今さらだが、初めて読んだ。確か、映画化されたのが8年くらい前だから、長らく敬遠してきたものである。
広く支持されるということは、それだけ平易に、悪く言えば薄められ、角を削られ、無難に作られ、ディフォルメされているはずである。だから、あまりに多く売れたものを、私はひとまず敬遠する。本でも音楽でも、そういうものは数年経つと、ゴミのような値段で並んでしまう。普遍的な価値などなかったのだと言われても言い過ぎではあるまい。手にとるなら、そういうときにリサイクルするくらいで良いだろうと思う。
この作品については、それのみならず、作者が嫌いだった。ネット右翼の、根拠に薄い偏った言説は、もとを辿ると、こういう男の発言がソースになっていることが多い。厚顔無恥な発言には怒りすら感じる。NHKも審美眼がなかったと言わざるを得ない。
それでも、作者と作品は別に捉える必要がある、と冷静に考え、いずれ読もうと思っていた。もう何年も前から¥100で並んでいるし、ちょうどコロナ禍で時間ができたので、手にとった。
戦争を知らない側が感情移入できるよう工夫された構成で、読みやすかった。
しかし、少年の頃から雑誌「丸」などに親しんできた私にすれば、いまさら教えてもらうまでもないエピソードの数々であった。怖いのは、ベースとなる知識がない若者が、こういう構成で「教育」されて、妙な目覚め方をしてしまうのではないか、ということだ。
主人公らが訊ね歩く元兵士たちの話は、さまざまな視点から描かれており、バイアスにまみれてはいない。しかしどこか、教養番組のような臭さが拭えない。戦争を知らない輩に教えてやろう、というスタンス。その行間に、やはり偏ったものがにおいたつのだ。
その偏ったものが噴出するのが、主人公の姉のフィアンセとして登場する新聞記者の扱いである。なるほど、と思った。ここにおいて作者は正体をあらわにする。ピュアな読者が、このネット右翼なおっさんが行間に仕込んだものに感染しないか不安になる。
いや、多くが、感染したんだろう。いま若い世代と話をすると、随分とナショナリズムな発言を聞く。裏付ける歴史や戦争の知識も浅はかなのに。
作者は、もう小説家を引退したとか聞く。しめしめと思っているのだろうか。印税をせしめて、さらに多くの人を右旋回させたかもしれないのだから。そういう力を持った作品だったことだけは確かだ。
