早稲田通りの軒先、1冊50円と記された棚で、本書をみつけた。
この著者のものを読むのは『戦場の村』、『日本語の作文技術』に次いで三冊目である。いずれも話題作あるいはロングセラーとなったものだ。
本書は未だ毛沢東存命中の70年代初頭の執筆である。『戦場の村』のスタンスに近いが、ルポタージュというより、インタビューの回答をとりあえず手放しで受け取ってみることを徹底している。
おそらく、そうしたスタンスを取るべき必然性があったとして、我々が留意せねばならないのは、本作で糾弾されるのは、ベトナム人を虐殺する米軍でなく、“奪い、殺し、焼き尽くし”た『日本帝国主義』であるということだ。
我がこととして考えるためには、こちらの解釈によって何かを捻り出す前に、無条件で耳を傾ける、そういう過程が必要だったのだと思う。
礼儀とか贖罪としてのみならず、我々日本人が与えてしまったものを、虚実もろとも見てみなければ始まらないという責任感でもあったろう。
『人間の条件』を読了した直後だったので、拷問や虐殺の証言が作中の描写とリンクして、平気ではいられなかった。
恨んでも恨んでも、恨み足りぬだろう。しかし、毛沢東の思想教育に依るのか、人々は口を揃えて、悪いのは“日本帝国主義”であり、日本の人民は敵ではない、ともに帝国主義と闘おうというのだ。
ベトナム戦争に反対する世相と苛烈な安保闘争が、革命前夜の様相を呈していた当時の日本を評価して、中国は反日感を宥めることができていたのかもしれない。(とすれば、昨今の反日の流れは、よく言う内憂のガス抜きだけともいえないことになろう)
毛沢東の評価が、文化大革命への批判とともにマイナスのほうへ固定されている現在からすれば、“語録”を経典のようにして毛を崇拝するかに見える登場人物たちは、歴史の遺物にさえ感じられよう。
それゆえに本書が古く、もはや価値のないものとは言えないが、彼らのいう死者の数には首を傾げざるを得ない。そこらへんは、中国共産党の指導等が入ってもいただろう。
だが、それをも含めて、本多勝一は直接聞いてまわる必要を感じたのだ。そして、聞く者と語る者との間に、連帯の意識が、少なくともその可能性が生まれる時代背景・状況が当時は存在した。
読んでいて、それだけが救いだった。
先の見えない日中関係に想いを馳せるとき、現在の本多勝一なら、『中国の旅』をどう振り返るのかと、著者の心の変遷も知りたいと思った。
解説で、高史明はこう結んでいる。
【死者は怨みを言わない。ただ、無限の深みから、私たちを見つめる。見つめられている私たちが、生者として何を願い、何をなすべきかは、すでに明らかである。死者の無言の願いに応えていく方向にこそ、私たちの未来へ通じる道がある。】
実体験者がいなくなるだけで、私たちは、忘れ、繰り返すのだろうか。もしそうなら、動物と同じだ。人間には想像力があり、また本書のような“記録”がある。
もはや価値のないもののように、古本屋の軒先に積まれているとしても。
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