“乱歩は病床で読むべき”と自分で書いておきながら、また通勤電車で読んでしまった。積ん読本はハードカバーばかりで、唯一の文庫本がこれだったのだ。
付箋を張りながらのしっかりした読書は、どうも電車ではやりにくい。といって、積ん読本が10冊以上あって、わざわざ通勤電車用に文庫や新書を買うのも気が引ける。
なんていう身勝手なジレンマのせいで、シチュエーションのミスマッチが生起し、朝から乱歩はつまらんなという感想に至るのだから、江戸川乱歩こそ大迷惑だろう。
と、あまり面白く感じられない読書となったが、前回読んだ『十字路』に比べると、まさに乱歩の文体だった。乱歩式文体は郷愁を誘い、不思議と癒されるのだ。子ども時代に親しんだ文体が、一種の里帰りに似た心境をもたらすのだろう。
ところで『黒蜥蜴』では、美しい女盗賊が仲間内において自分のことを“ぼく”と言っている。乱歩のゲイ説やバイ説は目にしたことがあるし、作中で美少年を描写する方法にはそれを裏付ける風がある。しかし『黒蜥蜴』の描写からは、トランスジェンダー的な傾向が窺われ、この作家の知らなかった一面を垣間見た気がした。
『湖畔亭事件』は退屈な筋ながら、小説の中で小説が展開していくような錯覚に引き込まれ、解釈の余地を残して幕は下りる。通勤電車というシチュエーションでなければ、もっと余韻を楽しめただろう。
