アナキスト
クロポトキンのこの書は哲学書と言っても過言ではありません。
前記事で、明後日には読み終えるだろう、と私は宣言しました(7月21日)が、何の何の、多忙さもあって、やっと昨夜読み終えました。
クロポトキンの「相互扶助論」は1902年に書かれた書であるが、その内容はどのような政治学論をも蹴散らすものであり、読書後には新しい世界を垣間見たような気がします。
クロポトキンは思想家、革命家でありながら地理学者、社会学者、生物学者でもあります。
従って最初から「動物の相互扶助」から始まり、動物でさえも「相互扶助」しながら生存していることを示すのである。そしてまた、人間でさえも苦難の歴史の中において「相互扶助」を見出し、未来を予見するのです。
マルクスもバッサリ、資本主義もバッサリ、ダーウィンの進化論もバッサリ。国家権力もバッサリ。国家に追随するキリスト教さえもバッサリ。もうめった斬りなのである。何と痛快か。
クロポトキンは人間が本来持っている「良心」にこそ本来的な意味があり、人類の長い歴史の苦難を「相互扶助」で乗り越えてきたという。
サルトルは戯曲「汚れた手」においてマルクスレーニン主義の限界を示し、とうとう「ソビエト連邦」の崩壊によって証明された。
また近代超資本主義は後進国を利用し、搾取し、解体してきた事実がある。富裕層と貧乏層はかつてないほどに乖離し、その解決策は見出されていない。
近年のイギリスのEU離脱、トランプ大統領の現出は次なる世界へのメタファーなのかもしれない。
また、この日本も貧富の差が大きく、未だに解決策を見いだせないでいる。もう国家の下の「国民」ではないのである。「国民」が「国家」を飲み込み、新たな潮流を示さねばならない。
今、自由民主党の総裁選が始まっているが、安倍も石破も所詮同じ穴のむじなである。この乱国ニッポンに新たなテーゼを示せないでいる。いったい政治家として何を勉強してきたのか。腹だたしいにも程がある。
さて、日本のアナーキストと言えば死刑にされた
幸徳秋水、そして虐殺された
大杉栄がいる。この「相互扶助論」は大杉栄の訳である。難解な洋書を独特な言葉に置き換え、読み易くしている。それでも難解であることは否めない。
その後、彼らに追いついてきたのはマクロ経済学者の
中谷 巌であろう。著書『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社文庫)の中で「市場原理主義」と決別したのである。もちろん私が提言してきた「ベーシックインカム」の必要性をも説いている。これについては、数国が実験を始まっており、まだその結果は報告されていない。
さて本書に戻るが、クロポトキンは最後に「近代社会の相互扶助(続)」で締めくくっているが、どんな弾圧、圧制の時代でも、民衆は倒されても、殺されても、「相互扶助」を行い、やがて世界中に「相互扶助」の団体が溢れ、人間は本来持っている倫理的観念を基礎とすると述べている。
「結論」においては、「相互扶助」こそが人類の歴史の主役であると断言し、人類の今後の進化をも「最善の保障」とまで述べるのである。
この書は良書であることは間違いない。大杉栄の翻訳も難解ながら素敵である。私が保証します。
読者の皆様で「アナキズム」に興味のある方は、まず「アナキズム入門」(森 元斎 著)を先に読まれたい。
そしてこのクロポトキンの「相互扶助論」に挑戦することを望みます。
そして最後に「相互扶助論」を読まずして書いた短編小説「ランロギアの海辺」の中の、SF「リベラリィークゥアル・ラヴ・コミューン」が「ポストモダンアナキズム」として読まれることを願って止みません。(今秋出版予定)
はっこう