2回目の通読。(本ブログを確認したところ11年ぶりだった)。
表紙が町田康のどアップ写真になっており、これが印象的かつ外道=町田康という安直な連想をさせ、若かった私は読んでもいないのに「けっ、“外道”を自称してんじゃねえよ」と作家デビュー間もない町田康を見くびっていた記憶がある。
そういった先入観は『きれぎれ』をはじめとした初期作品によって払拭され、本書の印象も良かった。今後も、妙な思い込みや食わず嫌いをせぬよう気を付けよう。経験上、それは様々な選択肢を失い、『早くやれば(読めば)良かった』と反省するのがオチなのである。
今回は、読後、太宰の『人間失格』を連想した。通底するアイロニーが感じられるのだ。
『私は“人間失格”(外道)かもしれぬが、こいつら俗物どもは、なんなの? どうなの?』というプロテスト。
通念を疑いもせず振りかざし、敬語の誤用に無頓着な、無礼厚顔の輩が町田節で描かれていく。通念を疑いもできず、言語に対する思惟もない(それは即ち思想が無いのと同意であろう)というのは、誤解を恐れずいえば、文学の敵であり、“文学”を読みたいと思って本書を手にする者は、一種の爽快さ、言い換えればカタルシスを得る。
町田康が、案外に年配の保守的な層にも受け入れられ、選考委員などにも就いているのは、故なきことではないわけだ。
