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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



絵画の話題です.......

あれを盗作と言わずして何と言うのか?

なんて声も聴こえてきそうですが本人は全面否定していますよね~。
スギさんことアルベルト・スギ氏が盗作だと言っている事が間違いであるかのような言い方でした。
音楽の世界では完全にNGでしょう。
背景やメインの人物など構図も全く同じで「少し」描き方やタッチを変えただけです。

芸術の世界では良くある事ですがこれは嘆かわしい事です。
あれを盗作と認めないのであればどれが盗作なのか?
素人でもあれぐらいの絵は模写できますよ。
素人=おいらのことですけどね。
画材さえ揃えば描ききれる自信があります。

人間は発想を求められる仕事は限界があります。
「発想の枯渇」が出て来るという事ですな。
んでその時にする事はゴーストライターに描かせた自分のタッチに似たものを発表している場合も多いのです。
年を追うごとにそれは明白になっていき何も出てこないようになってしまうんです。
完璧を求める人であるならば余計にそうでしょうね。
しかしゴーストライターにも自己顕示欲が出てきます。
よって盗作などが明らかになっていくんですな。

絵というのは完成度の高いものほど模写される可能性が高いのです。
なぜならばレオナルド・ダ・ヴィンチが発見した黄金比率が関係しています。
美しい構図には一定の比率がありそれを取り入れると同じ構図になってしまうんですな。
だから個性的な作品というのは少なくなってしまうんです。
それを打破するのは個性的なタッチであったり斬新な構図であったりする訳です。

でももっと自分の個性を信じて描いていれば良かったとは考えないでしょう。
なぜならばあれだけ評価されたのは盗作した(本人は否定していますが)からであって自分の作品ならばあれだけ評価されなかったからです。

おいらから言わせれば「人のふんどしで相撲をとる」ほど情けない事は無いんじゃないの?
もらった賞はアルベルト・スギさんに譲るべきでそうしないのであれば返上するべきです。

発想の枯渇は40代から始まります。
それまでは何も考えなくても発想はどんどん出てきて盗作なんて考えもしなかったでしょう。
しかし美術界の評価というのは培ってきたものによってしかされません。
つまり「ぽっと出」には見向きをしない風潮があるんですな。
これは改善しなければならない点です。
もっと若手の発掘をしなければ美術界の発展はあり得ないでしょう。
若いときの発想の豊かさを評価してしかるべきなのです。
そして発想の枯渇した人は今まで培ったものによって描いていけば良いのです。
新たな描き方を培うのは難しく順応する事が出来ないでしょう。
だから今まで描いてきた描き方を指示してくれる人のために描けば良いと思うんです。

好きな仕事をしているのですから仕事のために犠牲にするべきところではないでしょうか?
人間欲張ってはいけません。
自分の分を知るのは大切ではないでしょうか?
でなければスポットが当たった時に恥をかくのです。

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コメント
 
 
 
Unknown (はねもね)
2006-06-02 22:58:39
表現する必要がない人が無理をするとこうなるんですよね。
 
 
 
Unknown (mumu)
2006-06-03 19:57:09
#はねもねさんへ

たぶん本人は必死だったのでしょうね。

だから言い訳を盗作する時に考えて備えていた事が予測できます。

特に「フィーリングが同じで描き方が似ている」という感じの言い方はかなり入念な言い訳だと思います。



しかしまったく同じ構図、同じ背景、同じ人物配置というのはほんとに発想が枯渇しきって何も思い浮かばない状態だったんでしょうね。

少しでも自分らしさを絵の中に残していたのであれば「ここは彼独自の描き方なんだな~」と皆が言ったでしょう。



芸術家全般は目標が無いのに「結果」だけを求められるシビアな仕事だと感じます。

精神的に過酷で連続的な圧力がかかるので大変でしょうね。

芸術家というのはコンスタントに結果を残さないと忘れられますからね~。

しかもその結果に「サプライズ」を求められるのが芸術です。

発想が枯渇するのもわかりますよね。
 
 
 
虚。 (ポゥ)
2006-06-04 23:18:26
画家氏。

奥方を亡くした直後から、盗作が始まった、とされておるそうな。

以前は知らんので、何も言わんが。

この奥方の最後のお言葉が。

「みんなが喜ぶ絵を描いてね」

……。

画家氏。

奥方の心も裏切ってしまったよ・・・。

それが、切なかったな。



才の枯渇。

型にはまってくる、ちゅーのも、あるのかなぁ。

自分で気がつかないうちに、枠が出来ちゃってて。

それを、捨てられなくなるのね。

芸術方面って、死ぬまで、成長続くものだと、自分は思うので。

厳しい世界だよ、まったく。

(拙いながらも、絵をかじったワタクシ的視線でも)

出なくなったら、出るまで、待つのも、アリ。

とか、自分は思ったなぁ。(`ε´)



だからこそ!

盗作は大罪! 生み出された作品は、作者の血肉!

子供!

そんな考えを持っているので。

盗作したのなら。(限りなく! 黒だと思うけど)

認めて、やり直せばいのにね。

ここまで、真似た、とゆーのが。

虚ろ、だなぁ、と。

恥ずかしく。

情けなく。

哀れだな。哀れ。虚。
 
 
 
Unknown (mumu)
2006-06-05 05:35:34
#ポゥさんへ

コメントいただきありがとうございます。

愛する人を亡くした事から「歪み」が生じバランスがとれなくなることは多いですよね~。

人間って強がっていてもとても弱いものだからなにかにしがみつきたかったのかもしれませんね。

そんな事があったとは知りませんでした。

貴重な情報をありがとうございます。



おいらの作品への考え方はポゥさんと近いものがあります。

はねもねさんのレスにも書きましたがアーティストの作品には常に 「サプライズ」を求められますよね。

これは作る側からするととても大きな重圧でそれにさらされ続けるのもしんどいことでしょう。



しかし見たままを描くのも才能だとも感じています。

芸術学校の学生には絵を模写することも含まれています。

その仕事をしている人たちの多くは寸分の狂い無くトレースして描いているうちにある境地に達するようです。

描いた人の「心境」やモチーフに対しての「感情」などを理解することができるという境地です。

もし辛い状況で描かれたものであるならば心境を知ってもらえることはうれしいことだと思うんですよね~。



まあ、今回の渦中の人はそこまで達していないことは明白です。

しかし画家としての名声をほしいままにしていたのですからポゥさんがおっしゃっている通り作品を盗作するのは「大罪」です。

タッチの勉強やモチーフからのインスピレーションの受け方の勉強だけだったら良かったのでしょうが公に発表してしまったのはNGですね。



これからは奥方がおっしゃったように「みんなが喜ぶ絵を描いて」あげて欲しいものです。
 
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