よい子の読書感想文 

読書感想文565

『レイテ戦記(中)』(大岡昇平  中公文庫)

 上巻の感想文において感想らしいことをひとつも書けなかったわけだが、それは歴史的事実に圧倒されてというだけでなく、著者の仕事に感嘆してというほうに要因を求めていいかもしれない。
 ひとりの人間が、ここまでのものを書き上げられるのか、という驚きを禁じ得ない。『レイテ戦記』は史学(戦争学、戦史)と文学の高度な融合によって為されているが、それを支えるのは、著者のある種の情熱であろう。
 リモン峠の戦いを描く十八章『死の谷』において、日本軍の劣勢を歴史的に解き明かしていく文脈には目を見張るものがある。

 しかし師団として、そんな作戦を取れば、たちまち攻撃精神に欠くとの非難を浴びねばならない。これは師団をあまりにも強大な戦闘単位と考える、日本陸軍の時代遅れの体質と関係があろう。西欧の陸軍が1870年の普仏戦争以来、軍団(二個師団)を単位として、軍団重砲をうわ乗せしているのに、依然として砲40門に足りない師団を強力な戦力と見なして、過大な要求をする参謀本部の頭の古さが現れている。
 1870年は明治3年に当り、日本陸軍創設と同時である。幕府のフランス心酔にかわって、普仏戦争に勝ったドイツ兵学が輸入される。モルトケの弟子メッケル少佐が招聘され、三年がかりで日本陸軍の骨幹を作った。しかし当時の新政府の経済では、師団編成を創り出すのが精一杯であった。それがそのままリモン峠に持ち越されたのである。

 
しかもドイツ兵学は、第一次世界大戦の“タンネンベルク殲滅戦”にみられる派手な劣勢包囲の成功によって、日本陸軍においては兵士個人の精神力依存と相まって、日本軍流に解釈されながら、形骸化したまま採用され続けた。著者はいう。

 
これらはみな今日の眼から見た結果論というのは易しい。しかし歴史から教訓を汲み取らねば、われわれは永遠にリモン峠の段階に止まっていることになる。ただしこれは必ずしも旧日本陸軍の体質の問題だけではなく、明治以来背伸びして、近代植民地争奪に仲間入りした日本全体の政治的経済的条件の結果であった。レイテ沖海戦におけると同じく、ここにも日本の歴史全体が働いていた。リモン峠で戦った第一師団の歩兵は、栗田艦隊の水兵と同じく、日本の歴史自身と戦っていたのである。

 この部分を読み返していて、私は「あっ!」と腑に落ちるものを感じた。上巻の第九章『海戦』での一節を引用する。

 
すべて大東亜戦について、旧軍人の書いた戦史及び回想は、このように作為を加えられたものであることを忘れてはならない。それは旧軍人の恥を隠し、個人的プライドを傷つけないように配慮された歴史自信である。さらに戦後二五年、現代日本の軍国主義への傾斜によって、味つけされている。歴史は単に過去の事実の記述に止まらず、常に現在の反映なのである。

 
とするなら、日本の歴史自身と戦っていたのはレイテにおける兵士たちだけではない。『レイテ戦記』を書くことによって、大岡昇平もまた、“現在の反映”たる歴史と戦っていたのだ。
 この大著を成した情熱の在処が、少しわかった気がした。

 
 


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