られて札束と同じ重量のモノに変わってしまっていたことを知ったなら気持ち的に嬉しいくて軽く感じていたモノが、変わったことを知って落胆して嫌になり重く感じるというのは容易に想像できるのではないでしょうか?

このように気持ちの持ちようで多少は重量を感じる変化が伴うはずだとおいらは個人的に考えています。
これは道具でも一緒だと思う訳ですよ。

んで客観的な重さの基準と食い違うことが往々にして生じてくるとも考えているんですな。

もっと書きたいのですが、思いつかないのでこれぐらいにしておきます。

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