三連続で、同じ著者のものを読んだ。そうまで私に執着させた書き手といえば、他には桐山襲と高橋和巳くらいだ。
しかし今回は、連続して読むのも考えものだなと感じた。せっかくの風味も味覚と嗅覚が麻痺しては・・・。食事同様、汁、飯、菜という具合にローテーションするのが利口な読み方なのだろう。ことに、車谷作品は、食い物でいうなら、まさに本作の語り手が串に刺し続けた臓物のようにエグい味わいだから。
と、そのエグみが今回物足りなく感じたのを、作品由来なのか、続けて読んだせいなのか、公平に見定められなかったのである。
文芸誌に一定期間連載した著者最初の本格的長編。プロとして、期待に応えようという自負は作品の作りから感じた。ドラマチックな展開、読者の関心を牽引する様々な仕掛け。『鹽壺の匙』以来の車谷節が、作品を“文学”にし、そして禍々しさを纏わせる。
だが、インディーズ時代の何かがメジャーになって薄まってしまうというのは、ありがちなことで、それを今回の読書で感じてしまったのは否めない。大手の文芸誌に連載となれば、商業的な成否を意識せざるを得まい。そして、結果的にそのことによって加えられた読者へのサービスが、本作を直木賞受賞作にしたのかもしれない。
と思い返せば、心中未遂の相手“アヤちゃん”の描写も、視覚的には浮き出るが、人物がいまいち見えなかった。その点では、やや娯楽小説らしき特性も備えた作品といえるかもしれない。コアな初期作品の直後に読んだためにそう感じたのだろうか。
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