有機無農薬野菜作り40年目、密植、混植、時期ずらしで自給率アップ

有機無農薬菜園で指導したり地元の新聞に野菜作りの記事も書いてきたが、そこでは表現できないものも自由に書いていく。

自在耕作菜園、密植、混植、無農薬の歩み

2024-01-14 18:35:40 | 日記

今の畑は4代目、最初は旧住人が残してくれた作物を収穫した畑を引き継いだもの。元は田んぼで道路建設予定地の持ち主不明地、約80㎡。前の耕作者の栽培法は不明だが土が固かったことと周りの人の農法からは化学肥料も農薬も使う慣行農法だったと思われる。農薬の使い方を知らず、鶏糞を大量に入れて土づくりをしただけで、トウモロコシ、イチゴ、玉ねぎなどはできたが葉物はまともにできなかった。5年ほどで立ち退きとなった時に近くのお百姓さんが声をかけてくれ、約100㎡の畑を借りた。お百姓さんは無農薬だったが一緒に借りた人は農薬派で、虫がついていると言ってお百姓さんと私の畑にも薬を掛けてくれた。お断りしても時折かけてくれていた。ここでは多くの野菜を栽培できたが自力とは言い難い。ここも拡張された道路計画で数年で立ち退きとなり、市民農園を借りた。約25㎡しかなくここで前と同じものを作りたくて密植、混植を覚えた。隣も無農薬と言っていたが冬野菜を作る前にオルトランを土に入れていた。近くに自然栽培で草も抜かず、数年は作物は取れなくても良いと言っていた人がいたが、周りの人が親切にも草を刈ってくれたりして、結局はやめていった。畑の持ち主のお百姓さんが無農薬と言っていたが、畔にモグラが出た時に菊に使う強い農薬薬を使ったので畔のニラを取らない方がいいよと言ってきた。菊は私が借りているところの数m先で栽培されていた。1代目から3代目は元が田んぼで3-40cm掘ると粘土層が出てくるため、畝を高く栽培していた。夏野菜やエンドウ、サツマイモ、里芋、ニンニク、レタスなどはできるが白菜などは何度挑戦しても途中で虫食いがひどくなり栽培できなかった。それでも作れるものが結構あったので無農薬を続けていた。定年になり、農政課やJAなどに行き農地の斡旋をお願いしたが、代わりに紹介されたのが無農薬栽培の塾だった。有機JASの認定検査員も指導する塾で、農業委員も関係しているのでそこで実績を積めば農地も取得できると聞き見学に行った。住宅地の一角に除草剤も化学肥料も化学農薬も禁止されているという約800坪の広大な畑地が広がっていた。通路を歩くと蜘蛛の子を散らすという表現がぴったりのクモの動き、道を空けるようにバッタが飛ぶ環境に、新しい世界を見た思いがした。すぐに草地で残っていた場所などを40坪ほど借り、これまでできなかった深堀りをして、周囲にあった前年のさつまいものツルや草を埋めて米ぬかを振って畝を立てた。市民農園の時にナスが大雨の後に一気に萎れたことがあり、鶏糞の使い過ぎが原因と指摘され、米ぬかを使い始めていた。