未来でも過去でもなく............................
出来ていたことでも、将来できることでもない。
「生活が豊かになり簡単になる道具があったら出来る」という考えは当てにはならない。
欲しいものはあったらあるなりの生活になる。
今あるモノでもいつか使えなくなる日が来るかも知れない。
過去の栄光は美しい、心の中で燦然と輝きいつまでも続いていくもののように感じる。
自分の中では過去の栄光にしがみつきたいと願う人が多い。
これは人として当然のことで価値判断として人を知る重要な資料となるでしょう。
しかし人の考えというモノは常に変化していき人の栄光なんて持て囃されているときにしか覚えていないモノです。
それに他人の栄光というのはもっと無価値なモノになる。
人の考えが人を構築していくが、新たな記録や新たな発明、新しい技術なんて山のように出てくる。
自分の技術が土台となって新たな技術が産まれる事をねたみますか?
それとも喜ぶでしょうか?
記録や技術というのは改善し効率的に物事を行なう為の重要な参考資料となります。
時に記録というのは、特に人間の行動での記録というのは非効率的な動きからもたらされることが多い。
よって無駄な動きを廃し、綺麗なフォームが単純に結果に繋がらないんですな。
これは自分自身が最も動きやすい動作が結果に繋がることが見られます。
重要なのは「如何に今を快適に動くのか」なのです。
過去の自分でも未来の自分でもなく、現在(今)の自分自身が周りに影響されずにConcentrationを維持できるようにすることって重要ですよね。
そして自分自身の基本信条に沿ったモノで、現時点でも自分が愉しいと感じるモノが主要なモノとなっているのかに依存していると思うんですな。
基本信条というのは変化の乏しいモノなのかも知れませんが、その中でも出来る事というのは探せば山のようにあります。
見方や気持ちの持ち用を少しいじってやれば世界は別物に早変わりする。
変化した時点が起点となって劇的な変化が訪れるんですな。
少しおいらの経験を書かせて頂きます。
昔の自分は良かったと思っています。
関西の方にすんでいていろいろと交通の便もあり不自由を感じない生活を送っていました。
今は四国の田舎で多少は便利にはなってきましたが、それでも関西の頃と「比較」すると不便でならない。
しかしこちらに来たことが全て悪かったかというとそうではない。
関西に住み続けたら見えなかった世界が広がっている。
これほど真剣に生きることについて考えることはなかったでしょうし、当たり障り無く無難な生き方をしていたことが予想される。
飄々として生きる意義なんて考えることなく、真面目に人の痛みや辛さを感じようとすることもなく生きていたかも知れないと考えるとゾッとすることがあります。
モノを盗んだこともあったし、人をいじめていたこともある。
賭け事もしていたし、カンニングなんかもした。
若気の至りで満ちていたあの頃が輝かしい栄光に見えていたんですけどね。
そのように感じていた過去の自分がなんだか情けないと思うこともある。
もし住み続けていたら、其れが如何に悪いことなのかを認識できずにずっと続けていたかも知れない。
それに周りの誘惑が多くて全身を剣で貫いていたかも知れない。
今の自分はどうだろうか。
自分が悲観しているよりもかなりマシだという事実に目を向けてこなかっただけなのだ。
適正に自分を見て判断し考えを調整していきたいモノだ。
生きるというのはまんざら悪い訳でもないみたいだと時折感じているぐらいです。
では少し話を戻して
良く教えられることとして「将来の希望」が取り上げられる、
将来には報いがある
将来には癒しがある
将来にはずっと生きることが出来る
これが目標で生きている人がいる。
このことの本質を知らずに希望だけを目標にして活動しようとしまう。
おいらはこのような生き方がきらいです。
自分の将来というのは人の中には解る人はいません。
過ちを犯すかも知れず、他の人から見ると基準からはみ出ていて相応しくない人間だと考える人がいるでしょうからね。
その人の事を何も知ろうとせずに結果だけで判断するという間違いを犯してしまいます。
おいらも例に漏れていないのですがね。
一番苦しい本人の気持ちを考慮せずに批判し貶したり蔑んだりして、傷口を広げ、塩を擦り込み、鏝で焼き付かせるような事までして悪化させるような言葉を一方的に展開します。
おいらは例え見ていなくても、絶対に見ることが無くても他人を貶すことは間違いだと信じて疑わない人間です。
盲信していると言っても良いでしょう。
状況が解らないのであればすぐに判断することも良くないでしょうしね。
でも「自分の道はその人に属していな」くても、それでも自分のことは他の人よりも良く解るはずです。
よって自分に関してはなんと言っても良いと考えるし、もしおいらの言葉で気を害されたならば謝罪することにはやぶさかではありません。
実際に気を害されたという事実があり、もしおいらが何もしなければ乱されることもなかったのですから、それだけで謝罪するべきだと思っています。
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予想以上の長文になってしまいそうなので今日はここまでにしようと思います。
目新しいことは書いていないのですがね。
少しずつ心境の変化があるのでまた続きを書きます。
時間的に2008.03.15と2008.03.16は広島の方で大きな集まりがあるのでそろそろ寝ないと拙いんですよね。
2008.03.14は寝られなくて非常に辛かったので余裕があまりありません。
起きられるかどうかもわからないぐらいなので早々に薬を飲んで寝ようと思います。
広島に一泊するのですが、広島の方の文具店に行きたいとか考えています。
でもバスなので何も出来ないでしょう。
残年ですな。
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