ちょっと間が空いてしまったので、昨日は日帰り帰省。
様子見で施設に少しだけ顔出し。
まあ、大したコトは無かったんですが、確実に認知症状は進行している様で"(-""-)"
(もうワタシのコトは覚えちゃいないんで、離れた所から職員さんと会話しつつ見てるだけで終わりですよ)
施設を出てからは、気分転換に懐かしの勿来海水浴場でも見てくるか!なんて1人で移動。
勿来駅まで戻り、目指す場所までは徒歩約30分位。散歩服じゃなかったから意外とキツかった。
しかも、到着する頃にはなぜか携帯のバッテリー残量が少なくなってて、写真も撮れず。
(日帰り予定だったんで充電器等も持たず、万一の緊急連絡も考え残量ゼロは避けたかった)
勿来海水浴場では高校生時代の3年間、夏休みはずっと同じ家の家でアルバイトしてましてね。
(冬休みは冬休みで、ずっと同じ土建屋さんで3年間アルバイト。こっちも楽しかった(≧▽≦))
大体、10時~15時まで、海に面した小さな屋台で毎日焼きそば焼いてました(^^)/
隣の屋台では後輩がヤキトリ焼いてまして、こちらも毎日繁盛したなぁ。
結構忙しくてね。
1度に10玉分まとめて作って脇に寄せ、また10玉分を焼くルーティンだったのに、脇に寄せる分が出来る前に
すぐ売れちゃうから1日中焼きっ放し。
しかも地元。知り合いなんかもよく来てくれて店頭でワイワイしてたから、周りが勝手にうまい店認定して
くれたのかも知れません(^_^;)
ワタシ達のお昼休みは14時頃で、海の家の賄い(大体かつ丼かラーメン)戴いてから15時半に店じまい開始。
もうほとんど客が引いた海の家の座敷(って云っても板張りにゴザを引いただけ)の掃き掃除をしたら、16時でアルバイト終了。
日給はですが、年目は¥6,000~3年目は¥9,000だったと記憶してます。
いいバイトでしたね。
中学の同級生の女子なんかも高校生になってちょっと大人っぽい水着で遊びに来てたりで、工業高校の某教科(男子100%)のワタシは
毎日ウキウキだったですもの。
(奥から見えないトコロで、こっそりとタダで焼きそばサービスしちゃってましたから)
何度かバイト前に海で遊ぼうっていうコトになって、後輩と2名、7時位に出勤?したら大将とムスメ(美人さん)が波打ち際に流れ着いた
ワカメを拾ってるのを見まして、賄いがラーメンの時は「ワカメ無しで」って注文してお互い笑ってました( ̄▽ ̄)
今でも確証は無いよ(^_-)-☆
震災以降は…
なんかね。
以前も書きましたが、ずっと楽しい思い出しかない海だったのに、あれから見方が変わっちゃって、
でも懐かしさだけは残ってて、とても複雑な気持ちでプラプラ。
悪天候ながら海の家は営業してました(バイトしていた所は当然もう無い)ので、閑古鳥の鳴いてる1軒に入り、
海側の小っちゃいテーブルでビールを数杯とツマミには当然、焼きそばをお願いして少しだけまったり。
地元から出ずに残ってたら、どんな今だったんだろう?
なんてどうしようもないコトも考えながら、ちょっと酔いも回ってきたんで帰りたくなった。
川口の自宅に帰宅したのは22時位かな?
上野駅で素直に乗換えせず、またアメ横界隈で飲んじゃったもんだから。
さすがに疲れたんで更新もせずに寝てしまいましたm(_ _)m
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます