振り返ってみると、あまり印象に残らない春樹作品であるが、本作は個人的な思い出とともに、ずっと念頭にあって、再読したいなと数年来思っていた。
もう15年も前になる。就職して当初の研修みたいなものが3ヶ月あった。宿舎の喫煙所で言葉を交わすようになった同期(Kとしておく)と、よく文学や映画の話をした。その流れで、『持参した本のうち、お勧めのものを貸し合いしよう』ということになり、Kが私に手渡してくれたのが本書だった(私が何を貸したのかは記憶にない)。
筋や話の内容が印象に残っていたわけではない。就職した職場が、どこか浮世離れして生活感がなく、均一的で、味気はないが、同じ理由である種の安心感があった。妙な決まりごとはあるが、そこから逸脱しなければ、平安が得られそうにも感じていた。そう、まるで『世界の終わり』ではないかと思ったのだ。
読み終えて、私はKに問うた。
『“世界の終わり”と、“ハードボイルド・ワンダーランド”、君ならどちらを選ぶ?』
Kは迷わず『“ハードボイルド・ワンダーランド”』と答え、私は『いまは“世界の終わり”のほうがいい』と言った。職を転々としながら、苦学したり身を持ち崩したりした挙げ句に就職した私だったから。
Kは4年ほどして退職し、私は続けている。そして、ややおどけ気味に思う。
『とっくに俺は心なんか失っているのかもしれない』
私は毎日、夢読みのような、味気なく非生産的な仕事を為し、生活の安定を得ている。Kとの連絡は途絶えて久しい。
と、そんなことを思いながら、再読に臨んだ。Kとの記憶に脚色されて期待したせいか、上巻はあまり感情移入できなかった。老学者のいう話等が、妙な屁理屈または念仏のように聞こえて白々しかったのだ。
通勤電車で、幾度か居眠りをしたのが、あまり楽しめなかった証左であろうか。
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