思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



文具を買う人というのはたいていの場合に自分の給料の中で買いますよね..................

またプレゼントなどでも無難なモノだと言えます。

借金をして10万以上のモノを購入するというのは少ないでしょう。
確かに高いものがありますけどね。
非常に高いStationeryというのは金持ちのステータスのために買うことが多いのは明白です。

またもし借金をしたとしても万年筆の多くは10万円以内のモノですし、高くてもほとんどは20万もかかりません。
こう考えると一年で返済は終わるはずなので目くじら立てて言い詰める人はいないでしょう。
文具の場合に買う動機なども明白です。
でも借金するまでして買うモノでもないような気がします。
買い物をする際に自分の貯金や財布の中身と相談して自分に見合ったモノを買うようにするでしょう。

大きな出費があった際に他の人がその理由を知ると「好印象」を植え付けることにもなりかねないんですな。

使い方は人それぞれですし、収拾癖があるから買うと言っても趣味で収まる事は明白です。
まあ平衡の取れている人はですけどね。
おいらはコレクターの集める目的というのは余り好きではありません。
道具というのは使う為にあるのであって、使える範囲内で買うようにしないと買う意義というのは意味を成さないと思うんですよ。
確かにおいらも集めていますけどね。
メモ帳やノートなどのストックが沢山あって型遅れになってしまいました。
でも現行のLine Upよりもおいらが保有しているDesignの方が個人的に気に入っているので何ら問題はありません。
ところがおいらが保有しているメモ帳やノートなどは罫線が入っているので気になっているんですよね。
今おいらが気になっているのはBlueのInkです。
んでRODHIAの罫線の色というのがBlueからPurpleの色の中に収まってます。
色のメリハリを付ける為にはベース色の反対色や補色を使うのが基本です。

これは色彩学では基本中の基本です。
これは補色調和と言われていますが、一つの色とその色の反対色は互いの色を引き立てあう相乗効果が得られて高めあう効果が得られます。
同系色の色の調和も間違いがありませんけどね。
おいら的に服などを合わせる際には同系色で淡い色違いを着るのが好きなんですな。
まあ補色を着ることも多いんですけどね。
Coloringというのは楽しんだものがちなところがあります。
色に無頓着な人というのはかなり損をしていると言えるでしょう。

.............すこし話を戻します。
罫線がPurple系並びにBlue系の色というのはおいらが使いたいBlue系の色と被っていて見づらい事になりかねないんですな。
すこし過敏になりすぎているのかも知れませんが、おいらがせせこましく書いていくことを好みますので細かい字を書く際に罫線が邪魔になってしまいかねない状況は困る訳ですよ。
でもこんな事を書いているとぶっといニブの万年筆が欲しくなってきますな。
ゆとりがない事自体に嫌悪感を感じることがあるんですよ。
今の使用方法は隅々まで書き込んでいく事を意識して書いていますが、「せこい」とか「けちくさい」と感じるようになってきました。
また色に対する認識ももっと寛容になれば使えるはずなんですよね。

今メインで使用している万年筆のペン先は「EF(極細)」を使用しているんですが、そろそろM(中字)ぐらいにしたいとか考えるようになりました。
書く機会というのは少ないのですから書くときぐらいはゆとりを持って書いても良いかなと思えるようになったんですな。

んでこの記事の本来の目的である給料の範囲内で買う道具としてこれほど相応しいモノはないと感じる訳ですよ。
文具ほど自分の立場をわきまえることが出来る道具というのは少ないと感じますな。
また分不相応だと感じても、本人はその事を一番解っていて買う訳です。
よって他の人が人の道具と使っているのを見る際に「意気込み」を感じることも出来る訳です。
それにプレゼントする方も分不相応なら「道具に見合った人間になって欲しい」と願って贈りますし、見合った人間ならばその人のイメージを考えておくる事も多いでしょう。
贈られるStationeryで他の人が抱いている自分自身のイメージというのがある程度解ります。
どのような状況にしろStationeryのイメージというのは健全なイメージが大きいので贈ることは知識レベルが高いということも感じますな。

少し前の慣習として学校を卒業する際に親が子供に文具店に行き万年筆を送るという習慣があったようです。
残年ながらおいらはありませんでしたけどね。(笑)
この万年筆を購入して貰った際に子供は認めて貰えたという実感が沸くと言うこともお聞きします。
もしくはもう大人にならなければならないのだという認識が産まれることが多かったようですな。

万年筆を買うと言うことは簡単に書くとむかしの日本の儀式である「元服」に値するかと思います。

これは自分自身で購入する際にも当てはまるでしょう。
万年筆というのは日本人にとって特別な認識があります。
大人の筆記具の代名詞でシンボリックな道具であってこれを購入すると言うことは大人の仲間入りをすると言う意識が産まれます。
おいらも中学生の時に万年筆の時間があって大人の道具の使い方を学ぶ時間だったんですがね。
おいらの中学時代の認識としては余りに飛躍していて急に万年筆を使えと言われても実感が沸きませんでした。
せめて万年筆の使い方というのは高校生の時にして欲しかったと思います。
でも義務教育の範囲内で使い方を教える必要があるはずですので仕方がないでしょう。

今日のイメージは先日の写真の写りに納得できなくて撮り直しをしています。
文具の魅力 その37 2008.03.02の写真はすこし構図が甘いような気がしていますし、ピントも元写真では甘かったんですな。
それに背景を綺麗にし過ぎているような気がしましたので絞りをかなり絞って撮ってみました。
でもこうなると背景が邪魔くさいですな。
背景処理は先日の写真の方が良いような気がします。

PS :なんだかおいらの書きたいことが全て書ききれていないんですよね~.............
「自分に見合った文具」に関してはもっと書きたいことがあるので更に記事を書くでしょうな。


ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 雑貨ブログへ

にほんブログ村 雑貨ブログ ステーショナリー雑貨へ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする



« 資料作成 2008... 文具の魅力 そ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。