扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

記事が書きにくい 2008.03.14

2008-03-14 00:00:50 | Weblog
書いて良いモノかどうか迷うことが多くなってきました.....................

この傾向はBlogだけではなくてリアルな生活でも起こっています。
それに解っていても言わない事も多いんですよね。
言えば理解を得られます。
でも言ってもどうしようもないのならば言わない方が良いとも考えています。
それがその人の為になることでも嫌な顔されるのであれば言わないのも愛の一つなのだと考えることが出来るようになりました。
これは弟君に関してなんですがね。
ここに少しその事を書いておこうと思います。

まずおいらは完璧主義な性格です。
まあどこか必ず抜けていますので現実は完璧主義なんてほど遠い欠点だらけの人間で、自分の言うことも守れない事がある最低ランクな人間な訳ですよ。

そして弟君はおいらなんかが及びもしない健全で賢明なイケメン男子です。

弟君はおいらが口だけの人間だと言うことを日頃からよく知っています。
それに言っているのに出来ていないところは山のようにあって理想論を振りかざすだけの人間だと言うことが解るようになってきたのでしょう。

んでおいらは非常にくどいのでおいらが先に知っていることを言うことが多かったんです。
一応ですが彼よりも11-12年は長生きしていますからな。
当然ですが、おいらが先に知っている事がたまにあるんですよ。
それで彼に伝える際にくどい言い方をしますから、弟君はおいらの言うことは目を閉じて聴くようになりました。
これは彼なりの場を流す方法なのだと二週間ほど前に気がついたばかりです。
何度かこのようなことがあって伝えられるのが苦痛なのだと解ったんですな。
それまで彼は辛い状況を味わっていたのだと考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

愛が伴っていれば伝えることが出来るはずだと良く言われていましたので、今まではそうしてきました。
でも本人が苦痛を味わうのであれば言わないのも愛なのだと感じている次第です。

おいらは間抜けですが「完璧主義」で人が不公正や非常識な態度を取られると言わないと気が済まない性格です。
自分自身の事も可能な限り客観的に見るようにして矯正するようにしていますが、他の人の、特に家族の非常識に対応する際にも言ってしまうことがあります。
今まで散々迷惑を掛けておきながら言いたいことを言う都合の良い人間なのだと認識されているのは別に良いんですよ。
確かにその通りなんですからね。
でも苦痛にまでなっていることに気がついていなかった自分自身が許せないんですよね。
というか気付いていたんですが、愛が伴っていれば許されると誤った解釈をしていた自分自身が情けなかった訳ですよ。

だから言わないとは言い切れませんが、これからは言わないようにしていこうと思います。
また発言を求められても本当に聴きたいと願っていない限りは言わないのが良いのでしょう。
ここまではリアルな生活での話でした。

そして今回の本題であるBlogの記事も草稿中でそのままになってしまうモノが多くなってきている訳ですよ。
おいらは頭が悪いのでいつも考え事をしながら生活しています。
記事にするネタが生活の中で考えていると山のようにあって書く記事を厳選しなければ毎日何十個も発生している訳です。
それだけ良く考え事をしているんですよね。
無駄に..............(ここ重要・笑)

何か意義を求めて動きますし、何か意義を求めて生活を送っています。
意義を求めて仕事もしますし、意義を求めて記事を書きます。

だいたい頭の中で考えて記事を書ききるのは30分程度あれば可能です。
長いときは資料を調べていたり、他の方の見解や聖書の言葉などを調べています。
おいらは記事を精読してからでないとそこからはなるべく使わないようにしています。
よって記事の中に参照しているのはおいらなりの理解をした上で書いています。
説明できないと言葉を使用する立場にはないと考える性格ですからな。
意味も知らずに言葉を用いるのは愚かな人間のすることだと考えています。

まあ往々にしてこの愚かな人間になっているおいらは愚か者なのはまちがいないんですけどね。

んでBlogに依存しすぎている時期があってそのころの教訓として記事を一日一記事にするようにしているんですよ。
録音してアップロードできるポッドキャスティングというのはBGMや音楽を入れなければ一日一記事を書いている量のDataを実質録音時間5分もあれば言い切ることができて、Upできると思うんですよ。
でも時間が浮くようになるとその分言葉が多くなってしまう傾向になってしまうでしょうけどね。
言いたい事というのは沢山ありますし、筋書きがなければ口というのは収拾がつかない事を言って話の本筋というモノがわからないものになってしまいます。
でも筋書きというのはだいたい常々考えていることが多いので決まってきますからな。
筋書きを書くのは10分ぐらいで書けるでしょう。
それを元に話をすることで首尾一貫したモノにすることが出来るでしょう。

Blogでも上記のように書くことが脱線しがちなので語るとなるとかなりとびとびになってしまいそうですけどね。
話を元に戻そうと思います。
記事を書いたのに投稿できないのは
「おいらが書くに相応しくない」
「おいらが書くべき事ではない」
「書いていることは僭越なことだ」
と感じることが多くなってきているからなんですよ。
書き始めて10行ぐらい書くと上記のように感じてステータスを「下書き」にして草稿中にして葬り去ることが多いんですな。
10行ぐらいなので5分ぐらいでしょうかね。
実質的に書き込む時間が3分で上記の思考になり草稿中にすることを考えるプロセスが2分と言ったところでしょうか。

んでおいらは夜10時ぐらいから書き始めるような習慣が付いています。
草稿中にしてしまうとモチベーションが非常に下がるのでしばらく他の事、例えばテレビを見たり、ネットサーフィンをちょこっとして新たに書く意欲を貯めて書くようにしているんですな。
書きにくい事というのは日に日に多くなっていきます。

知識を増し加えるというのは苦痛が伴うのだと痛感しますな。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私もだ! (chomemaro)
2008-03-14 14:41:35
私も、そう思うことが多くなっていて、書かない、言わないということが多くなっていました。必要なことや相手が必要なことしかいわないと言うのは、愛のあることだと思うんですよ。イエスが、弟子が耐えられる以上のことは言わなかったように。
しかし、これが非常に自分にストレスを与える場合もあります。でも言ってしまって、自分が受けるストレスと、言わずに受けるストレスとではどっちが大きいんでしょうかね?なんでも、黙っているというのは、やはり身体によくないと思うんですよ。
ブログぐらいでは、mumuさんが好きで、波長が合うので来ている人が殆どなので、あんまり遠慮しなくてもねと思うんですけどね^^
返信する
Unknown (mumu.com)
2008-03-18 15:46:23
#chomemaroさんへ
他の人のことや世間のことが解れば解るほど書きたくても書けないと言うことが多くなりますよね~。
それに弟君のことで解っていたのにやってしまっていたことが情けないんですよ。

また知識に関しても増し加えられるのは特権ですが、理解できない人には難解で理解できない事なのですから、解るようになるまではいわないのが良いんでしょうね。

確かに精神障害を味わっている立場の人間にとって「言わない」「言えない」というのはすごく負担になります。
しかし愛を感じ、客観的に言いたいことを考えると「なんて小さな事なんだ」とごくごくたまーに感じるようになってきました。
まあ、言いたい事というのは沢山あって感情が先走ってしまうことが多い訳ですけどね。(爆)

おいらのBlogに関して書かれているように感じておられることには感謝感謝です。
でも書きたいことを書いてしまうとおいらの場合は非常に平衡の欠けた記事になりがちで自制しなければとたびたび思っています。
これは記事として毎日アップしているモノでも沢山あるので申し訳ないんですけどね。
やはり少なくとも他の人が読むということを意識して書いてしまうんですよね。
かなり自意識過剰になってしまう自分がいるのも事実ですから気をつけたいものです。
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