十代後半からの乱読期に、『一房の葡萄』や『生まれいずる悩み』は読んだ気がするが、印象に残っていない。それで後が続かなかったわけだが、どうやら私は『白樺派』じたいに食指が向かなかったきらいがある。志賀直哉の、とりまきを連れて歩く“大家”のイメージ。武者小路のおめでたい理想主義。それらが私の中で一人歩きしていたのは否定できない。
これも便覧の年表から選んだもの。文学史上は主要な作品として数えられている。作者の来歴を本書解説で読むと、この作品が荒削りながらも破綻せず、読者には好意的に迎えられ、一躍有島武郎を流行作家にまで押し上げたとある。
異色、ではある。白樺派のイメージは作品にまったく纏われていない。荒削り、というのは頷くしかないが、言って良ければ荒々しい。土の匂いさえしてきそうだ。有島武郎という人は、書斎の物書きではなかったのだろう。
来歴を見ればその自由奔放な行動力には驚く。しかし器用ではなかった。まるで下手な太宰治、といって揶揄されそうな人生である。
読み出せば熱中して読めるが、また読もうという食欲がわかないのは、不思議である。読み物みたいな軽さがそうさせるのかもしれない。
