本屋で立ち読みして、立ち読みで済まそうとしたが、たまに紐解きたい本になるかもという予感がして……、悩んだ挙げ句、Amazonで百円くらいで見つけたのでそちらを注文した。
小さな詩集のようなものである。
《求めない── すると 簡素な暮しになる》
《求めない── すると キョロキョロしていた自分が 可笑しくなる》
《求めない── すると 待つことを知るようになる》
という具合の言葉が続く。他者に、とりわけ自分に高いものを求め続け、あくせくしながら疲れていた私には、清涼剤のように思えたのだが、後で冷静に頁を繰ると、自己啓発本を安易に詩の形式にしたような本でもある。
老荘思想に関する著作の多い著者である。いわれてみればその思想をちょっと読みかじっただけの私にも、この詩集が依って立つ精神の在処はわかる気がする。
“求めない”というのは、たしかに平安な心をもたらすだろう。その平安さは、他の自らも知らぬ可能性を引き出すかもしれない。
しかし何も成し遂げていない人間が、“求めない”でいられるだろうか。老子紛いの山籠もりをしている著者には、“求めない”特権があるから言えるのではないか。
疲労し、傷付き、徒労に終わるとも、やはり私は求めるだろう。
しかし著者は最後にこう書いていた。
《この気持ちを分けあいたかった 嘘のために常識を放りだせる人たちと──》
嘘と知っておりながら、こんな詩集を編まざるを得なかったのか。ようやく著者に、親しみを覚えた。
