新宿区に勤務していた今年の春まで、約1年間、ランチに通った店『定食酒場食堂』。はじめは日替わり定食288円という安さに惹かれて通い始めたのだが、しだいに私は、胃袋以外の某かも満たされているのに気づいていた。夜は酒場となる。月に1~2回ほど飲みに行っていた。
しょっちゅうテレビや雑誌の取材が来ていた。安いだけでなく、美味いのだ。しかし、それだけでもない。さまざまな魅力と話題に満ちた場所だった。口コミが取材を呼び、報じられてまた口コミが拡散していったのだろう。
本書もそういった取材のひとつから生まれた。
たまたま、私は著者の取材時、1人で夕食がてら飲みに行った。他の取材が入っていて、著者は客席で待たされていた。そこに「相席でいいかな?」と店主に示されて座った。一期一会。飲みながら言葉を交わした。
主として雑誌にコラム等を書いていると聞いた。それなら知見を伺いたいと思い、岩波書店の『世界』で気になった記事があったので言及した。すると、その記事を書いた本人かと疑ってしまうほど詳しい意見を返してくれて驚いた。
たまたま、問題意識に共通する部分があったのか、振る話の多くに、私がリスペクトしてしまう回答をくれた。あるいは、取材のプロとしての技術、その一端だったのか。相手の趣向に合わせて話を盛り上げ、相手から話を引き出す。思い返せば、珍しく私はあの夜、饒舌になっていた気がする。
話が横に逸れた。本書は小野寺氏の執筆によるものということで、大変期待して、アマゾンで初めて予約して購入した。
“奇跡”
確かに、あの店は日々“奇跡”が起きていたのかもしれない。常連だった1人として、それを活字で再確認したかった。
帯にはこうある。
“人びとは愛を求めてこの場にやってくる!”
そうか、と一人ごちる。私の、胃袋以外に満たされていたものというのは、これだったのかもなと思った。
とはいえ、『定食酒場食堂』は生ものだ。日々変化、進化している。そのためだろう、本書は編むにあたってのコンセプトがいまいち曖昧で、切り口が見えないまま、ドキュメンタリー的な文体で、なし崩しに書き進められているように見える。
定型を示さず、場当たり的に、見えてきたものを書き連ねていったのかもしれない。あるいは“生もの”に対しては、それが鮮度を保って書くテクニックなのか。当初は何が書きたいのかなと、腰の落ち着かない感じがしたが。
本書は、『定食酒場食堂』店主・天野氏を分析しつつ代弁し、客の思いをも表現してくれている。掴みどころない内容ながら、そういうところにミッシングリンクの埋まるごとき気持ちよさがあって、1日であっという間に読了してしまった。
たとえば、時に横暴ともとれる言動を見せる天野氏の、裏腹な細やか過ぎる気遣いに、私は薄々気づいていたが、それが本書の以下の指摘で確信にと変わった。
大げさな言い方だが、天野はかつて「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという」と書いた詩人のように、極めて繊細な感覚の持ち主なのだ。「偽善」という言葉があるが、おそらく天野はその反対の「偽悪」でその繊細な部分をつねに隠している。
じつは、一連の取材を通じて、わたしはすでに気付いていた。「偽悪」によってコーテイングされた天野の接客の裏側には、先の詩人のような繊細な一面がある。それは天野という人間の資質の核と表現してもよいかもしれない。天野がストレートに言わない以上、わたしが代わって指摘するしかないだろう。
ここで若き吉本隆明の詩が引用されるとは想定外だったが、やはりそうだったんだと思い当たることがあって、私は今すぐあの店に行きたくなった。(風邪をひいた常連の家に弁当を届けたエピソードが常連の証言で載っている。私も似たような経験をさせていただいたことがあった)
本書は、上に引用したように、著者が“代わって指摘”するスタンスで、終盤にかけて客や従業員の言葉から推察・分析がなされていく。
ドキュメントがなだれるように始まって、それがこうした店主の資質についての推察に切り替わっていくのには、やや違和感を覚えたが、『定食酒場食堂』が天野氏の個性によって形成されてきた“場”である以上、避けられない部分ではあるだろう。
“場”といえば、天野氏の発言が引用されていた。これは核心的なものだと感じたので引用する。
「これまで取材されてどうですか。何か感じませんでしたか。気付き始めている人もいるんですけど、ご飯、みそ汁お替わり自由、食事、飲み、といろいろあるんですけど、定食酒場食堂は『場』を創っているんだと。場の空気感。隣の人との会話をしやすい雰囲気。この店に来た人同士が、気安く話せる。」
「僕は、お客さんが一人で来て、相席をとりもっているでしょ。『この人、誰々さんね』とか、『こっちの席に来なよ』って。お客さん同士をコーディネイトする。それは意識してやってます。だって、みんな、ここにおにぎりが出ていて、『どうぞ』と言っても、食わない。おにぎりを取ってあげて、口元までもっていってあげないと食わない人ばっかりなの。」
ここを読んで、私は「ハッ」とした。本書の著者・小野寺氏と、初対面なのに、まるで意気投合したみたいに語り合えた夜を思い出したのだ。
非社交的で、自分からは滅多に会話をしない私の口が、あの夜は滑らかだった。あれは、たまたまの相席ではなく、天野氏の“コーディネイト”だったか。
あの店に行けなくなって、お替りができなくなって、「これで痩せるかな」と思いきや、何故か少し体重が増えてしまったのは、失ったものの質量を表現していたのかもしれない。
飲みに行きたい。あの“場”に行きたい。
