この作品も国語便覧の文学史年表から選んだものである。
読んだ記憶にあるのは『質屋の女房』くらいで、安岡章太郎といってもあんまりイメージが湧かない。ところが文学史上では主要な作家であり、年表の中、本作は特に重要な作品を示す色付きの文字で記されていた。
こういう見落としは惜しいものだと思う。逆に言えば下らぬ本に時間を費やすほど人生は長くない、というふうにも思える。
さて前置きがだらだら続いてしまった。以下、寸感。
冒頭、“片側の窓に、高知湾の海がナマリ色に光っている。”の一節で、この作品の寓話性や、それと裏腹な粘り気が連想された。あえて“ナマリ”と書くあたりに、著者特有の語彙を感じたのである。
精神を病んで危篤に陥っている母を見舞う男の数日間を描く。とはいえ現実の母は昏睡していて、作中に度々登場するのは記憶の中の母であり、戦後間もなくの家族である。
帯には『正気を失った母との最後の九日間』とある。なにやら悲壮な物語を連想したが、話は淡々と流れていく。
死や、精神病院という非日常が様々な思いや記憶を喚起するけれど、私小説などと比較してカメラアングルは遠い。ちょっと他人事のような……。
他にも『宿題』以下六つの短編が収められているが、表題作に関連する『愛玩』や幼児期から取材したらしき『宿題』を除けば、カフカくさい習作風が鼻についた。
刺激もなく毒もないようでいて、しかししつこく表題作の風景は私の脳裏に焼き付いている。“戦後最高の文学的達成”と称されるのは大げさかもしれないが、少なくともあとで再読したくなるだろう作品ではある。
