著者の訃報を新聞で目にした。読んだことはなかったが、興味を抱いて手帳にメモしておいた。新聞の記事における紹介を読む限りでは、あの『永続敗戦論』を読み解くテクストになるものと思われた。というより、『永続敗戦論』読後、私に一つのアンテナが設置されたらしく、本書はそれによって、私の目にとまったのだろう。
著者のモチーフは鮮烈に私を引き込んだ。ノルマンディー上陸作戦記念式典に西ドイツ首相が参加を希望し、断られたという小事件を取り上げ、著者はこう評す。
自分たちを滅亡に追い込んだ作戦の40周年を、自分たちが寿がなくてはならない、というねじれの構造(中略)その「ねじれ」が日本では「ねじれ」としてすら受けとめられていない。(中略)わたし達はセンスを云々する遥か手前で、口悪くいえば低能、言葉を改めれば、何かを激しく欠落させた国民なのである。
そして、この評論の方向性が以下のように示される。右にも左にも与しないこの在り方に、私は『永続敗戦論』とはまた違った衝撃を受けた。
この戦後50年の間に現れた護憲論、改憲論は、いずれもあの原点のねじれを受けとめることを回避したものだった。
ここでいう「ねじれ」とは、『永続敗戦論』に謂う、“敗戦の内面化”と同義であろう。白井聡はこう書いている。
岸信介は「真の独立」と言い、佐藤栄作は「沖縄が還ってこない限り戦後は終わらない」と言い、中曽根康弘は「戦後政治の総決算」を掲げ、安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を唱えてきた。これら永続敗戦レジームの代表者たちの真の意図が、これらのスローガンを決して実現させないことにあることも、すでに見た通りである。今日、永続敗戦レジームの中核を担っている面々は、もはや屈従していることを自覚できないほど、敗戦を内面化している。
これら二冊に出会えたことを僥倖であると思う反面、そのことで私自身の無様さも顕わになって、ショックは隠しようがない。本書の著者は、改憲派―護憲派または保守―革新は、一つの人格の分裂だという。ねじれの隠蔽だという。
大江健三郎『遅れてきた青年』のように激しく左右に振幅してきた私は、それが弁証法的な進展と思っていたのだ。根こそぎ考え直しを強いられる読書となった。
極めて政治的な評論のように見えて、手法は文芸評論であり、「ねじれ」を拒否するものとして俎上に上げるのが太宰治と大岡昇平の作品である。例えば、敗者としての位置を頑なに堅持し、「ねじれ」を強烈に受け止め続けたという大岡昇平の『白地に赤く』というエッセイが引用されている。
外国の軍隊が日本の領土上にあるかぎり、絶対に日の丸をあげない。
自衛隊幹部なんかに成り上がった元職業軍人が神聖な日の丸の下に、アメリカ風なお仕着せの兵隊の閲兵なんてやってる光景を見ると、胸くそが悪くなる。恥知らずにも程がある。
もやもやしていたものが晴れる。そして次に収められている『戦後後論』も良い。一見、青臭いチョイスにも思えるが、ここで取り上げられるのは太宰とサリンジャーである。これは青春の、一過性の、麻疹の文学の代表例を挙げたものではない。戦争を、その体験を、屈従や汚辱を
隠蔽することなく、足元をすくわれることなく、死者に対して誠実に向き合おうとした2人の小説家として選んでいる。
たとえば同じ“無頼派”でも、太宰と安吾とではまったく違うと著者はいう。それは以下の理由による。
太宰は、ここにあげた、こういう種類の文章を、戦後、一行も書かなかった。どういう文章か。つまり、戦前には書くことをせず、いまだから書ける、という落差をもつ文章。また戦前には考え付かず、戦後になってはじめて感じるようになったにもかかわらず、そのことを明白にしない、「堕落論」のような文章。
そして、最後にサリンジャーの短編『最後の休暇の最後の日』から、以下の一節を引用する。
It`s time we let the dead die in vain.
作中この一節は、訳者によって、
もう死者をして死者を葬らせるべき時だと思うのさ。
とされるが、著者はここに導くのだ。
「戦死者は無駄死にさせなければならない」
文学的な言いざまかもしれない。しかし、あれは無駄な死であったと認めねば、私たちは向き合えないようにも思える。そこに意義を見出そうとする小細工が、隠蔽であり、利用であり、気づかぬうちの内面化なのかもしれぬのだから。
