久しくご無沙汰している。
ドキドキしながら早速、FBを覗いてみると…
知っている人がほとんどいないという衝撃の事実。
大丈夫か?私…
自分の記憶力に不安を感じながらも、
450人くらいいる同期生のうち、グループに加わっている30人ほどが分からなくても、仕方がないんでないの と自分を励ます。
となると、距離の取り方が非常に難しくなってくる。
「初めまして」じゃないはずなんだけど親しいわけでもなく、
もし記憶の中にうっすらとでもお互いの存在を認識していたとしても、その程度のつながりで盛り上がれる共通の話題ってなにかしら?
同窓生というだけで無理につながる必要もない間柄であるからして、ほんと微妙なものである。
知らん顔してしまえばそれまでのSNSという場で、
それでも声がかかればつい覗きに行ってしまうのは
やはり望郷の念にも似た懐かしさ。
450人の同期生がいれば、それこそ450通りの生き方がある。
450もの人生が一つの場所に結集し入り混じっていた3年間。
そんなふうに考えれば、それは奇跡のようにも感じられる。
これまで自分は特別な愛校心など持ち合わせていないと思っていたが、こうして月日がたってみると、同じ時を共に過ごした仲間が、それだけでなにか特別な絆で結ばれた存在のようにも思えてくるから不思議だ。
場所を変えて、数人の女子メンバーだけでチャットした。
だいたい、女子は結婚して名前が変わっている人も多いんだし、
誰が誰だか最初は分からなくても、まぁ、当たり前。
第一、私のことだって、だれ?って思われているに決まっている。
それぞれが自己紹介していくうちに少しずつ記憶がつながって、
だんだん当時のことを思い出してくる。
そして、みんなが口を揃えて「男子がまるで分からない」と言うのを見て、
ちょっと安心する私。
当時のうちの学校は、女子生徒は全体の3割くらいだったから、
女子はわりと覚えているんだけれど。
仲良くしていたあの子やこの子もグループに加わればいいのにと思うものの、
実名登録が基本のFBであってもそう簡単に見つからない。
ま、それがSNS。
すべての人がアカウントを持っているとは限らないわけだし。
数人の友人の名前を検索にかけながら、ある友人のことを想う。
本当なら真っ先に検索を試みるはずの友。
彼女はとても明るく朗らかで、やさしい女の子だった。
人のよさがにじみ出た彼女の笑顔をよく覚えている。
高校を卒業してしばらくは連絡を取り合い、何度かテニスをしたりした。
そのうちお互い忙しくなって距離ができてしまったが、
年に一度、年賀状のやりとりだけは欠かさずに続けていたのだった。
すっかりご無沙汰していても、そのうち同窓会でも開かれれば
また会うこともできるんだろう。
そんなふうに思っていた。
ところが、昨年末に届いた葉書は、彼女との再会がかなわないものとなったことを私に告げた。
彼女のご主人名義で出されたその葉書には、
妻が47歳で永眠したと記されていたのだ。
そんなことがあるなんて!
いや、そんなこともあるのが現実なのだ。
“一期一会”という言葉が心に浮かんだ。
また会えるなんて安易に思っていたら、あとに悔いを残すこともある。
人生に悔いを残したくない なんていうことを、
私も考える年齢になったのだとしみじみ思いながら、
5月のさわやかな風に吹かれて空を見上げている。