伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

すべては家庭から

2008年05月10日 | Weblog
6時過ぎに細かい雨が落ちてきました。肌寒い朝です。

連日ミャンマーサイクロン災害に触れておりますが8日のブログにこんなすばらしいコメントが入りました。

『本日、「サイクロン被害のミャンマーで緊急食糧支援開始」のメールを読んでいました。
そこへ息子が、「パパ、僕達に出来る事あるかなあ、難しいかな??」との問いでした。
私は、「そうだね、寄付や食料を送るのは難しいけど、簡単にスグできる事があるよ、
それは、モノを大事に使うこと、必ず回り回って困っている人のためになるよ!
それと、お友だちと、この事をお話しな、『関心』を持つことが、まず大事だよ」  
これなら、簡単に出来ますね。』

こんな会話が普通に交わせる家庭がたくさんあったらどれほど素晴らしいかと思っちゃいました。
善因善果・・・善い行いにはかならず善い結果がついてきます。
見返りを求めずに当たり前の気持ちで人や物を大切にすることはとても素晴らしい功徳となります。
そして、困っている人々に対し“無関心”をよそおわずに手をさしのべること。
この“慈悲の精神”は生きるうえで最も大切で必要な幸福へ導く切符です。
コメントを送っていただいた方に改めて教わっちゃいました。ありがとうございます。
そしてミャンマーにおいては速やかに復興ができますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように

救うことで救われる

2008年05月09日 | Weblog
曇り空の朝です。昼間は日差しが届いて過ごしやすい陽気になるそうです。
昨日も触れましたが、ミャンマーサイクロン被害においては軍事政権が国外からの
人的援助の制限をおこなうなどで救助の遅れや、今後心配される感染症(マラリヤなど)対策の遅れなど、被災者中心の援助がうまくいってないようです。
昨日、国連世界食糧計画WFP協会の評議員を対象とした[緊急募金のお願い]がメールで届きました。
ミャンマーはとても信仰深い仏教国です。私自身も一度訪れてみたいと思っておりました。
昨年ミャンマーで採れる蓮の繊維“藕絲織(ぐうしおり)”で袈裟(けさ)を作ってもらいました。
とても蓮から出来ているとは思えないようなあたたかいぬくもりを感じられるものです。
経済の面では日本のほうが上かもしれませんが精神的な面ではおそらく逆転するかもしれません。
同じ仏教国のブータンを訪れた時に切に感じたことです。
人は物質的に豊かに満たされると人を頼らなくても生活できるので
人と人とのつながりが希薄になります。
希薄になると人から教わったり学んだりする機会も失います。日本が抱える問題でもあります。
物質的・経済的にたくさんのものを得たことで私達は心の大事な部分を失ったかもしれませんが、
ミャンマーの人々の悲しみを私達が得たものを分け与えることで救うことが出来ます。
“布施・・・最も困っている人に分け与えること”の実践をさせていただくことができます。
“させていただく”・・それは自分自身のためになることだからです。
救うことで救われるからです。

復興への責任

2008年05月08日 | Weblog
ひんやりとした風のある朝です。
夜中の繰り返し起きた地震は怖かったですね。
“天災は忘れた頃にやってくる”って言いますがまさにそのとおり。
私達の生活リズムとは無縁で起きますから余計に驚いてしまいます。
連休中に起きたミャンマーのサイクロンでは甚大な被害がでています。
以前WFP(国連世界食糧計画)協会での勉強会で聞きましたが、昨年11月
に起きたバングラディッシュのサイクロン被害規模のものは日本でも起きているそうです。
しかし、防波堤設備や灌がい設備等のインフラや建物の強度などの基準がしっかりしている
日本では途上国のような被害が出ないということです。
途上国では海岸線沿いや水際は特に貧しい人が住むことが多いので余計に被害が大きくなるということです。
経済的に苦しい国においてはインフラ設備や建物にお金をかけることは難しいでしょう。
しかし、近年繰り返し起きる自然災害は気候の温暖化によるものであるということははっきりしています。
気ままに便利な生活をしてきた私達一人一人にも何かしらの原因はあります。
日本以外で起きている自然災害の復興には私達も責任が有ります。

“世界全体が幸福になるまでは個人の幸福はあり得ない”・・・宮沢賢治
自分達ができる範囲内の復興への手助けをしていきましょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

貴重な一日

2008年05月07日 | Weblog
いいお天気の朝です。
連休中の家族サービスにお疲れの方には少々きつい朝かもしれませんね。
「今日は仕事・・やだな~」と思って一日を始めれば当然その感情が表情や振る舞いに出てしまいます。
いつ終わりを迎えるかわからない私達の人生の残り時間を“やだな~”か“よしっやるぞ!”で臨むのかでは大変な差がでてきます。
漠然と自分達は「すぐには終わりは来ない。今日明日に死は来ない」と思いながら生活をしています。
佛教には「死の瞑想」というものがあります。チベット佛教のダライ・ラマ法王は一日に6回「死の瞑想」をするそうです。
命のはかなさを常に心に留めておくことは無駄な過ごし方から離れ、意義ある時間を過ごそうという意識に向かわせてくれます。
いつ死を迎えるかは私達には到底わかりませんが、もしそれぞれに残り時間というものが決まっているのならば過ごし方の意識はかわるでしょう。大切な残り時間という意識で朝を迎えるのならば「今日もなるべく気持ちよくやろうっ!」という方がいいですよね。
貴重な一日、気持ちよく、楽しくできるように笑顔で踏み出しましょう。



互いが学ぶ

2008年05月06日 | Weblog
GW最終日は最高の快晴ですね。一日お休みいたしました。
ご覧になっている皆様すみませんでした。
県北のキャンプ場に行っておりました。やはり圏外の地域でした。
まさに新緑の世界。森のやさしさに触れ、仲間と楽しいひと時を
過ごさせてもらいました。しかし、子どもは自然の中ではすぐ遊びを
発見し夢中になっちゃいます。小川に入ったり、土手を登ったり、
普段出来ないことを思いっきりやります。親もよっぽどの時意外はただ
見守るようにしました。(かなりやり過ぎもありましたが)
親はどんなに子が大きくなっても、ただ見守るだけかもしれませんね。
子は社会からの預かり者。きちんと社会の役に立つようにしっかりと育て、
社会にお返しをする。必ず子と親はいつかは離れるものです。
親は「子は自分のもの」という考えから離れなさい・・・と佛教では言います。
子は預かりもの。子育ての中からお互いが学びながら心を育てていくのです。
そういう意味で自然環境という学校でお互いが学ぶことの出来た最高の休日になりました。
自然の空気と水と土に感謝、仲間に感謝です。

今日の写真は森を見上げて撮ったものです。


変わり続ける自分

2008年05月04日 | Weblog
時折パラパラと雨が落ちます。風のあるくもり空の朝です。
毎朝決まった位置で本堂を中心に境内の写真を撮影しています。
ちょっと前までは葉のない枝ばかりの植木で本堂がよく見えていましたが、
あっという間に緑で覆いつくされ、本堂がさえぎられそうな感じです。
毎朝カメラを持って境内を歩いているおかげで様々な変化に気が付くようになりました。
外の世界の変化に気づくように努めていると、日常のなかでもっとすごい
スピードで変化している内なる自分自身の心というものが気になりだしました。
人はいつも“変わらない自分”という立場であたりまえに生活をしていますが、
瞬間瞬間心は変わっています。“この心が自分自身である”と定義することは出来ません。
無常・・・つねに変わり続けます。心だけでなく身体も生成と代謝を繰り返し、瞬間瞬間“老い”という方向へ進んでいます。
“変わらない自分という心と身体”という基準が様々な苦しみを作り出していると佛教ではとらえています。
お肌や体力の衰え・記憶力の衰え・子どもが大きくなり親から離れていくことなどなど、
すべてが変わっていくのは法則といってもいいほど当たり前のことです。
しかし私達はその“変化”を“苦”としてしまいます。変化がきらい・認めたくないのですね。
無常を認めること、それは苦から離れ変化を楽しむ穏やかな心へと導いてくれます。
私も時間がかかるでしょうが、そうなりたいと思う一人です。

明日は電波の届きにくい所にいますのでブログはもしかしたらお休みかもしれません。
その時はすみません。宜しくお願い致します。



思い通りにいきません

2008年05月03日 | Weblog
突然、さーっと細かい雨が降り出しました。四連休の初日は
雨でしたね。それでも予定を立てた方はもう移動の準備か、
移動中なんでしょうね。お天気ばかりは思うようにいきませんよね。
さすがにお天気は諦めがつきますが、自分の思うようにいかないということに
いらだったり、苦しんだり、くやしかったり、ということは日常
ひんぱんにあることです。佛教で“苦”とは「思い通りにならないこと」
を意味します。ですから苦から無縁の生活ということはないわけです。
人生はすべて思い通りになることはありません。実際そうですよね。
“諸行無常=物事は常にうつろいゆく、変わっていく”から思うようにいかない
のは当然であると佛教では見ます。ですから必要以上に苦しんではいけません。
その場その場で苦であると確認したら次の手を考え進んでいくしかありません。
雨のときはそれなりの楽しみを見つけて楽しく過ごせばいいんです。
苦しい時をどう楽しんでいけるかをいつも試されているのが人生なんでしょうね。
人生というゲームを最後までやり通す。楽しみながら“あがり”までいきましょう。



山登り

2008年05月02日 | Weblog
穏やかな朝です。このところの暑さで境内の木々がいっきに
成長しました。花が咲き、葉も茂ってきました。
新緑を味わうには最高の連休になりそうですね。
学生の頃さんざん山登りをしたせいか、社会人になってからは
テント泊まりはしてきませんでしたが、昨日思い切ってテントを
購入しました。今のテントは設営が楽そうで、デカイですね。
学生の頃はスチール製のポールを使う三角テントでしたので
本当に重かったです。山の道具関係もどんどん進化しています。
道具は準備したので、あとは実行するだけです。
佛教の教えもそういう意味では道具です。その道具(教え)を使って
(実践して)始めて意味があります。ですから本人の実践・努力がなくては
結果はついてきません。道順を教わったとしても、実際歩いていくのは自分自身なのです。
結局本人の努力次第です。そういう点は佛教は厳しく見えるかもしれませんが、
これは真実、最終的に自分を救うのは自分だけです。
山登りを思い出します。重い荷物を背負って一生懸命登り、また自分の足で下る。
仲間もそれぞれ重い荷物を背負って歩いているので、お互い励ましあうことしかできません。
しかし、励ましあうから進んでいけるのです。生きていくことも同じです。
励ましあいながら人生という山登りをまっとうしたいもんですね。


わが身に引き比べて・・・

2008年05月01日 | Weblog
今日も昨日同様暑い日になりそうですね。
この時期は田植えの準備が始まります。水を引き入れ
た田んぼは陽の光に輝いています。稲作に水は欠かせません。
多くても少なくてもうまく育ちません。日本ではまだ深刻な状況は
起きていませんが、世界では干ばつや洪水により食糧不足に苦しむ
人々が(途上国のアフリカ・アジア諸国に多い)たくさんいます。
また、世界的な穀物価格の高騰によりアフガニスタンでは1年余りで
小麦の値段が67%も上がり、生産者以外の人は所得の75%も食費に使わざるえない状況です。
中米エルサルバドルでは食糧価格が1年半前の倍にまでなっています。
我が国でも昨日はガソリンスタンドに列をなし、様々な価格上昇が眼に見えてきましたが、
世界には5人に1人、およそ12億人もの人が1日1ドル以下の生活(最貧困層)をしています。
 
“「かれらもわたしと同様であり、わたしもかれらと同様である」と思って、わが身に引きくらべて、[生き物を]殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ。”・・・これはお釈迦様のお言葉です。

暴力についてばかりでなく、人の苦しみ・不幸もわが身に引き比べてこそ、慈しみの心を養うことになります。
どうか最も苦しんでいる人に慈しみの眼をむけてあげられますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。