今朝はそんなに寒くありませんね。風もなく静かな朝です。
物事は思ったようにうまく運ぶことはありません。これは世の常と思ったほうがよいでしょう。
でも普段はそうでなくて、自分中心にまわることしか考えないんですよね。
これがすべての苦しみの元なんでしょうね。自分だってそうです。それを回避するのに一番いいのは、
やはり他者からの一言が一番効くみたいです。自分ひとりで解決はとても難しいです。
完成された人間などいませんから・・・。
そんな時心に届く一言をくれる人がいれば・・・。
最高の友情のことを「カルナー」と古い仏教用語では言うそうです。悲しみをともにわかち、救いの手を
差し伸べることを「マイトレーヤ」といいます。「マイトレーヤ、カルナー」とは“慈悲”の語源です。
人生苦にうめき声をあげている人とともに悲しみ、同感し、思いやりの心で接することを“慈悲”といいます。
ほんとの救いです。わたくしも救われました。誰にでもこの気持ちを振り分けることが、仏教のモットーです。
2011年は、慈悲の力をもっとも必要とする年なんでしょうね。身近なところでも、遠いところにでも、最高の友情の
気持ちを・・・。
物事は思ったようにうまく運ぶことはありません。これは世の常と思ったほうがよいでしょう。
でも普段はそうでなくて、自分中心にまわることしか考えないんですよね。
これがすべての苦しみの元なんでしょうね。自分だってそうです。それを回避するのに一番いいのは、
やはり他者からの一言が一番効くみたいです。自分ひとりで解決はとても難しいです。
完成された人間などいませんから・・・。
そんな時心に届く一言をくれる人がいれば・・・。
最高の友情のことを「カルナー」と古い仏教用語では言うそうです。悲しみをともにわかち、救いの手を
差し伸べることを「マイトレーヤ」といいます。「マイトレーヤ、カルナー」とは“慈悲”の語源です。
人生苦にうめき声をあげている人とともに悲しみ、同感し、思いやりの心で接することを“慈悲”といいます。
ほんとの救いです。わたくしも救われました。誰にでもこの気持ちを振り分けることが、仏教のモットーです。
2011年は、慈悲の力をもっとも必要とする年なんでしょうね。身近なところでも、遠いところにでも、最高の友情の
気持ちを・・・。