新聞の書評で気になって手帳にメモしていた。
蓮の花は泥で咲くとはいうが・・・
絶句し、胸が戦慄く読書となった。
ある意味で、私小説的な成り立ち方をした歌集といえようか。
凄絶な子ども時代が予備知識としてあって、それのアウトプットのように鑑賞せざるをえない。予備知識で埋め込まれた伏線が、短歌によって物語は可視化され、回収される。
とはいえ。回収され、救われるわけではない。なんらかのカタルシスがあるかといえば、そうでもない。
ただ読む側は、31語に濃縮された“表現”を手にして、絶句するのみである。このとき、私は、ふと「どういえばよいかわからなくなり戦慄いている、この私はなんなのだろう」と立ち止まる。
個人的に、共感できてしまう景色があって、私は言葉を失いながらも、私の“歌”を再生していた瞬間があった。だから、自らを顧みることになっていたのか。
就職は数十年後も生きていて働きますと交わす約束
子どもの頃から自死念慮にとらわれていた者にしかわからぬ隔絶感、疎外感。来年まで生きていてなきゃいけないと考えただけで疲弊してしまっていた者には、そんな“約束”ができるとは思えなかった。
よくぞ生きてきましたと、作者の短歌と、短歌との出会いを讃えたい。
こうした私小説的構造の短歌はしばらく続くかもしれないし、それはそれで手に取りたいが、飛躍して、自由に詠まれたものも、みてみたい。
