石原慎太郎といえば、小説家というより政治家のイメージが強く、その爺世代のアナクロな暴言に苛々させられ、二十代前半の乱読期にも手が伸びなかった。
読んでみようかなと思ったのは福田和也の文芸評論がきっかけだったのを覚えている。『秘祭』を絶賛していたのだ。(ずいぶんと偏った評論で、いかがわしさも感じたが)
読んでみると、引き込まれて、退屈する暇もない。これは凄いな、福田某の言うことも一理あったなと思った。
あれから十数年ぶりの再読である。また読もうと思いながらも、通勤電車用の未読文庫本が無くなって、窮余の選択として、ようやく手にした。
やはり、好印象通り、眠いはずの通勤電車で目を覚ましてくれる佳作に違いなかった。
しかし、読み終えて、何が読者を引き込むのかなと振り返るとき、本作が纏っている、人間の本能を刺激する物語性くらいしか思い当たらない。
それを活字で描き、読む者を虜にする才能には目を見張る。けれども、これほどまで退屈させないにもかかわらず、文学としてどうなのかと問う場合、私は首を傾げなければならない。作中人物も、また行間からも、この小説は省察や慚愧を喚起しないし、したがって何らの救いもない。視座は最後まで、よそ者による野次馬的なアングルだ。
十数年も再読の手が伸びなかったこと、それが今回気づいたことを証している気もする。
これは純文学ではないんじゃなかろうか、と。
